05.図書室の想い人
「別役さんって、結構分かりやすいよね」
「へあ!?」
待って! 分かりやすいってことはバレた? 私が七ツ役くんのこと(梓ちゃんいわく)ストーカーちっくに観察してることバレちゃってること!? マズいじゃん!
「値段のところ見て、ちょっと怯んだでしょ。やっぱり高校生の財布には厳しいよね」
「あー……うん、バレチャッタカー……」
良かった。本気で良かった。マジで冷や汗出たよ。今はもう指先まで冷たいよ!
「学校の図書室にあるんだ、この本。って言っても、今は俺が借りてるんだけど」
「そうなの?」
「うん。だから、俺が返す日に声掛けるよ。そしたらすぐに借りられるでしょ。……まぁ、他に借りるような奴はいないと思うけどさ」
「ホント? ありがとう!」
それって、七ツ役くんから声を掛けてくれるってことだよね!? マジ天国なんだけど! あとで神様に感謝の踊りを捧げておかないと!
「うん。……あ、もうこんな時間。俺はもう帰るけど、別役さんはどうする?」
「あー……、もう少し立ち読みしていくね」
「そっか。それじゃ」
くるりと私に背を向けて七ツ役くんが去っていく。本当は最寄り駅まで尾行していきたいけど、今日は会話ができたので我慢の日だ。え? 会話ができなかった日はどうするかって? 分かりきってるじゃん、言わせんなバカ。
(どっちにしても、今日はいい日だった……)
手渡されたままの入門書を胸に抱きながら、私は感動に身を震わせた。ここの本屋通いをして初めて、学校で七ツ役くんと話せる話題が作れた。ありがとう神様。あとでポテチ捧げます。もちろんその後は美味しくいただくけど。
・:*:・・:*:・♪・:*:・・:*:・
「キツい……ツラい……」
学校の図書室で、私は小さく呟くと、そのまま机に突っ伏した。
「ユズ、弱音吐いてる暇はないでしょ」
「ひぃ……」
今日は梓ちゃんの好意に甘えて、期末に向けての特訓なのだ。何を特訓するのかって? もちろん数学だ。ちなみに、梓ちゃんが広げてるのは古文。
「あたしにしてみれば、古文の方が謎だらけなのに、どうしてこんな分かりやすい数学が分からないのかしら」
「そのまま返すよ梓ちゃん。古文なんて日本語の延長なんだから、読めば分かると思う。漢文だって漢字の意味から推測できるしさ……」
「これに関しては、ずっと分かり合えないままね」
「うん、そうだね」
同じように苦手科目を持つ私と梓ちゃんで違うところがあるとすれば、それは梓ちゃんは3年に進級したら古文とおさらばできるってことだ。理系コースは古文も漢文もないから。
「ほら、そこは定理使うって言ったじゃない」
「あーそっか。って、梓ちゃんだって、そこの『らる』の意味取り違えてるよ」
「……同じ助動詞に違う意味を持たせるのが間違ってるわよね」
「いやいや、間違ってないから」
そんなことを繰り返しながら、お互いに苦手科目を教え合うのはいつものことだ。
でも、今日はいつもと違うことが起きた。
「別役さん」
突然、後ろからひそひそ声で名前を呼びかけられて、私の首筋に鳥肌が立った。いや、別に首が敏感なわけじゃない。この、声は……
「――――七ツ役くん」
そう。私に声を掛けてきたのは、なんと七ツ役くんだったんだ。
「どうしたの?」
「あぁ、勉強の邪魔してごめん。こないだ話してた本、これから返すから」
「あ、ありがとう」
それじゃ、と去って行く七ツ役くんをギリギリ不自然じゃないぐらいに見つめてから、私は目の前の梓ちゃんに向き直った。
「良かったわね」
「うん、ありがとう」
「で、何の話だったの?」
「あぁ、前にちょっと本屋で話題に上がった本が、ここの図書室にあってね」
私が経緯を話すと、何故か梓ちゃんはニマニマとした笑みを浮かべて聞いていた。
「……梓ちゃん、ちょっと気持ち悪いよ」
「んーんー? いいのいいの。ちゃんとまっとうな方法で前進してるって分かったら、なんか口元が緩んじゃって」
「……梓ちゃん」
「なに?」
「私はいつだってまっとうだよ?」
すると、梓ちゃんはなぜか、これ見よがしに大きなため息をついた。
「ユズ。あたしはとんでもない命題を突き付けられてるよ」
「んん?」
「どうして一線を越えた人間っていうのは、自分が一線を越えた自覚がないものなのかって」
一線?
「一線って、何の?」
「うん、自覚がないことは知ってたから、もういいわ」
それだけ言うと、梓ちゃんは再び目の前の古文に取り組み始めた。
梓ちゃんが何が言いたいのかさっぱり分からなかったけど、私もなんとなく雰囲気に圧されて数学のノートに目を落とした。
とりあえず、例の本については、帰りにちゃんと借りて行こう。
――――うぅ、頭が痛い。やっぱり数学は苦手だ……がくり。