勇者(オネエさん)と少女(相棒)・8
「エミル、だったな」
「ひっ!」
心臓が口から飛び出たかと思った。
扉の方を見ると、ベルグ様が立っている。いつからそこに!? 指輪取るの見られてた!?
焦っていると、ベルグ様はゆったりとした足取りで近付いてきた。うわあああ! まずいまずい!
「あああの」
「ルーシェル伯爵も人が悪い。このような可愛らしい娘がいるのなら、もっと早く紹介しても良かったものを」
なあ? と同意を求められ、困惑しながら曖昧に微笑む。
あれ? 指輪を取ったのばれてない?
ほっとすると、ベルグ様の手が頬に触れて、ぞわっと悪寒が走った。
「え、ええと、あの、ベルグ様?」
「なんだ?」
「あの、掃除がまだで。すみません」
「ああ、そんなことは後で構わん。それに」
え? と思う間もなく、視界が反転する。
ぼふっと背中に柔らかい感触があたり、見下ろすベルグ様の顔が見えた。
あれ? ……あれえ?
「えっと、あの、え?」
「どうせまた乱れるのだ。終わってからで構わないだろう?」
構いますよ! これは、これは流石にまずい! さっきとは違う意味でまずい‼
焦って起き上がろうとすると、両手を掴まれてベッドに戻されてしまう。
「あああああの! わた、わたしは女中見習で!」
「何を怯えているのだ。ふふ、そういう所も可愛らしいな」
ひいい! 怖い! 気持ち悪い‼
ベルグ様は何が楽しいのか、嬉しそうに目を細めると、顔を近付けてきた。
声にならない悲鳴を上げた時だ。
バタンッ! と激しく扉が開いた。
ベルグ様が怪訝そうな顔で扉を見る。
そこには、背の高い女性が立っていた。白茶の長い髪を後ろに束ねた、手足の長い凄く綺麗な人だ。その人の氷の様な青い目は、ベッドに押し倒されているわたしを捉えると、一層鋭く冷たくなった。その視線で、彼女――いや、彼が誰なのかを理解する。
固まるわたしを置いて、ベルグ様はまだ不機嫌そうな表情を崩さずに「誰だ?」と尋ねた。
彼――いや、彼女? は、ベルグ様に対して美しい礼をして見せた。
「お初にお目にかかります、陛下。わたくしはルーシェル家の長女、フィリア・ルーシェルと申します。妹の仕事ぶりを拝見に来たのですが、随分と良く働けているようですね。安心いたしました」
美しく微笑む顔に、恐怖が押し寄せる。目が! 目が笑ってない‼
けれど、ベルグ様はそのことに何も気が付いていないようだった。ほう、と感心したように笑う。
「ルーシェル伯爵の娘の割に、随分物分かりが良いようだな」
「この国に生まれた以上、誠心誠意陛下に尽くすのが貴族の役目ですから。ねえ、エミル」
「ひっ、はいっ!?」
「つきましては、陛下。この薬を服用してくださいませんか?」
近付いてきた彼女に差し出された小さな小瓶を、ベルグ様は不審そうに見た。
「これは?」
「避妊剤です。貴族の務めとはいえ、さすがに妹に陛下の子ができてしまうのは偲びありませんので。この薬さえ飲んでくだされば、いかようにもしてくださって構いません」
そう言って、彼女は毒見とばかりに小瓶の中身を少量口に含んで飲み下した。
微笑みながら渡された小瓶を、ベルグ様はじっと見つめ、また彼女を見てから、全て飲み干した。
「さあ、これで文句はないだろう」
「はい。では、良いひと時を」
……って。
ええー! 本当に帰るの!? うそでしょ!
扉が無情に閉まるのを、呆然として見ていると、「さあ」とベルグ様がぞっとするようなねばついた声をだした。
ややややばい! なんか目がとろんとしてるよ‼
「へへ陛下! とと、とにかく待ってください!」
「なんと可愛い娘……だ」
「ぐえ」
突然ベルグ様が倒れてきた。
な、なに? 何が起こったの?
