勇者(きゅうこんしゃ)と王様(そのあいて)・6
リリアナちゃんとの勝負の日は、思った以上にあっという間にやってきた。
鈴さんと一緒に集合場所と言われた王城の広間に行くと、長いテーブルについているコウガ様。そしてその前にリリアナちゃんが仁王立ちで待っていた。
雷翔やウィナードさん、肩にクーファを乗せたルークさんは、広間の隅の方に立っていた。意外なことに、ジェイクさんもみんなから少し離れた場所で、ぼんやりとつまらなそうな顔で立っている。料理対決をすることになったことは、コウガ様に許可をいただいた後すぐに皆には知らせていた。様子を見に来てくれたんだろう。
皆の姿に、少し緊張がほぐれる。それと同時に、可愛らしい声が広間に響いた。
「よく来たな! 逃げずに来たことは誉めてやろう。じゃが、すぐに余の前にひれ伏せさせてやる!」
「分かった分かった。話を始めるぞ」
わたしを指さすリリアナちゃんの頭を押しのけて、コウガ様が前に出てくる。リリアナちゃんは不満げにしながらも、口をつぐんだ。
「これから、ロゼンテッタ国勇者リリアナ・オルグ・ロゼンテッタ嬢と、ギルドニア国勇者保護下にいるジュジュの対決を始める。内容は料理対決。勝敗は私が決める。調理時間は1時間。城内の厨房で、ここで仕えている料理人の監視の下で行ってもらう」
「了解した! 必ず我が君を唸らせるような料理を作る故!」
はりきって広間を出ていくリリアナちゃんを、慌ててルーナさんが追いかけていく。
料理はしたことなさそうだったけど、きっと今日まで訓練をしたんだろうな。自信に満ち溢れていたし……。
「ジュジュ、どうしたの? 大丈夫?」
心配そうな鈴さんの声に我に返る。
ここまで来て弱気になってる場合じゃない。せっかく、鈴さんが作ってくれたチャンスだ。初めて自分の力で勇者に勝てるかもしれない機会なんだから。精一杯頑張らないと!
気合を入れて厨房に来てから10分後。
うん。問題はない。問題はなかった。……わたしの方は。
「ひ、姫様! 野菜はまず洗ってくださいませ!」
「それは小麦粉でございます! お塩はこちらです!」
「お鍋! お鍋が噴きこぼれてしまいます!」
なんというか、大惨事、という言葉がぴったりくるような状況になっています。
おろおろするルーナさんに対し、リリアナちゃんは「ええい、うるさい! 黙っておれ!」と怒号を飛ばしている。その手には包丁と、ぼろぼろこぼれていくじゃがいもの皮。時折包丁がじゃがいもから離れて空を切っている。
ルーナさんは青くなりながらその様子を見ていた。正直、わたしも危なっかしい手つきに恐怖しか覚えない。だって、今にも指を切りそうだよ! 見てられない……!
「り、リリアナちゃん。手元を見た方が」
「小娘! お主に名を呼ばれる筋合いはない!」
「ひ、姫様! わたくしからもお願いいたします! 手っ、手元を!」
「ルーナ! お主も余に指図す、痛っ!」
「ひっ、ひぃぃ!」
じゃがいもの上を包丁が滑った。同時に、じゃがいもが転がり、リリアナちゃんは指を押さえる。
思わず、わたしもルーナさんもリリアナちゃんに駆け寄った。
「姫様!」
「うるさい! お主らが騒ぐ故、気が散ってしまったではないか!」
「そ、それはごめんなさい。とりあえず、怪我を治療しないと」
「姫様! 指をお見せください!」
ルーナさんがリリアナちゃんの手を奪うように握り、怪我の様子を見た。小さな指先はぱっくり割れ、血が溢れていた。
「姫様! すぐに治療いたします!」
「全く、これしきのことで騒ぐな! でもまあ、血を流したままでは不衛生じゃな。簡単に止血しておいてくれ」
「何がこれしきですか! いつもいつも無茶ばかりして……これではわたくしの身が持ちません」
涙目になりながら手際よく治療を済ませると、ルーナさんは立ち上がってわたしに向き直った。
「ジュジュ様、リリアナ様は包丁の扱いに不慣れでございます。怪我もしておりますから、食材の下準備はわたくしが代理で行ってもよろしいでしょうか」
「ええ、それは」
