勇者(ヘタレ)と魔王候補(ヒメ)・1
――なんだ、ここは。
男は驚愕に目を見開いた。
他の者に比べたら特殊な生い立ちをしている彼は、色々な国にも行ったし変わった人にも出会ったことがある。しかし、その部屋はこれまで見たどんなものよりも異様な場所だった。
そこは『何もない』のだ。
窓も扉もなく、床も天井も壁も統一されたように白い。小さな机と椅子とベッドも、全てが白く、色さえ失われてるように思えた。
「貴方は、どなたですか?」
声をかけてきたのは、小さなベッドに腰を掛けている若い女だった。部屋と同じく真っ白く、何の装飾もないワンピースを身に包んでいる。素朴な格好で、化粧も施している様子もないが、そんな事も気にならないほど美しい女だった。
滑らかな真っ白い肌。床にまで届く長い艶やかな髪。長い睫毛に縁どられている、夢を見ているような紫色の瞳。
思わず見惚れてしまった男に、彼女はこてんと首を傾げ、彼とは違う方向に目を向けた。目をそらされたことで男はやっと我に返った。
「俺は――」
「あら、魔族の方だったんですね」
彼が返事をする前に、彼女は両手を合わせてどこか嬉しそうに言った。
「魔族の方、初めて見ました。お客様が来るのも初めてだけど――あら、お客様が来たらどうしたらいいのかしら?」
彼女はまた別の方向を見て、まるで誰かがそこにいるかのように尋ねた。
不審に思う男の前で、そうなの? とか、あらまあ、とかころころと表情を変えて相槌を打っている。放置されているうちになんだか面白くない気分になってきた男は、おい、と声をかけた。
「お前が愛姫か?」
声をかけられたことに驚いて振り向き、女は男に微笑んだ。
「そう呼ばれていますね。あなたはどうしてここへ?」
「愛姫とかいう奴の顔を拝みにな。だが、ここは一体何なんだ? 何にもないにも程があるぞ」
「そうなのですか? わたしは生まれてからずっとここにいるので、変わっているのか分からないのですが」
「は? ……ちょっと話を聞かせろ」
「まあ、わたしとお話ししてくれるのですか?」
楽しそうに会話を楽しむ彼女の話を聞きながら、男は知りたかった疑問の答えが全て解けていくのを感じた。そして同時に怒りが湧いてきた。
「ここから出るぞ」
「え?」
おもむろに差し出された手を見て、彼女は目をぱちぱちと瞬かせた。
「お前がここにいる必要はない」
「そんなことはないです。わたしには役目があります」
「役目の事は置いておけ。それより、お前がやりたいことはないのか?」
「わたしが?」
「俺がお前のやりたいことを叶えてやる。草の上を裸足で走るのも、湖で泳ぐのも、空を眺める事も。全部叶えてやるよ」
「わたしのやりたいこと……」
吸い寄せられるように手を指し伸ばしたが、その細い指が男の手に触れる前にぴたりと止まった。
「……わたしには、役目が」
言いかけた女の手を掴み、男は細い体を腕に抱きこんだ。
「そんなに気になるのなら、俺がその役目を果たしてやる。代わりに、お前は俺と一緒に来い。空っぽな顔で笑うな」
女はしばらく躊躇した後、男の腕の中で小さく頷いた。




