富士総合火力演習の謎
第1回は昭和36年から始まって、今にいたる総合火力演習ですが、昭和40年代始めまでは一般には非公開でした。
この演習が始まったきっかけはなんと、、、
わがつるかめ戦闘団にも参加された古強者が語る「富士総合火力演習に秘められた過去」です
昭和36年から続く陸上自衛隊の展示訓練です。
しかし、実は元々はこのような訓練はなかったのはなぜでしょう?
答えは簡単です。
実は第1回目は「演習ではなく実戦そのものだった」のです。
そしてその事実を欺瞞するためのカバーストーリーが2回以降の総合火力演習なのです。
第36施設介護中隊「伊丹荘」にご入居されているJさんの居室にお邪魔した時のこと。
古いアルバムを見せて頂くと、富士の裾野で走る61式戦車。写真の説明はまさに1961年、61式の制式採用の年である。くたびれた61式しか見たことのない田中1尉には新鮮に映る「できたてほやほや」の61式である。
その他、M3やM4等の写真、富士山が映るのでなければ全く朝鮮戦争?って感じ。
あのつるかめ戦闘団にいたじい様達も若かかりし頃の姿を残されている。
そしてめくっていくと、戦車の残骸の写真、があった。
おかしい、なんかおかしい。
てっきり射撃標的になった戦車と思いきや、よく見ると、溶けてる箇所がある。場所は富士山。
戦車を溶かす熱量は何から来たか?
さらに驚きとなったのが、車両の周りの草が一部だけ焼けている。
一瞬思った核実験の標的でもない。
「この車両はここで大きな熱量を受けたのだ。」驚く彼の顔色で気づいたのだろう。
「やはり気づくよな♪」「こいつは一体?」
「今風なら、指向性エネルギー兵器とか言うんだろうな。それでやられたんだ。」
「何の実験だったんですか?」
「実験ではない。実戦だよ。」
いたずらがばれた子供のような笑顔をされてますが、ついていけない田中さん〜
「何と、まさかこれだけの指向性エネルギー兵器を当時もっとるなんて」「ワシらも知らん、知りたくもない。あの時現場にいたものはみんな、この話は墓場まで持ってく約束じゃったからな」
あれは今の総合火力演習やっとる夏の日だった。お盆休みについて前段にとったワシたちは富士で最新式の61式の試験、に関わっていた。
生産型に至るまでは意外と細かい部分に変更があったな。
どちらかと言えば、費用が問題になったり、とかで変えたのも多かった気がする。
さてそんな車両だが部隊配備前にいろんなテストで問題点を洗い出さないと大変になる。
いろんな状況を想定、走らせたりしたもんだ。
そんな夏の夕方、ワシらの戦車の上を何か光る物体が飛んでいくんだ。
ワシは飛行機も好きだからいろんな飛行機の識別できたが、どうみてもそいつは光るものとしか見えない。第一、ぺらやエンジンの音も聞こえない。そしてしばらくしたら、その光るものは500メートルあたり向こうに降りた。降りたら光は消えてなんか箱型のものが降りてる。
双眼鏡や61式の照準機で見ると壁が倒れて開くとなんやら人型のもんが降りて来る。
何年かあとに、アポロが月に降りただろ?あれみたいだったな。
なんか白い人の形みたいなのが周りをぐるぐるしてる、その様子もアポロみたいだった。
ワシはその時は試験中の61式の砲手だった。さまざまな距離で撃ったり、とにかくデータの蓄積が大事だった。
その時はワシや同じ戦車の乗員も皆、あっけにとられてたんだ。
でしばらく奴らがうろうろしてるの見てたんだが、近くに民間人の姿が見えたんだ。
それに気づいた奴らもそちらへ向かうんだが、民間人は腰を抜かしてか、逃げれないんだ。
しかも女らしい。
どうやら山菜か何かとりにきてでくわしたんだろうな。
それを見てたワシらは、「逃げろ」と叫んだりしてたんだが、動かんので「こいつで行きましょう!」と戦車に飛び乗ったんだ。操縦士は運よくすでに乗ってたし、車長、装填手もすっかり乗り気だ。近くにいた三菱の社員さんには、ジープでとにかくみたままを報告するよう頼んで全速力で突っ込んでく。
白い連中はこっちに注意しだして、女のほうからは注意がそれた
そこで、車長と話して、さらに誰かが女の反対側に降りて注意を引き付けることにした。
この場合、動きやすい装填手が降りてくれたんだ。今から思えばよく丸腰で行ってくれたと思うよ。戦車自体は試験中で弾は積んでるが乗員は丸腰だからな
意外な展開みせる「未知との遭遇」です