勿論大丈夫です、と言おうとした。
「ルーナ!」
今までとは違う、殺気さえ感じられる声が響いた。
声を発したリリアナちゃんは、今までとは違う、本気の怒りを感じさせる表情でわたしとルーナさんを見ていた。
「これは余とその小娘の真剣勝負じゃ。お主の出る幕ではない」
「り、リリアナ様」
「もう口も紡げ。すまなかったな、お主もこちらは気にせず続けてくれ。間違えても手加減などするでないぞ。分かったな」
リリアナちゃんは涙目になっているルーナさんに目もくれず、今度は手元に集中しながら皮むきを始めた。
わたしも自分の場所で下ごしらえの準備に戻った。もうリリアナちゃんの方に目を向けることも、気にかける必要もない。自分のやるべきことにだけ目を向けた。
リリアナちゃんは本気だった。
料理だって、少し教わってすぐにできるものじゃない。あの手つきを見れば、まだ料理をうまく作れない事が一目瞭然だ。本人だってそれは分かっていると思う。それでも真剣に正々堂々と戦おうとしている。だから、わたしも本気でやらなくちゃいけない。
「ねえ、リリアナちゃん」
「だから、お主に名前を呼ばれる筋合いはないと言っておろう! それから、もうここは戦場じゃ! 真剣に料理に取り組まぬか‼」
「うん、分かってる。真剣にやってるよ。でも、一つだけ聞いてもいい?」
「なんじゃ」
「どうして、そこまで頑張れるの?」
手元に集中しながらも、リリアナちゃんが少し戸惑っているのを感じた。多分、手を止めてこっちを見ている事だろう。
「7年も修業して強くなって、今もこうして慣れない料理をして。ただコウガ様が好きだからっていう理由だけで、そこまで頑張れるの?」
静かな空気が流れた。
ショリショリと、わたしの手元から人参を向く音だけが響く。
「……余が我が君に出会ったのは、この国に王女として来た時じゃ」
リリアナちゃんの声がぽつぽつと語り出した。
わたしは手元を止めないまま、その声に耳を傾けた。
「初めてお会いした時は、畏怖しか感じなかった。エスコートする手を差し伸べてはくれても、目は拒絶しか感じなかった故。じゃがある日、夜に城の窓から中庭に立つ我が君を見かけた。その時、我が君は枷を外し、元の姿に戻ったのじゃ」
「えっ」
思わず手を止めてリリアナちゃんを見た。
「リリアナちゃん、あの姿を見たことあるの?」
人間の世界に馴染む為に、コウガ様は首に姿を封じるチョーカーをつけている。あれを外すと、魔族の茨牙族にそっくりな姿に変わるのだ。顔や腕に銀色の模様が浮かび上がり、口が裂けて牙が覗く。目は瞳孔がぎゅっと細まって猫のようになる。
わたしの質問に、リリアナちゃんは当然のような顔をして頷いた。
「無論。余はあの姿を見て美しいと思った」
「え?」
美しい、ですか?
見慣れないと、結構驚く容姿だと思うけど。
あ。そういえば、リリアナちゃんって一回コウガ様の事「銀の君」って言ってたなぁ。そうか、茨牙族の姿を見たからか。
一人で納得しているうちに、リリアナちゃんは話を再開し始めた。
「それから我が君を目で追うようになり、次第にあの拒絶する目の理由も理解した。全てを拒絶しても王であろうとする我が君は、とても強く美しい方じゃ。だが、悲しくもあった。余はただ、我が君は一人ではない事を、想っている者がいる事を分かってほしいと思った。それには、まず余を見てもらわなければ。我が君が関心を持つのは強い者。故に余は修業し、勇者に選ばれる程に強くなったのじゃ」
「リリアナちゃん……」
「……はっ! こんな事を話している暇ではない! 時間が足りなくなるではないか! これも作戦のうちか! 抜かったわ‼」
余としたことが! と騒ぎ、リリアナちゃんは鼻がつきそうなほどじゃがいもに顔を近付けて皮をむき始めた。
そんな彼女のコウガ様への思いが本気だという事に、なんだか温かい気持ちになった。
コウガ様は彼女の本気に気付いていないだろう。
受け入れるかどうかはコウガ様次第だ。だけど、彼女の真剣な思いに気付いてあげてほしいと思った。




