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124話 『兄はチビっ子に甘い』

 教室に入るなり転んだ百合は、勢い余って前転。

 ぐるぐる回って机に衝突。

 机上に積まれていた教材本を、床へとまき散らした。


「先生!?」


 テルミといずなは驚き、百合に駆け寄り手を差し伸べた。


「だいじょぶ……大丈夫だから……オトナだしいい」


 涙目でテルミの手を握って立ち上がるチビっ子教師、二十六歳。

 彼女は最近実家を出て一人暮らしを始めた。が、別にそれで成長やら自立やらするわけでも無かった。世間とはそんな単純には出来ていない。

 子供先生は、相変わらず今日も子供っぽい。


「い、いけない。私はオトナなんだ、しっかりしろ! いつものようにクールな女教師ぶりを発揮しなければ……」


 百合は小さな声でそう呟いて、頭を軽く振って気合いを入れた。

 ちなみに、彼女の事を『クールな女教師』だと思っている生徒や同僚教師は一人もいないのだが……本人はクールに振る舞っているつもりなのだから、皆は優しい目で見守っている。


 ともかく百合は服に付いた埃を払いながら、咳払いをして醜態を誤魔化した。

 少し落ち着いた所で、何やら良い香りがする事に気付く。


「……くんくん。何か甘い……あっ」


 ふと、ぶつかったのとは違う机の上を見ると、可愛らしい一口サイズのカップケーキが三つ。

 百合は察する。「お菓子だ! これはきっと、真奥くんが作ったお菓子だ!」と。

 そして考える。


「食べたい……けれど、何て言おうか。ガツガツしたら『食いしん坊か!』って思われそうだし……ここは『やあ美味しそうなケーキだね。一ついいかい? フフッ』と、気さくなお隣のお姉さん風に言えば良いかな? それより『あら、とっても可愛いケーキ。食べちゃいたい』とセクシーなお姉さん風かな? いやいや私はあんまりセクシーじゃない……ワケでもないと思いたいけど……そもそも教師なんだからセクシーは駄目だ! って、結局どうやって言い出そう……」


 真剣な思慮。

 しかし、険しい目でケーキを睨み付けるその姿を見て、いずなは内心「食いしん坊か!」と思っていた。

 そしてテルミも、百合がケーキを食べたがっているとすぐに気付く。


「先生。お一ついかがですか?」

「えっ! 良いのかい!」


 テルミの方から言い出してくれて、百合は安堵と嬉しさで満面の笑みになる。

 ケーキを一口で頬張り、


「わああ。おいひいー」


 と更に笑み。クールなオトナぶるのを完全に忘れている。

 テルミといずなは、まるで親戚の子を見ている時のような気分になった。


「そ、そう言えば先生ぃ。お引越し、したんですよね?」


 いずなは小さなケーキを数口に分け食べながら、世間話を切り出した。

 百合は、テルミの用意した紅茶を飲みながら、


「うん……じゃなかった……ああ、私もそろそろ自立しようと思ってね」


 もう一度言うが、別に自立してはいない。


 掃除はほとんどせず、棚の上などは埃まみれ。

 着る物は必要なので、さすがに洗濯くらいはするのだが……雨の日だろうと晴れの日だろうと無関係に乾燥機を使うため、家計によろしくない。


「お料理とかも、自分でするんですかぁ?」

「えっ!? う、ううん……コンビニとか」


 食事は主に外食か、コンビニやスーパーの出来合い品。

 野菜ジュースも飲んでいるので、一応何とか栄養のバランスは保てている……つもり。


 しかし、オカン気質のテルミは百合の言葉を聞き逃せなかった。


「いけませんよ先生。成長期なのだからきちんと食べないと。出来合い品だけでは好きな物ばかり買ってしまって、どうしても栄養が偏ってしまうものです。自炊か、もしくは外食で頂いた物をメモしてバランスを考えましょう」

「あっはい……そ、そうだね。私もそう思ってはいるんだけど……」


 テルミはつい無意識に『成長期だから』と言ってしまったが、百合は気付かず、事なきを得る。

 いずなは気付いていたが、黙っていた。


 それよりも百合の食事についてである。

 彼女は言いづらそうに語り出した。


「本当は自炊したいんだけどね……でも私は恥ずかしながら、今まで料理らしい料理をしたことが無くて。人生で最新のクッキングは、十年以上前に中学校の体験学習で作った焼き芋……」

「そ、それは料理と言えるんですかぁ? あっ、ごめんなさいごめんなさい余計な口を挟んじゃってぇ!」

「いや良いんだ柊木さん。私はコンロでお湯を沸かした事も無いし……電気ポット持ってるから良いんだけど」


 百合は自分で言ってて、何だか悲しくなってきた。

 そんな、あからさまに落ち込み始めた百合の顔を見て、テルミの良くも悪くもある癖が顔を出す。

 それは「お世話したい」という欲求。


「先生。良ければ、僕がちょっとした家庭料理を教えてさしあげましょうか?」

「えっ! 良いのかい真奥くん!」


 料理下手から脱せる機会の到来。

 それも一番信頼している生徒である、テルミからのお誘い。

 百合はパッと顔を明るくし、小さな体でぴょこんと飛び跳ねた。


「ええ。ちょうど土曜ですので、さっそく明日にでもどうですか?」

「うん、私の家で! お願いするよ真奥くん!」

「えええぇぅ、せ、先生の家でですかぁ!?」


 二人の会話を聞き、青ざめ驚愕するいずな。

 何故いずなが驚いたのか。その理由に思い当たるまで、百合は三分程要した。

 



 ◇




 その晩。


「ダメよ、テルちゃん。許しません」


 テルミは、姉である桜に突然怒られた。


「……あの。何を許さないのでしょうか、姉さん?」


 テルミは今、自室座卓の前で正座になって勉強中。

 そこへ下着姿の桜が乱入し、背中に抱き付き胸を押し付けながら、唐突に「許さない」と言い出したのだ。

 そもそも優等生なテルミに、許す許されるような行いをした心当たりは無かった。


 桜は両手を伸ばし、テルミの胸や腹をゆっくり撫でながら答える。


「それはね。テルちゃんがムラムラして、お姉様を襲っちゃおうとしてる……ような気がしたからよ。もう、ダメよテルちゃん。あたし達は姉弟なのに、そんなえっちな事を考えちゃ……」

「考えていません」

「ああ、でも、あん……うん……そうね、テルちゃんの言う通り。弟をスッキリさせるのも姉の務め……」

「言ってません」

「分かったわ。お姉様の負けね。良いわよテルちゃん、その欲望をあたしにぶつければ良いじゃない。さあベッドへ」

「行きません」


 この辺で強く否定しておかないと、姉はいつまでも悪ふざけを続けてしまう。

 テルミは説教モードに入るため、「姉さん、そこに座ってください」と強い口調で言おうとした。

 しかし弟の変化を機微に察知した桜は、テルミが上記の台詞を口にする前に真面目な顔へと戻り、


「まあ冗談は置いといて。輝実、そろそろ武術の稽古をつけてあげるから、早く着替えて道場に来なさい」


 命令口調でそう言った。


 説教するタイミングを失い、何と言ったら良いものか迷うテルミ。

 桜は最後に弟の尻を一撫でし、部屋から立ち去った。


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