チーズを買いに行く話
男は、忘れていた。
冷蔵庫の中身を。
「しまった。チーズがない。買いに行かねば。」
薄曇りの空の下。夜の足音から逃げるように駆け足でコンビニを目指す。チーズがないのだ。買わねば。
視界の端に人だかりが見えた。
「人質を離すんだ!お前は完全に包囲されている!」
「へっどうせ捕まるならついでにコイツを殺してやるぜ!」
「いやああああ!誰か助けて!」
「くっ…なら俺が代わる!だから人質を…!」
「はっ!信用できるかよ!…そうだな、そこの歩いてるやつならいいぜ!」
「………くっ!」
おや、目の前にスーツを着てメガホンを持った権力が立ち塞がる。なぜだ。俺は逆らった覚えはない。
「すまない。君に協力を―「急いでますから。」
指を二本ぴしっと伸ばす。そして横をすり抜けるように歩き抜ける。道の真ん中に立たないで欲しい。邪魔だ。
「ひっはははははは!ほらほら撃っちゃうぞ~!?」
「まっ、待ってくれっ!」
後ろから声がする。撮影か何かだろう。画面の中に入るならともかく、向こうに行くだけなら興味なんてない。いやでもAVなら参加したい。犬とかモフりたい。しかし今はチーズだ。チーズを買わねばならぬ。
視界の端に人だかりが見えた。
「誰かっ!誰かあの子をっ!」
「くっ…梯子の長さが足りない…誰か俺を後ろから支えてくれ!そうすればぎりぎり届く…あっそこの君!頼む!小さな子供がいるんだ!」
「あぁっ!お願いしますお願いします!どうかどうかうちの子を…!」
ある先生が言った。人は前を見て進むために目が前についているのだ。しかしコンビニは遠い。自転車で来ればよかったか。
「あ、あのっ!」
横を見れば切羽詰まった顔の女性がいる。34点だ。好みじゃない。顔は赤いが目も赤い。腕を掴もうとしてくる。男女平等社会によって女性が男性に暴力を自由にふるっていいようになったのか。見ず知らずの相手にも。不良に絡まれた時の対処法はただ一つ。顔をそらしてその場から離れることだ。
「急いでますから。」
指を二本ぴしっと伸ばす。伸ばされる手を避け、気持ち急いでその場から離れる。
「奥さん!あなたが俺を支えてくれれば…!」
「誰か!誰か!うちの子を助けて下さい!」
全く世の中乱暴な奴が多い。コンビニを見つけた。自動ドアが開き冷風と電子音の歓迎を受けて店内に入る。……おや、チーズが売ってないぞ?
「すみません。霰マステリアスのホライゾンチーズって…。」
「あー…ちょっとお待ち下さいね?
………えーと、当店ではお取り扱いしてないですね。申し訳ありません。」
「あ、そうですか。じゃ煙草の666番お願いします。」
「はーい、1480円になります。」
「えーと…はい。」
「はい、2000円お預かり致します。お返し520円です。ありがとうございましたー。」
冷風と電子音の喝采を後に、自動ドアへの道を塞がない程度に横に寄って煙草を咥える。
火を付けて、ゆっくりと煙を吸い込み、肺を満たし、吐き出す。
「まーしょうがないかぁ…。」
ちょっとメニューを変えよう。
どうしてもあれが欲しい!→無いですよ~→しょうがねーなー
ってありますよね?ない?えー