意識下の不現実は現実では無い
見覚えの無い場所で、見覚えのある女性が俺を見る。ただ見るだけで何も語らず、そこにいるだけ。その容姿は嫌と言うほど記憶に残っている、俺を売った張本人なのだから忘れもしないあの目。あの赤い目が俺を見る。呼んでも何も答えない、触ろうとしても触れない。何がどうしたのか若干混乱している内に、その女性が初めて口を開いた。
「あなたは、自分のして来た事を償いなさい」
このセリフ覚えている、忘れていない。俺が最後に聞いたあいつの言葉。それの意味はわからないでいた。償うとは自分の悪さを認めた人間が、悪い気持ちを殺しながら更生し正しい道に行く事を言うのだが、俺には思い当たる節が無い。悪い心も、償う気持ちも、謝る対象も、一切わからない。それなのにあいつは償えと言った、だから尚更意味がわからない。
「なぁ、お前はどうしてあんな事をしたんだ?」
女性に問い掛けてみた。自分ではいくら考えたって答えは出ない、それなら知っている奴に聞けば良い。素直に教えてくれれば、それで問題は無いのに。
「私の故郷を馬鹿にしないで」
「故郷? お前の故郷ってどこだよ」
「簡単に手を掛けて、相手の事も考えず、まずその人から離れろ」
「はぁ? 何を言ってるんだお前、血が回りすぎて頭がいかれたかのか? ここには俺とお前しかいない、誰もいない。だからお前に話し掛けているんだ。俺が何を償って来いと言っているのか」
「その人から離れろ」
「……お前、俺を馬鹿にしているだろう。俺が嫌いかどうか知らないけどな、人と会話をする時は自分から投げるだけじゃなくて、自分から相手の球を受け止め返答する。それが円滑な会話と言う物だろうが。そもそもお前は最初からそうだった、聞こえない声でボソボソと悪口を呟いて、挙句出た言葉がふざけないで、だ。お前がふざけるな、口癖みたいに何度も何度も言いやがって。俺にこんな事も言ったな、企みを孕んだ邪悪な顔って。人に向かって言う言葉がそれか? あの時は毒がどうのこうので不問にしていたが、今その罰を与えてやろうか。俺がどういった人間かお前に……」
どうして、こんなに覚えているんだ。あんな奴のあんなセリフを何故こんなにしっかりと覚えているんだ。思えばすぐにでも忘れたくなる様な気に障る事ばかり言われて来たはずなのに、俺の記憶に何故残る。
「その人から離れろ」
「さっきからぶつぶつぶつぶつ……、その人って誰だよ! 何回お前に聞き返したかわかったもんじゃねえよ! ちゃんと喋れよ! そんなんだからお前は雑種で劣等種なんて言われるんだ! 悔しかったら……!」
悔しかったらかかってこいよ。そう言うとした所を阻まれた。目の前の女性が阻んだのではなく、足元の違和感がそうさせた。その足元に目をやると、白い服と白い帽子を着たどこか見覚えのある人間が、両腕を使いがっしりとしがみついていた。それはどこからどう見ても、あのコックだった。
「お前……! サンバークの町と一緒に地に沈んだんじゃ無かったのかよ!」
「家に、帰りたかった……。給料を持って……、一緒に晩御飯……」
声までコックである、コックそのものの存在が何故だか足元で腕を絡ませながら、顔を上げて俺を見る。その表情からは何も読み取る事は出来ない様な無表情だった。そんな奴が、まるで恨んでいますいわんばかりに現れたのだから俺も心中穏やかでは無くなった。
「うるさい! 黙れ! あれはお前が悪いんだ! あれほど辛いのは駄目だと言ったのに、お前がわさびなんて入れてくるから! 何が、忘れていましただ! 大体スープをフォークで食える訳無いだろうが! ミディアムとレアをどうやったら聞き間違えるんだ! オードブルが無いってどういう事だ! それもこれも全部自分で撒いた種なんじゃないのか! 今更のこのこ現れて、亡霊が俺の邪魔をしようなんておこがましいんだよ!」
文句があるのなら言えば良いのに、コックは何も言わない。そこにいる女性も、過去に吐いたセリフだけを繰り返し俺を惑わせる。それがまた無性に腹が立つ原因へと加わる。ふざけているのはどっちだ、俺に何がしたい、何が言いたい。真顔でこっちを見てくるその顔は、何を求めている。
「その人から離れろ」
