88話 『弟は狐に恋をしない』
「わっわっわっ!」
「あ、あの……キューちゃんさん?」
白面金毛九尾のキューちゃんは、テルミの髪、頬、腕、ちょっと言えない所まで、ペタペタと触り続けている。
「おい、それ以上真奥くんに触るのはやめたまえ、変質者!」
九蘭百合は教師の威厳を発揮し、キューちゃんを引き離そうと着物の裾を引っ張った。
しかしその子供並の体躯では巨乳お姉さんに太刀打ち出来るはずもなく、そして高級そうな着物に物怖じして本気で引っ張る事も出来ず、ただ小動物がじゃれついているような状態。
キューちゃんは子供先生を無視し、なおもテルミに触れる。
「そんな、どうしてわらわの……もう、もうなんやのもう! もう! もーう!」
「キューちゃんさん、落ち着いてください」
狐はヤケになり、ポカポカとテルミの胸を叩き始めた。
テルミは困惑し、ただただ苦笑い。
その間も百合は「やーめーろー!」と九尾にしがみ付く。
「なんやねんもう! もう! なんでわらわの魅了が効きひんの」
「チャーム……? そうか、僕にあの魅了の術をかけようとしていたのですね……しかし何ともないのですが」
失敗してしまったのだろうか?
テルミは推量する。
だが『持ち主の死後も世界に残る』程の大きな力。しかもこのキューちゃんは、それを何千年も使い続けて扱いには慣れているらしい。
そんな簡単に失敗なんてするものなのだろうか?
「なんで何ともないんどすか!? おかしいやろ! おかしいやろ!」
そしてキューちゃんも考えていた。
どうしてこの少年には妖術が効かないのだろうか。
いつも夢の中に出てくる勇者チェルトに顔が似ているから……いやそれは無関係だろう。
そもそもチェルトに魅了の魔法はきちんと効いていた。ただ特殊な状況と勇者の不器用な愛情表現方法により、あたかも効いていないように見えていたのである。
となると、この少年も我慢しているだけなのだろうか?
「ねえ~んお兄はん。わらわと気持ち良い事……してみいひん? チラッ」
キューちゃんは試しにエロい挑発をしてみた。着物をわざと崩し、豊満な胸元をさらけ出す。
更に両手でテルミの右手の平を握り、胸元に引き寄せた。
もし我慢しているだけなら、これで完全に理性を失うはず……なのだが、
「えぇーと……あまり、そのような行動をなされない方が良いですよ」
いくら絶世の美女とはいえ、突然の痴女的行動にテルミは若干引いてしまった。
その痛い物を見るような視線に、キューちゃんはショックを受ける。
「なんやの! もう、なんやの! 言い損やん!」
「落ち着いてください」
一方、九蘭百合は混乱し、
「き、きききき貴様はにゃにを言っているんだ、この……この……おまわりさーん! 来てー!」
と喚いている。
そんな子供先生の言葉をスルーしつつ、キューちゃんは「もうもうもーう!」とムキになって再びテルミの体を撫で回した。
ここではっきり述べておくと、テルミは勇者のように我慢しているわけでは無い。そこに誤魔化しや愛情表現の屈折等も存在しない。
本当に『効いていない』のである。
その理由は、とても単純……
◇
「くちゅんっ!」
生徒会室。
次期生徒会選挙をどのようなスケジュールで遂行していくのか、という重要な会議中。
傲慢高飛車お嬢様女王様な現生徒会長こと真奥桜が、そのキャラクターらしからぬ可愛らしいクシャミをした。
「なんとお! 桜さまがおクシャミ遊ばされました!」
「大変大変大変! 桜さま、お風邪?」
「クーラー、切りますねー」
「ううぅ……きっと私が遅れて来てドアを無駄に開け閉めしたせいで埃が舞って、桜さまの鼻腔をくすぐってしまったんですぅ……土下座してお詫びしますぅ……」
一斉に騒ぎ出す生徒会メンバー。
桜は一旦溜息をついた後に、胸をふんぞり返して取り巻き達を黙らせる。
「おちつきなさい。特に柊木さん、土下座なんてされたら逆に迷惑ですことよ」
「は、はいぃ……すみません。じゃあ断髪をぉ」
「やめなさい」
被害妄想ならぬ加害妄想に苛まれている柊木いずな。
まあそれはいつも通りなので、一応ツッコミを入れたがそれ以上は言及しない生徒会メンバーである。
「ああ、でもでもでも! 桜さまはクシャミしてもサマになってますね!」
