51話 『姉と弟は一緒にいる』
「喋る猫とは、奇怪な生物がいたもんでありんすワンな!」
「……そう、だね……」
喋る犬であるチャカ子が、コウの腕に噛み付いたまま言った。
「うーんよく分からんが猫って頭良いんだな!」
「……」
コウは感心したように頷いている。
莉羅は軽く溜息をつき、例の『日本・世界の童話全集(ヒアリングCD付き)』を改めて眺めた。
その分厚く重いハードカバーが小さな莉羅の手に持たれ、ますます存在感を増している。
「……本の世界に、引き込まれるのは……この本に、興味を持っている人……だけ」
だがテルミはともかく、桜は童話全集に興味を持つような性格では無い。
それにコウも……莉羅は、目の前にいるジャージ女の姿を確認する。腕にチャカ子をぶら下げたまま、何故かドヤ顔だ。
「……アホっ、ぽい……」
「うん!? どうしたちびっこ!」
やはりコウも、童話好きな乙女なんてイメージでは無い。断じて違う。
興味を持って絵本の世界に引き込まれた、というわけではなさそうだ。
「……と、すると……たぶん……」
莉羅は姉の顔を思い浮かべた。
彼女の持つ力が、今回の件に関係していそうだ。
強大な力と強大な力が近づくと、互いに影響を及ぼし合う。
この童話本に憑依している『病的なまでの想像力』自体、二つの能力が干渉し合って出来上がった力である。
おそらくは、桜が持つ大魔王の力に呼応し、本の魔法が混乱してしまったのだろう。
表紙を開いた時その場にいたテルミ、桜、コウの三人とも、興味のある無しに関わらず、本の世界に招待された。
「それに……大魔王の、力と……本の、魔法は……因縁、浅からぬ……仲……」
「えっ。難しい言葉使って、どうしたんでありんすワン。莉羅ちゃん?」
「ううん……何も……それより、めすぶた三号……」
莉羅はコウの顔を見た。
「……じゃなかった、伊吹紅……質問が、あるんだ……けど」
「なんだちびっこ! ん、あれ。今なんか一瞬悪口言わなかったか!?」
「気のせい……だよ……」
「そうか!」
莉羅は、絵本の中がどういう状況であったのかを尋ねた。
コウの返答によると、シンデレラ、赤ずきん、長靴をはいた猫……ほとんどの物語が、原作から大きく外れた展開になっていたようだ。
「やっぱり……大魔王の力で……暴走、している……」
難しい顔をする莉羅。
「それよりちびっこ! テルミと生徒会長は、俺みたいに帰って来れんのか!?」
「……全ての、ストーリーを……体験し終われば……現実世界に、戻る……けど……でも……」
今は魔法が暴走している。どうなるのか分からない。
莉羅は、不安げな顔で童話本の表紙を見つめた。
◇
絵本の世界。
テルミ達は結局、人魚姫の『本来とは違うハッピーエンド』を見逃し、次の童話にワープした。
気付くと、小さな板張りの家。
「……新しい世界みたいですね」
「あっテルちゃん! 良かった、またすぐに出会えて。ねえ、ここは何のお話?」
「僕も今来たところで、分かりません」
今回も最初から二人同じ時間、同じ場所からのスタートらしい。
テルミと桜は自分の服、そしてお互いの服をまじまじと確認する。
二人とも、くたびれて薄汚れた木綿着物である。
桜は、緑色の和服に、黒い粗末な袴。ベージュの角頭巾。まさに『昔話のおじいさん』。
テルミは、紫の和服に、朱色のもんぺ。まさに『昔話のおばあさん』。
「お爺さんとお婆さんみたいね。って、なんであたしがお爺さんなのよ!」
「さあ……なんで僕がお婆さんなのでしょうか……」
不満顔の姉弟。
だが今は、この役割を受け入れる他無い。
「しかしどうやら、今回は日本の童話みたいですね」
「そうね。何のお話かは分かんないけど」
この後、本来なら二人とも『本の魔法』の力で、ストーリー展開通りの行動を自然に取るはずであった。
だが今は魔法が暴走している。真奥姉弟は、次に何をすれば良いのか分からない。
桃太郎の老夫婦として、芝刈り洗濯をするべきなのか。
かぐや姫の老夫婦として、竹を取るべきなのか。
一寸法師の老夫婦として、子供を授かるよう住吉神社へ参るべきなのか。
笠地蔵の老夫婦として、笠を売りに町へと出かけるべきなのか。
「そういえば垢太郎や力太郎なんて話もあったわね。夫婦二人でお風呂に入って、身体の洗いっこする導入なの。テルちゃん知ってる?」
「はい。小さい頃に読んだ記憶があります……って、姉さんもしや」
悪い予感がしてテルミは半歩身を引いた。その予感は的中したようで、桜は不敵に笑っている。
「きっとあたし達は垢太郎の登場人物よ! さっそくお風呂でヌルヌルしましょー!」
