勇者(ヘタレ)と魔王候補(ヒメ)・2
船を降りた瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走った。
何かに飲み込まれるような恐怖に、ドキドキと心臓が音を立てる。悪寒は一瞬で過ぎ去ったけれど、煩く鳴っている心臓が気のせいではないと主張しているみたいだった。
「どうした?」
怪訝そうに振り向いたジェイクさんに声をかけられて、慌てて首を振る。
傍に駆け寄って、気付かれないように深呼吸をするとだいぶ落ち着いてきた。
うん、気のせい。最後の試練で緊張してるだけだ。
自分に言い聞かせて顔を上げると、今まで見た事のない光景に「ひえ」と小さく声が漏れた。
港にいる人たち。と、おそらく精霊。
ふよふよ、ふわふわと泳ぐように、透けている動物や人の姿がそこかしこに見える。中には物や人を楽しそうにすり抜けている精霊までいて、ちょっとした恐怖映像だ。
「おい」
不機嫌な声が降ってきた。
ジェイクさんが、いつもより据わった目でこっちを見下ろしている。これは、あれだ。機嫌悪いですね、はい。
「俺が言ったことを覚えてるか?」
「は、はい! 勿論です!」
コクコクと激しく頷くと、ジェイクさんはうなずいて歩き出した。
ほっとしながらも、船の中でほぼ強制的に結ばされた約束を思い出す。それは、精霊が見えることは黙っていろ、だ。……いや、これ約束じゃない。命令ですね。
どうしてか聞いてみたけど、そこは完全に黙秘されました。なんでですか。理不尽だと思うのはおかしいでしょうか。
いや、守りますけどね。守らなかったらどうなることやら。黙っているのは勿論、誰かにばれても危険な気がする。なるべくきょろきょろしないようにしないと。……精霊がぶつかってこないといいなぁ。
そんな事を思いながら歩いているのに、なぜか近くを通る精霊たちがこっちに視線を送ってくる。平常心、平常心。いたるところから刺さってくる視線を気にしないように、ジェイクさんの後ろを歩く。
『ねえ、あの子……』
『きっとそうだ』
『間違いないよ』
ぼそぼそ話す声が聞こえてくる。き、気にしない。気にしちゃだめだ。
近くに精霊が一人? 近付いてきた。白く透けた小さな男の子の様な姿をしている。
『ねえ、聞こえてるでしょ? 僕の事、見えるよね』
聞えません! 見えません!
無視して歩くと、隣をふわふわとついてきた。こ、来ないでぇぇ!
『ねえ、ねえって』
しつこく食い下がる精霊に、別の精霊が近付いてきた。水色に透けた女の子の姿をしている。
『見えてないんじゃない? 覚醒してないとか』
『そんなことないよ。見えてるはずだよ』
男の子の精霊は、ぷぅっと頬を膨らませると、何を思ったか急に両手をわたしの顔に突き出してきた。
「うひぁっ!」
突然の事に思わず声をあげて立ち止まる。
『ほらね! ねえ、なんで見えないふりしてるの?』
「どうした?」
わたしの奇声に怪訝そうな顔で振り向くジェイクさん。わたしは彼の手を掴んでその場から逃げ出した。
『あっ! ねえ! 待ってよ!』
男の子の声が追いかけてくるけれど、気にしてられない。無視する罪悪感よりジェイクさんの命令を破る方が怖さの方が勝る!
全速力で建物の陰に逃げ込むと、男の子の声はどこかに消えていた。
「どうした?」
肩で息をしていると、ジェイクさんが不思議そうに首を傾げた。
「す、すみません。精霊に、声をかけられて。しつこくて、つい声を出しちゃって。で、でも逃げてきました!」
眉間にしわが寄るのを見て、慌てて付け足すとはぁと深いため息をつかれた。
「……いい。とにかく城に行く。さっさと済ませて帰るぞ」
「は、はい!」
怒られなかったことに安堵しつつ、違和感も覚える。
なんでそんなに急いでいるんだろう。この国に長居したくない理由でもあるんだろうか?
首をひねりつつ、彼の後を追いかける。
この時は、わたしがこの国に深く関係しているなんて思ってもみなかった。少なくともセレナ国の国王様に会うまでは。




