勇者(にもつ)と女性騎士(うんそうや)・2
説明文が多いです。
潮の匂いを含ませた風が、顔に吹き付けてくる。飛んでいきそうなフードを押さえながら、わたしは初めて見る船上の景色を楽しんでいた。
目に映るのは、青い海に青い空。頭上では何羽かの白い鳥がキュウキュウ鳴きながら飛び交っている。
「雷翔。すごいね! 気持ちいい!!」
「その感想ばっかだな」
隣で船の手すりに寄りかかっていた雷翔は、呆れたような笑みを浮かべた。
「あんまり目立つようなことはすんなよ?」
「う、わ、分かってるよ」
「遅れをとるつもりはねぇけど、ここじゃ俺も自由に動けないからな」
雷翔が左手を眺めながら呟く。雷翔の左腕は、肩から指先までしっかりと白い包帯がまかれている。それは怪我をしているわけではなくて、彼の力を抑える為のものだ。
短い黒髪に、つり上がり気味の目。健康的に日に焼けた褐色の肌。どう見ても人間に見えるけれど、雷翔は魔族だ。
雷翔の一族は巨大な腕を持っていて、それを武器に戦うことが出来る。勿論雷翔もその特徴をもっているんだけれど、ここは人間の領域。人間から見て“異形”と言える姿をさらす事は危険に繋がる為、こうして魔術が組み込まれた包帯でその姿を抑えているのだ。
じっと手を見つめる雷翔に、わたしは申し訳ない気分になった。
「雷翔……ごめんね」
つぶやくと、雷翔は少し驚いたようにわたしを見てから、にっと笑った。いきなり左手で、フードの上から頭をぐしぐしなでられる。
「うわっ!?」
「何、しおらしくなってんだよ。おまえはどんと構えとけ。魔王になるやつが、そんな遠慮がちでどうすんだ?」
「うう……」
思わず恨めがましい目で雷翔を見上げてしまう。
そう、魔王。
魔王になる試練の為に、わたしは今こうして人間の領域にいる。でも、でも、声を大にして言いたい。
それ、わたしが望んだわけじゃないから!!
わたしの名前は真珠。魔族――ううん、「できそこないの魔族」だ。
魔族は、大抵人間と異なる姿を持っている。中には人間に酷似した魔族もいるけれど、並外れた身体能力や魔力や特殊な力なんかを持つのが普通だ。
でもわたしは、何一つ備わっていなかった。
岩を持ち上げるような腕力もなければ、暗闇でも見通せるような視力もない。爪も牙も羽もなくて、白い肌はすぐに傷がついてしまう弱さだ。力が全てという考えが基本にある魔族にとって、弱くて人間に似ているわたしは軽蔑に値する存在だった。
そんなわたしが、魔王候補に選ばれてしまった。
魔族の反応は、もう目に見えて明らかだろう。激怒して猛反対して――それでも以前の魔王様の意思に背く訳にもいかず、最終的に「じゃあ殺せ」ってなったみたいですね。あはははは……はぁ。
魔族の住む島から命からがら逃げ出したものの、魔族も必死だ。なんせ、魔王になるための品である“印”はわたしが持っているんだから。今も血眼になってわたしを探している事だろう。
わたしが生き残る術は一つだけ。魔王候補から魔王になる事。
魔族にとって魔王は絶対的な存在だから、どんなに気に食わない相手でもおいそれと排除することはできない、っていうのが雷翔の見解だ。まあ、それはわたしも分かるんだけど。
ただ、問題が……大きな問題が一つ。
魔王になるには、試練を受けなくちゃいけないのだ。
「はぁ……」
首から下げているペンダントを見つめて、思わずため息が零れる。
細い銀のチェーンの先には、金の枠にはめ込まれた透明な宝石。これが魔王になる試練に必要な“印”だ。
辛気臭くなっているのを感じたのか、肩からひょいと緑色の顔が覗き込んできた。
大きな丸い金色の目。頭から生えた二本の白く短い角。トカゲのように鱗のある体。色々あって仲間になってくれたドラゴンのクーファだ。
まあ、ドラゴンと言っても、手乗りサイズの可愛いドラゴンなんだけれど。
「ドウシタ、ジュージュ?」
「ううん。なんでもないよ、クーファ」
「ソウカ? 元気ナイゾ」
くりっと首を傾けてわたしの顔をじっと見てくる。か、かわいい……!
