王への敬意
王は言った。
「ごちゃごちゃ言わず、黙って飯を持って来い」
コックの男の尻を蹴飛ばしながら命令を下した。王である威厳を振り撒きながら、手下を使う為に。しかしそれに対し、コックも黙ってはいなかった。
「し、しかしそれでは私達の食料が……!」
反論。言葉を返した。命令のめの字もわかっていないらしいコックに、王は今一つ確認をしてみる。
「……ところでお前には家族が居たよな?」
「い、います……。ですが、それは関係が……」
「それを食べて行かせる為には何が必要だ? 金か? 威厳か? どちらにしろ、だったらちゃんと家に帰る必要がある。お前がここで、すぐに飯を持ってくるか否かで、それが決まるとしたらどうする?」
「どうするって……、そんな事を言われたらどうするもこうするも……」
歯切れの悪いしどろもどろなコックに、王は少しだけ怒ってしまった。
「……あ?」
「……す、直ぐに持ってきます……!」
「それでいいんだ。 ……いや、おい待て」
王は部屋から出て行こうとしたコックを呼び止め、これだけは言わなければならないと思い、一つだけ伝えた。
「またワサビを入れたら、今度はどうなるかわかってるだろうな?」
「はい……、今から作りますので少々お待ちください……。……あの、……それと、……先月のお給料をまだ頂いていないのですが……」
「は? お前、その仕事振りで良く金を寄越せと言えたな、恥ずかしく無いのか?」
「し、しかし……! 我が家の貯金も底を着きそうで……、お休みもまだ貰って無いですし……、ですから……」
「……で?」
「こ、このお城で働いている我々に、……給料と、休みを下さいますようお願いします!」
足を揃え手を揃え、頭をしっかり下げてコックは願う。自らの休みと労働者全員の給料を貰う為の懇願。それに対する王の反応はと言うと。
「いや無理だろ」
「な、何故ですか!?」
「何故それが貰えていない理由がわからない? この質問自体をしているお前が無能だから、そうなっている事に気付かないのか? 身から出た錆だと言う事を理解して、これからも謹んで俺の為に働く事だな。そして早く行け、飯を持って来い。……それともまた、罰を与えてやろうか?」
「……っ!? い、いえ! 変な事を言ってしまい! すみませんでした!」
罰を与える。この一言でコックは諦め、料理をしに行く為王から離れた。その男に対し聞こえる様に「つっかえねえなぁ」と王は呟いた。
そう呟いた王は、現在進行形で手足を縛られ、川に流されていた。
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気付いたときには、日が落ちた代わりに、俺の目と同じくらいに丸くしている月が綺麗に顔を出していた。数分前まで目隠しをされていたが、顔に巻かれていた布は川に流され、ようやく視界が広がった。目隠しは流されても、この思いは水に流す事は出来ない。月の光と水流に晒されながら、恨みつらみが川の様に溢れ出て来る。
国民の為に身を粉にして働いた人間に対し、あろう事か反乱をしでかすなどと考えてもいなかったからだ。俺が一体何をしたのか、何故こうなったのかをいくら考えても答えが出て来ないのだから、最早どうしようも無くなったこの気持ちを川の流れにゆだねるしかなかった。
いくら王といえど国民に対し、勿論少しの無理強いや命令を下した事だってもちろんある。だがそれは効率化や統率を図る為であって、決して恨まれる覚えの無いものだ。だから尚更わからない、脅しや規約違反など断じてやっていないし国民に対し自分なりに厳しくも優しく接してきたつもりだ。
問題点があるとすれば、あのコックが言っていた様にもう少し休みを取らせるべきだっただろうか。 ……いや、これ以上休みを与えても無能さが加速して付け上がるだけ。給料だって我ながら良い額を出していると自負している、それに見合わない仕事をしているのだから未払いにもなる。
それらの事を踏まえて出した結論が、「謎」の一文字だった。もう意味がわからない。どうしてこうなったのか。何故俺は今、縛られ流されているのか。
これが国民の為に血肉を焦がし働いてきた人間にやる事か……、……それは違う、一国の王に向かって集団で襲い、川に投げ捨てる行為を行った連中は国民でも何でも無い、最早ただの犯罪者だ。そうだ、あいつらは国に対し反逆した犯罪者だ。
不敬罪。監禁罪。殺人罪。暴行罪。遺棄罪。住居侵入罪。侮辱罪。騒乱罪。内乱罪。逃走罪。別途各種軽犯罪。これらを集計すれば、極刑にして余りある程の罪を犯した連中を、国民などと口が裂けても言えるものか。あいつらはれっきとした犯罪者に成り下がったんだ。
多分、俺は国作りに失敗したのだろう。育て方をまるっきり間違えたんだ。だからこんな馬鹿げた行為を、町中の人間が一致団結してまで起こした。国に帰った暁には、土の味を永劫浴びせ続け、年老く未来を消してやろうか。他の連中も同じだ、いつまた同じ事を起こすかわからないのだから、連帯責任で全てを消して、また一から始めてやる。この件に関してはさすがの温厚な俺も血管が切れる思いをしたのだ、覚えていろ国民、もとい犯罪者共。
……しかし、その前に現状をどうにかしない事にはどうすることも出来ない。川に流されているばっかりに呼吸が殆ど不可能に近い、他にも酸素不足とか胃に水が入り過ぎとかで、結構色々危ない。国民を恨むのは最優先として、次に現状を何とかするのを考えなければ。もしかすれば最悪死んでしま……、いはしないが、それでも、王である選ばれし人間が死ぬなんてありえない。ありえないが、これ以上流されれば帰ることが困難になるのは変わりない。さて、どうするか……、あ、もしかして反乱起こしたのは立ち退きが原因か? いやいや、あれは書庫作るのに邪魔だったんだから仕様が無かったんだ。王の権限の元でやったんだから問題は無い筈、理解もしてくれていた筈。何故か泣いていたがそれは関係が無いだろう。だとしたら他に思い当たる節は……。
……まったく考えすぎて胃に穴が開きそうになる。そもそも顔すら動かなくなるほどガッチガチに固めて、あいつらは何がしたかったんだ。王に対する報復なら、締め上げて吊るせば良いだけなのに、川に流すて。……まぁ、俺の力を恐れての苦肉の策なんだろうけど。
この拘束さえ無ければ力を行使した上で、あの犯罪者集団なんぞ片手間で滅ぼしてやるのに。身動き取れない程にギッチギチに固めてくれちゃって。今すぐ息絶やしに行けない事が残念でならない。本当に。
もういっそこの辺消し飛ばしてやろうか、こんな川消してしまって、俺専用のプールでも作ったほうがよっぽど合理的だ。水流を利用した、流れるプールの完成って訳だ。ははははは! 実にユーモア溢れる愉快な発想、これには自ら帽子を脱がざるを得な……、……何だ? 服が、何かに引っ張られている……。
次の瞬間には、もの凄い力に引っ張られる様にして、体が宙に舞った。水面を脱し、飛沫を四方八方に撒き散らしながら月の光を浴びる。どうやら俺は釣られたらしい。そう思ったのは、長い釣竿を持ちながら、アホ丸出しで驚いた顔をしている、一人の女と目が合ったからだった。