勇者(きゅうこんしゃ)と王様(そのあいて)・8
リリアナ・オルグ・ロゼンテッタが、コウガ・サーベントと出会ったのは5歳のころだった。
あの頃のリリアナは、幼く我儘な娘だったと自分でも思う。歳の離れた兄弟に可愛がられ、父にも母にも、側室にさえも甘やかされていた。欲しい物は何でも与えられたし、それが当然だと思い込んでいた。そのリリアナの常識を打ち破ったのが、コウガ・サーベントという男だった。
兄のギルドニア国への訪問に、我儘を言いついていったリリアナ。国王様は優しく迎え入れてくれたが、王子であるコウガの対応は冷たいものだった。国王に言われた事をこなしていると行動から伝わるような、淡々とした案内。必要最低限の説明。繋がらない会話でもずっと笑顔で彼に話しかける長兄に隠れるように、リリアナは接待とは言い難いコウガの対応についていった。敬愛する兄や自分に対する冷たい態度に苛立ちながらも、冷たい目のコウガに文句を言える勇気もなく、「こなければよかった」と後悔ばかりしていた。
「兄上! 一体何なんですか、あの男は!」
その日の夜。収まらない苛立ちをリリアナは兄にぶつけた。
突然怒りを向けられた兄はきょとんと首を傾げた後、ああ、と穏やかに微笑んだ。
「コウガ様のことかい?」
「あんな不敬な奴に敬称など不要です!」
リリアナは膨れながら、手元のクッションをバフバフ叩いた。
「ああ、とか、いや、とかしか言わないし! ニコリともしないし! 目で人が殺せそうです! あんな対応、二の兄上であったら、切り捨てています!」
穏やかな長兄であったから何事もなかったものの、今回の訪問者が血気盛んな二番目の兄であったら、間違いなく流血沙汰だったろう。
リリアナの訴えに、長兄はクスクス笑った。
「ああ、あいつは喧嘩っ早いからな。でも、あの方を切り捨てることは出来ないだろうな。軽くいなされて終わってしまうよ」
「二の兄上がですか?」
兄の言葉に、リリアナは驚いた。
二番目の兄は兄弟の中で最も武芸に秀でている人物だ。時期勇者に選ばれてもおかしくないと言われているほどに。
「コウガ様は騎士団で戦っていた方だよ。武芸の才能も素晴らしいものだ。そこらの者では太刀打ちできないだろう」
「それほどまでに強いんですか」
「あの方自身、強さを求めているしね。自分にも厳しい高貴な方だ。ただ――寂しい方でもあるけれど」
物思いに耽ったように呟いた兄の言葉は、その時のリリアナには何のことだかわからなかった。
次の夜、ベランダで中庭に佇むコウガ・サーベントの姿を見るまでは。
その日もリリアナはいらいらしていた。
理由は言わずもがな、コウガ殿下である。昨日の夜、兄が寂しい人だと言っていたから、リリアナは歩み寄ろうとしてあげたのだ。父や母が「可愛い」と、兄や姉が「癒される」と評価する己の笑顔で、「コウガ様。手をつないでください」と訴えたのだ。それなのに、だ。
「私に関わるな」
初めて表に出した、眉を顰めた不快そうな顔。
あの時の怒りや羞恥で顔を真っ赤にして、リリアナはぎりぎりと歯噛みした。
家族も使用人も可愛いといって受け入れてくれる我儘を、あの男はいかにも不快そうな顔で拒絶したのだ。一体何様のつもりなのだ。
勿論、王族ではあるだろうが、リリアナだって王族だ。
兄に文句を言っても「まあまあ」となだめられるだけ。クッションに当たっても、一向にすっきりしない。
リリアナは少しでも頭を涼めようと、ベランダに出た。
少しひんやりした風が頬を撫でる。少しずつ、頭に昇っていた血が下りていき、ふうと息をついた。その時、眼下に金色の髪を見た。
コウガ・サーベント?