桜はテルミの腕を引っ張り、抱き寄せた。
弟の顔が、姉の大きな胸に埋まる。
「ま、待ってください姉さん。別に垢太郎だと決まったわけでは……」
「あんっ……もう。そんなに慌てて喋るから、テルちゃんの唇が色んなトコに当たっちゃった」
「すみません姉さん、いやしかし……むぐ」
桜は、更に強くテルミを抱きしめた。
「うーんよく考えたら、この時代設定に石鹸はないかもしれないわね。まっそれでもヌルヌルのやりようはあるか。さあテルちゃん脱いで脱いで」
「脱ぎませんっ……!」
テルミは身を捻らせ、姉のバストから顔を引き抜いた。
「僕も姉さんも、別に垢は溜まっていませんよ。違う話ではないでしょうか」
「えっ溜まってないの? ちょっと見せてテルちゃん、ほら脱いで。見せて。脱ぎなさい」
「脱ぎません」
「もーテルちゃんったら、恥ずかしがり屋なんだから」
桜は諦め、手を離した。
自由になった弟から、呆れた視線を浴びせられる。
その視線に興奮し、桜はぞくりと肩を震わせ、満足顔になった。
「とは言え、この程度の満足じゃ元の世界には帰れないみたいね」
「……何についての満足かは分かりませんが……そうですね。『満足すればここから帰還出来る』と魔女さんはおっしゃってましたが。今回はそもそも何の童話なのかさえ分からないので、中々難しそうですね」
「そうよねえ」
桜は床に腰を落とし正座した。背筋を伸ばし、真面目に今後の事を考えてみる。
「閃光のなんちゃらは、ご飯食べただけで満足したみたいだけど。あたしら姉弟は、あの子みたいに単純じゃないからなー」
「はあ……あっいえ、コウさんは単純なお方では無いですよ。成績が悪いわけでも無いようですし……本人談ですが」
同級生をフォローしつつ、テルミも床に正座した。
「ねえテルちゃん。着物が古臭いからって、お爺ちゃんお婆ちゃんの役だとは限らないわよね?」
そんな姉の言葉に、テルミは頷く。
「確かにそうですね。昔は……いや、あくまでも童話の世界らしいので、史実は関係ないかもしれませんが……若い人がこのような地味な服装でも、おかしくないかもしれませんね」
「老人じゃ無かったとしたら、どんな役柄だと思う?」
桜は正座のまま床を擦るように動き、テルミに近づきながら話を続ける。
「例えばさ、牛郎織女のお話」
「牛郎……勉強不足ですみません姉さん。それはどんなお話ですか?」
「織姫と彦星のお話よ」
その言葉にテルミは「ああ」と得心した。それなら知っている。
ただ織姫も彦星も物語の主役なので、テルミ達がその役柄になる事は無いのだが。
「結婚した二人がえっちばっかりしてて、お仕事放棄しちゃって、神様に怒られるの」
「……誤解を招く表現がありましたが……概ねそのようなお話でしたね」
ふいに桜が、テルミの両手を握った。
指を絡め強く握る。
「ねえテルちゃん。あたし達も、えっちしちゃう?」
そう言って顎を引き、上目遣いで顔を近づけた。
「姉さん、いい加減に……」
テルミは眉をひそめ、突飛な発言に説教しようとし……
桜の眼差しを見て、台詞が飛んだ。
いつもの揶揄う表情では無く、真剣で、どこか寂しそうな瞳。
実の弟から見ても、魅力的に過ぎる姉の顔。
目を離せない。そして、言葉が出ない。
しばらく無言でいると、桜はやっといつもの顔に戻り、ふざけ半分で笑った。
「あははっ。冗談だよ」
そしてテルミは我に返る。
「……そういう冗談は、やめてください」
「怒んないでよ~。うりゃー!」
「わっ、姉さん……?」
桜はテルミの肩を掴み、無理矢理に寝転ばせた。
テルミの頭を、自身の太ももの上に置く。
その体勢はつまり、
「今日は、あたしがテルちゃんを膝枕してあげるね」
「しかし……」
「良いから良いからー」
困惑するテルミの頭を、桜が優しく撫でた。
真奥姉弟にとって、弟が姉に膝枕し耳掃除する事はあれど、姉が弟に膝枕するのは珍しいのである。
「ねえ、テルちゃん……」
弟の耳にそっと囁く。
「この絵本っぽい世界に来てからも、ついテルちゃんに甘えちゃってたけど……本当は、あたしがテルちゃんを守ってあげないといけないのよね」
「いえ、そんな別に……」
いつになく優しい姉。
どうしてだろうか。テルミの頭に、姉と遊んだ幼き日々の想い出がよぎる。
「ごめんね……大好きだよ、輝実」
「……僕も、姉さんが大好きですよ」
テルミは目を閉じた。髪に触れる姉の手。聞こえる自身の鼓動。
この世界に来て初めて、心安らかな気分に包まれた。
そして……
「ふふっ。良かった」
桜が微笑んだ。その膝の上には、もう誰もいない。
テルミは、絵本の世界から帰還した。