「まだ言ってるのかよ! 何なんだよお前ら! 人を馬鹿にしてコケにして! 用件を言わずたかるだけのハエが! ……それならこっちだって考えがある。この力があれば、お前らなんてどうにでも出来るんだ。お前らなんて……、……あぁ!?」
足にさっきとは比べ物にならない程、足が千切れるかと錯覚するほどの重力がかかった。見ればそこには人の数々が、怨霊の如くしがみ付いていた。どいつもこいつもどこかで見たことあるような顔ぶれの連中が、俺の脚にぶら下がって、例にも漏れず真顔でこちらを見るのがまた気に食わない。
「何だよ……、何だよお前ら……、気持ち悪いんだよ! 何人も何人も虫の様に寄ってたかって! 大体お前らが悪いんだろうが! 王である俺を追放なんて頭がいかれた真似をするから! 他の奴らがちゃんと止めていれば、連帯責任で俺が国ごと潰す事なんていなかったはずだ! それもこれもこうなったのも、お前らが全部悪いんだろうが! 離せ! 離れろ! ……ちっ! 何で力が使えないんだよボケナスがぁ!! 消えろ! 散れ! 近づくな!」
意味がわからない。こんな理解不能な空間に押し込められて、挙句こんな意味のわからない状況になって、意味がわからない以外の言葉が見つからない。だっておかしいだろう、死人がわざわざ会いに来るって、それはおかしい話だ。喋る事さえできない連中がこうして面会に訪れるのは、間違っているんだ。だからつまり、俺が正しい。俺が全部正しい。一切間違っていない。微塵もこれっぽっちも、ほこり程度さえも正しい。
だから追放なんてされたんだ、正し過ぎたから。正を正と読める人間は、正を正としか読めない人間に妬まれる。その結果がこれだ。恨み、妬み、正しい人間の脚を引っ張りながら自身で勝手に自己満足を果たす。だから俺とは違う生物なんだ。違う生物の考えている事なんて、理解できる訳も無い。
俺は聞きたかった。スノードロップが何を考えてあんな馬鹿みたいな事をしたのか。人間でないスノードロップに聞きたかった。人間で無いから、他の奴とは違う考え方をしていた。
「スノードロップ!」
だと思われる目の前の女性に声を掛けた。顔、髪、目、服装に至るまで全て紛う事無く記憶の中のスノードロップ本人であるが、何故だか確信は出来なかった。それでもこれだけは言いたくて、言わなくてはならない気がした。
「今からお前に会いに行く! その時にお前の考えを聞かせろ! お前が俺をどうしたかったのかを聞かせろ! ……待っていろよ、スノードロップ」
そうでなければ俺の中で納得が出来ない。人ではないスノードロップが何をしたかったのかを聞かなければ、何故俺を売った意味がわからないまま。その旨を伝えても、目の前の女性は口を開かず、脚は一向に重くなるばかりだった。
――――――――。
「オウサマさん、オウサマさん、起きて下さい、もう夜ですよ」
「……夜なら寝かしといてくれよ」
「でもあれから五時間以上は経っていますし……。晩御飯、どうします?」
「あぁ、俺は寝ていたのか」
「はい、現実ですよ。おはようございます」
気付けば見覚えのある小屋の中にいた。勿論スノードロップらしき女性も、足元の重さも一切無い。代わりに気だるさだけが残る。
「この小屋、何にも無いのか?」
「はい、特にこれと言った物は無かったですね。でもでもでも、調理器具はありましたよ? お鍋にフライパンにお玉に……」
「あいつは?」
「あいつ?」
「名前知らないけど、犯罪者はどうしてる?」
「寝てます」
と言うので起こしに行く。これからの事を話す為に、二人を使う必要が……、いや、協力して貰う必要があるからだ。これは俺一人では、多分完璧には行かないかもしれないのだ。
紐で縛られ床に転がっている男に近づいた。
「紐がちょっと切れているのは何だ? おい犯罪者、起きろ」
「起きてマース。元気デース」
「やっぱりお前逃げようとしたんだな。だろうと思って余分に縛って正解だった」
「逃げようとしてませーん。あること無いこと言ってると殺しちゃいますよー?」
こんなやつでも、少しは役に立つ可能性があるかもしれない。無いかもしれないけど。どうだろうか。いややっぱり無いかもしれないけど、バケツがタライになるくらいには役に立つかもしれないから一応連れて行く事にした。
「シダ、犯罪者、俺は今から俺の国を攻め落としに行く。だから来てくれ」
それを聞いた二人共々は、何故だか潔く了承をした。