「分かるー。美しく凛々しい中にも可愛さがあるねー」
「ですね! クシャミクイーンですよー!」
取り巻き達が色めき立っている。
桜は澄ました顔で腕を組み、我関せずと聞き流すポーズをしているが、内心は、
「これは褒められているのかしら? それとも馬鹿にされているのかしら?」
と複雑な気分である。
そしてクシャミの話題もそこそこにして、会議は続いていく。
「やっぱやっぱやっぱ! 次の生徒会長は桜さまの弟さま、輝実さまがしっくりかも」
「ああああそうですねー! 良いですねえええ! それ!」
「えー。輝実さまは家事とか忙しいらしいしー、断られそうな気がするー」
「て、テルミくんが会長になったら、私が補佐になって……えへへ……はうぅ、ぶ、分不相応ですみませんん!」
好き勝手にわいわい話し合い、本人がおらぬ間にテルミが担ぎ上げられそうになっている。
桜は何も言わず偉そうに座っていたが……ただ姉としても、きっと弟は生徒会長にならないだろうなと思う。まず本人が拒否するだろうし、そもそもまだ一年生のテルミには誰も投票しないだろう。
現生徒会もしくは新たに立候補する二年生から選ばれるはずだ。
まあ桜自身は一年生の時から生徒会長だったが、それは特殊な事例。
自分は非常に優秀かつカリスマ性があるから、一年生の時点で生徒達の頂点に立つのも必然だったのだ……と、自信たっぷりに心の中で自画自賛している桜であった。
「ああ、それにしても後任なんてどうでも良いから、そろそろ帰りたいなあ」
桜はクールでツンとした顔をしながら、無責任な事を考えている。
「それにしても、生徒会長の任期終わったらこれから放課後が暇になるわね。受験ももう推薦でほぼ確定してて、勉強頑張る必要も無いし。武術やヒーロー活動の時間を長くしようかな? それともテルちゃんのお尻を揉んだり、あたしのを揉ませたり、校舎裏でイケナイ事して遊ぶ? ああでもテルちゃんは清掃部の活動があるから駄目か。忍者……ちびっこ先生が邪魔で、二人きりになれないしね」
もう完全に会議とは無関係な思案に暮れている、桜であった。
「でも昨日は、お風呂でテルちゃんとイチャイチャラブラブぬちょぬちょグチョグチョして楽しかったな~。ドサクサに紛れて何度もチューしちゃったり。また今夜もやりたいな~、やろうかな~。よし決めたヤる!」
裸で抱き合うのはともかくとして。
ここでやっと本題、つまりどうしてテルミに魅了が効かないのか、という話題に戻るとする。
それに関して重要なのは、『昨晩、姉弟の唇が触れ合っていた』という事実だ。
以前も桜は弟の唇を奪い、他の女に惚れないようにしていた。
あの時と同じだ。ただ今回の場合、桜は無意識にやってしまったのだが。
口付けを交わした事で、今のテルミには桜の存在が強く印象付けられている。
それは家族愛や異性愛などを超越した、特殊な感情。特殊なパワー。
テルミの心に刻まれているのは、
――大魔王の、魔力である。
その強大すぎる魔力に守られているため、現在のテルミに精神操作系の力は効かない。
例えそれが女帝カルドゥースが所持していた『世界に残る程の力』だとしても。
大魔王より強い力など、存在しないのだ。
◇
そんな理由を知るはずも無いキューちゃんは、
「なんでやのん!? なんでやのん!?」
と、テルミの胸をポカポカと叩き続けていた。
「だから落ち着いてください」
「もうもうもうもう!」
「おいこら、真奥くんから離れーろーよー!」
百合も相変わらず九尾の着物を引っ張り、そして無視されている。
そんな中、ふとキューちゃんは手を止め、一歩下がりテルミから離れた。
突然力の向きが変わった事で、百合は転んで尻もちをつき「うにゃあん!」と叫ぶ。テルミが慌てて教師へ手を差し伸べた。
「なんやしんどうなってきたわ。怒ったらお腹空いてきたし。このアホニンゲン、あんたが責任取りい!」
「何の責任でしょうか?」
「お腹空いた言うてんの!」
「そうですか」
急な無茶ぶりに対し、テルミは背負っている鞄を下ろし中に手を突っ込んだ。
「喉飴ならありますが」
「いらひん。わらわはせやなあ、お揚げが欲しいどす」
「……」
そしてテルミと狐、ついでに子供先生は、三人でファミレスへと行くのであった。