もはや敵視し始めていたリリアナの訝しむ視線に気が付かずに、コウガは中庭の噴水の前で足を止めた。手が首に着けていたチョーカーにかかり、外される。
その瞬間、彼の姿にリリアナの目が奪われた。
彼の姿は、今や人とはいえない姿だった。しかし、リリアナはその姿に恐れるよりも先に惹きこまれていた。
裂けた口も鋭い牙も、気にならなかった。どこか遠くを見つめる猫の様な瞳に、体を覆う銀色に縁どられた芸術の様な模様に、そしてどこか愁いを帯びたその立ち姿に。
リリアナは昨日の夜、兄が呟いた言葉を思い出していた。
彼が寂しい人だと。
その理由を唐突に理解する。
人と異なる姿。彼を孤独にするには十分な理由だ。そして、ふとこの国に来てからなんとなく勘付いていた違和感も思い出す。
コウガに対し目を背ける兵士。蔑むような視線を投げる臣下。
ロゼンテッタ国では感じた事のない空気だからこそ、リリアナはそれを敏感に感じ取っていた。
自分とは違う環境の中で、しっかりと立っている人。
リリアナがコウガに関心を持った瞬間だった。
その日から、リリアナはコウガのことを追いかけ始めた。初めは興味からだったが、次第にそれは別な感情に変わっていく。
それは、コウガがどれだけ強い風当たりの中にいるかを知っていくほど。その中で表情一つ変えずに立ち続けていることを知ってくほど。人と関わらない冷たさの中に、人と関わる不安を持つ弱さや、関わる事で迷惑をかけてしまうという優しさがあることを知っていくほど。コウガを知れば知るほど好きになったし、同じだけ自分も見てほしいと思った。
けれど、どれだけ追いかけても、コウガは振り向かない。全く関心を持ってはくれない。
それでもあきらめずに追いかけるリリアナに、とうとう兄も見かねて静観するのをやめた。
「リリアナ。お前はコウガ様の事が好きなのかい?」
「はい!」
それは良い笑顔ではっきり答えた妹に、穏やかな兄も苦笑いを浮かべるしかない。
「そうか……でもね、リリアナ。あの方はそう簡単に手に届く方じゃないよ」
「分かってます。だから、何年かかっても追いかけます!」
「……」
一向に諦める気配のないリリアナに、どうコメントすべきか悩んでいると、先にリリアナの方が口を開いた。
「兄上。コウガ様は、どのような方を好むのでしょう? わたし、その理想に近付いてコウガ様に振り向いてもらいます」
「コウガ様の好む者か……彼は力のある者を好むと聞いたことがあるけれどね」
「力のある方?」
「本人も騎士団に入り魔物の討伐にも出かけたりしていたからね。まあ、噂に聞いただけなんだけれど」
「では、わたしは強くなります!」
兄の言葉が言い終わる前に、リリアナが大きな声で宣言した。
ぽかんとする兄に、リリアナはやる気に満ちた顔で拳を握る。
「ロゼンテッタ国の、いえ、この世界の誰よりも強くなります! 国に戻ったら、二の兄上に鍛えてもらいます! 兄上、口添えよろしくお願いいたします」
にっこりと可愛い笑顔を浮かべる妹に、兄はひきつった笑顔を返すしかなかった。
思い切り我儘放題に育てた結果。この笑顔に反対できるものは誰もいないと分かっていたからだ。
それでもこの時は、リリアナの本気に兄は気付いていなかった。
国に帰ってから、即刻次男に訓練をお願いし、国の軍隊に入り浸り始めた時も、まだ興味本位だと半分思っていた。強さの方向を間違え始めたのか自分の事を「余」と言い始めたりおかしな口調になりはじめたりした時にはさすがに不味いと思ったが、その時にはもう時すでに遅し。もはや軍隊の隊長クラスと互角にやりあい、国一番の次男の手にも負えなくなり始め。
そうして、リリアナ・オルグ・ロゼンテッタは、勇者にまで昇りつめた。
全ては、コウガ・サーベントという、一人の男の為に。