癒されて思わず笑みが浮かんでしまう。
「大丈夫。ちょっと、これからの事を考えていただけだから」
「ソウカ! ジュージュ、心配スルナ! 勇者ナンテ、俺ガ倒シテヤル!!」
「あ、はは……」
そう。そうなんですよ!
勇者を倒す。――これが、魔王になる為の条件だ。
この非力なできそこない魔族のわたしに、どんな無理難題しかけてくるんですか! しかも、勇者は一人じゃない。各国に一人って、もう詰んでるようなもんですよ……!
「おい、眉間に皺が寄ってる」
「う~……」
皺くらい寄りますよ。
思わずうなっていると、ずしっと体が急に重たくなった。
「おい」
あ、この艶のある声。あの人ですね……。いや、もう薄々感付いていましたけど……。
ゆっくり動く範囲で顔を向けると、間近に整った顔が見えた。
少し青白くも見える肌に、少し伸びた癖のある白茶の髪。冷たい碧い瞳に、気だるげな表情。後ろからのしかかるようにして抱きついているジェイクさんは、わたしが今絶対に逆らえない相手だ。
「眠い」
「いや、だからですね。わたし、抱き枕じゃないんですって……!」
貧相な体の何が気に入ったのか、彼は事あるごとにわたしを枕代わりに使おうとしてくる。逆らえない相手ではあるものの、人前でも構わず抱き枕にしようとするのだけは拒否します!
チッと明らかに不満げな舌打ちをしたものの、それ以上は何も言わなくなった。
いや、でもこの体勢もかなりきついんですけどね! 重いし!! わたし、台でもないんですけど!!
わたしとジェイクさんのやりとりに呆れたような表情を浮かべていた雷翔だけれど、気にしない事にしたのか普通にジェイクさんに話しかけ始めた。
「なあ、ジェイク。クルウェークの勇者ってどんなやつなんだ? 会ったことあるんだよな?」
「……ああ。幻影の勇者だな」
「幻影の勇者?」
思わず雷翔と顔を見合わせる。
ジェイクさんは、わたしに寄りかかったままだるそうな口調で続けた。
「人前に姿を現さない。常に灰色のローブで姿を隠している。そこからクルウェークの連中がそう呼ぶようになったらしい」
「そういえば、わたしルークさんに薬を預かっていたんですけど……」
ふと、荷物に入れていた小瓶の事を思い出す。
怪我をしたわたしの治療に当たってくれた、超美形なのに訛り口調の癒し系ハーフエルフのルークさん。クルウェークに向かう前に、彼からクルウェークの勇者宛てに薬を預かっていたのだ。
「確か、増血剤とか……」
勇者に増血剤って。
わたしの言葉に、ジェイクさんはくくっと笑った。
「ああ。確かにあいつには必要そうだ」
「えーと……それって」
血が必要ってことは……まさか、いつも怪我するくらい好戦的な人って事?
嫌な想像に青くなっている後ろで、ジェイクさんはにやにや笑いながら楽しげにしていた。
「エリオットか。確か、一年くらい前に騎士を護衛につけたとか言ってたな。あいつとなら、その騎士も入れて戦った方が楽しそうだ」
「あんまり派手なことはするなよ? 修行を兼ねての手合わせっていうことにしてるんだから。勇者同士で戦うなんて、下手したら戦になりかねない事態なんだからな?」
雷翔の言葉に、分かっているのか分かっていないのか、にやりとした笑みを返すジェイクさん。
そう。ジェイク・レインは、ギルドニア国の勇者その人だ。