混乱していると、またバンッ! と扉が開いた。扉の先には、先程の女性……に扮したジェイクさんが。一難去ってまた一難ですね! 目が据わってますよ!
ジェイクさんは無言のまま近付いてくると、ベルグ様を足蹴にしてベッドから転がり落した。って、相手王様ですよ! さすが帝王様!
「あああの、ジェイクさ」
「だから言っただろ。安請け合いするな」
冷たい声に、一気に混乱が収まった。
安請け合いするな。わたしがハロルドさんの依頼を受けた時、ジェイクさんに言われた言葉だ。でも、いつも他の人に助けてもらってばかりなのが嫌で、自分でできる事は自分でやりたくて、ハロルドさんからの依頼を受けた。その結果がこれだ。
結局、わたしは誰かに助けられてる。
情けなさと申し訳なさと、それから安心感が押し寄せてきて、涙が出てきた。
「ごめんなさい……また助けてもらっちゃいました」
「助けたわけじゃない。お前は俺の所有物だろ」
「……はい」
「いいから行くぞ。あの変態の醜態を見たくない」
「え?」
顔をしかめたジェイクさんの言葉を聞いて、思わずベッドの横で倒れているベルグ様に視線を受ける。
ベルグ様は、にやついただらしない表情を浮かべながら何か呟いている。
「うえっ!?」
「今頃、お前を抱いている夢を見ているはずだ。気持ち悪い」
ばっさり言い切って、わたしの手を掴むと部屋を出た。
「あの薬、ジェイクさんも飲んでましたよね? 大丈夫なんですか?」
「少量だから問題ない。幻覚薬なら毒でも軽い方だ」
「そうですか……」
ジェイクさんはなんだか怒っているようだった。いつもより硬い表情で、強い足取りでわたしが割り当てられた部屋に直行する。
「って、なんでわたしの部屋知ってるんですか!?」
「お前の姉として入り込んだんだ。当然だろう」
部屋に入ったジェイクさんは、邪魔くさそうに鬘を取り、服を脱ぎ棄て始めた。
綺麗に筋肉のついた上半身に、慌てて視線を逸らす。
「ちょ、いきなり脱がないでください! 誰か来たらどうするんですか!」
「大丈夫だ。お前は今ベルグに可愛がられている事になっているから」
「そ、れは……」
最後に見た光景にぞっとしていると、ふいに視界が陰った。
顔を上げると、至近距離でジェイクさんがいた。
「ちょ、近!」
「風呂に入ってこい」
「え?」
「あの変態の臭いがする」
マジですか。
確かに、触られた感触も残ってて気持ち悪いけど。
「でも、ジェイクさんを残していくわけには」
「俺は寝る。それとも入れてやろうか」
「入ってきます!」
分かってた。ジェイクさんの指示に抗えるわけないって分かってましたよ!
でも、ちょっとだけでも言い返したい。
「……ジェイクさん。見事な美女でしたね」
「……さっさと入ってこい」
ふいっとそっぽを向いたジェイクさんに優越感を持つ。やっぱり女装は不本意だったんだろう。すごく似合ってたけど。
でも、やりたくないことをやってまで来てくれたんだよね……。
「ジェイクさん、ありがとうございました」
背中に声をかけるけど、わたしのベッドに当然のように潜り込んだジェイクさんからの返事はなかった。
――と、素直に感謝した数分後のわたしは、すでに後悔しています。
「だから、なんで抱き枕!?」
「うるさい、寝ろ」
「寝れませんよ! まだお昼ですし‼」
上半身裸のまま抱き着いてくるジェイクさんに、小声で文句を言い続ける。大声出したら誰が来るかもしれないし! でも、なんかいつも以上に距離が近い気がするんですけど‼
恥ずかしくって顔が真っ赤だ。
想像でもお前が誰かに抱かれていると思うとむかつく。言い合いの中でそんな言葉が返されて、どきっとしたのは気のせいです!




