勇者(オネエさん)と少女(相棒)・16
パキンッ、という金属が砕ける音が室内に響いた。
「なんてことを!」
シアさんがベルグ様に手をかざすと、強い突風が彼を襲った。勢いよく壁に叩き付けられ、ぐったりと動かなくなる。
「嫌、駄目! 駄目です、ハロルド様!」
ココちゃんの悲鳴のような叫び声が聞こえた。
振り向いたわたしの目に映ったのは、床に倒れているハロルドさんに縋りつくココちゃんの姿だった。
足が床に張り付いたように動けないわたしの横を、ジェイクさんが通り過ぎる。
「邪魔だ。どけ」
ジェイクさんに乱暴に押しのけられたココちゃんは、起き上がる気力もないのか床にうずくまったまま叫び声とも泣き声ともつかない嗚咽をもらしていた。
触れていいのかもはばかれるほど悲壮な様子に戸惑いながらも、ココちゃんに近付いてその肩を抱きしめる。先程、一国の王に歯向かう威厳に満ちた姿を見せていた少女とは思えないほど、ココちゃんは弱々しく震えていた。
ジェイクさんは倒れたハロルドさんの首筋に手を当て、口元に耳を寄せている。
「ジェイクさん……ハロルドさんは」
「まだ息はある」
ただ、とジェイクさんは淡々とした声で続けた。
「今はまだな」
「っ!」
動揺するわたしに対し、ジェイクさんはいつもと変わらない表情で床に転がっていた指輪を拾った。持ち上げると、パラパラと紫色の破片がこぼれた。
「ジェイクさん! どうにか、どうにかならないんですか?」
「どうしようもないな」
ジェイクさんが指輪を放り投げてくる。慌てて受け取った指輪には、多少紫の石の破片が残っているだけだった。あまりに軽くて、これが人一人の命と同等だとは思えなかった。
「石をどうにか直せばなんとかなるかもしれないが、専門外だ」
「それなら、誰かに直してもらえば!」
「誰に?」
答えに詰まったわたしに、シアさんがゆるゆると首を振る。
「指輪に使われているのは魔法石よ。王宮付きの魔導士にしか扱えないわ……。例え魔導士がいたとしても、壊れた魔法石を戻すことは人間には不可能だわ」
「そんな!」
「……いいのよ、ジュジュちゃん」
微かな声は、ハロルドさんの声だった。ココちゃんにもその声が聞こえたようで、わたしの腕を振り払って彼に駆け寄る。
苦しそうな息の中、ハロルドさんは優しく笑っていた。
「ごめんなさいね。貴女にそんな顔をさせるつもりはなかったんだけど……。ジェイクも悪かったわね」
「理解不能だな」
ハロルドさんの言葉に、ジェイクさんがつまらなそうな声で答えた。
「国やら忠義やらそんなに大切なものか?」
「ホント、勇者とは思えないセリフねぇ」
クスクス笑うハロルドさんだけれど、口調に似合わず余裕はなさそうだった。荒く息をつきながら、なんとか声を振り絞って出している状態だ。無理に話さない方が良さそうだけれど、割って入れる空気じゃなかった。
「あたしには自分より守りたいものがあった、それだけよ。今のあんたなら、ちょっとくらい分かるでしょ?」
ハロルドさんに言われて、ジェイクさんの目がわずかに動揺したように揺れた。ハロルドさんはちょっと笑って、目を閉じた。ぐったりとしたハロルドさんは、呼吸をしているかさえ分からなかった。
「……ジュジュ。あなたならできるかも」
「シアさん?」
「トイを呼んで。トイなら魔法石を直す事ができるわ」
「トイさんを?」
「早く! 時間がないわ」
呼ぶって、どうやって?
シアさんは、早くと急かしてくるし。でも、確かに早くしないとハロルドさんが……。
「と、トイさん!」
「もう一度! トイの姿を思い浮かべて!!」
「トイさんの姿って……」
見てないんですけど! でも、呼ばなくちゃ!
トイさんは……姿は分からないけど、温かくて穏やかな感じで、でも少し悲しい色が見えて。
「トイさん」
お願い、来て! 助けて!
「――呼んだか、ジュジュ」
聞き覚えのある声。
いつの間にか閉じていた目を開けると、複雑な刺繍が施された足元まで届く長い衣服に身を包んだ男の人が立っていた。濃い茶色の長い髪を一つにまとめた、穏やかそうな顔の人だ。その顔を見た瞬間、この人がトイさんだと分かった。
「まさか――どうして」
動揺するココちゃんを遮って、シアさんがトイさんに近付く。
「トイ! ハロルドの石が壊されたの。貴方なら直せるでしょう!?」
「ああ」
トイさんは短く答えると、床に転がっていた指輪を拾い上げた。同時に、砕けた欠片が浮かび上がって吸い付けられるように指輪に近付いてくる。
ピキピキという音をたてながら、石が次第に修復されていく。最後のヒビが薄くなって消えた。みんなの視線が、倒れているハロルドさんに向かう。
「ハロルド様……?」
ココちゃんが恐る恐る触れると、ハロルドさんから僅かな吐息が漏れた。トイさんをみると、彼は穏やかに微笑んでいた。
「トイさん! ありがとうございます!!」
「いや、わたしは君に助けてもらった。君を助けるのは当然のことだ」
「ジュジュさん!」
突然、ココちゃんが腕に飛び込んできた。ぎゅうっと強く抱きしめられる。
「ジュジュさん……愛姫様! ありがとう、ありがとうございます」
「え?」
途中、別の名前で呼ばれた気がして聞き返したけれど、ココちゃんは泣きながら何度もありがとうを繰り返すだけだった。
でも、酷く震える手と体を感じているうちに、そんなことよりもハロルドさんが助かったことの喜びの方が強くなってきた。
「ココちゃん。良かった。良かったです」
抱きしめ返すと、ココちゃんは腕の中で何度も何度もうなずいていた。




