学生編 07
「余が国皇である!」
「あ、はい、知ってます」
長い庭園を抜けた先で玄関をくぐり、ソファが向かい合って並んでいる応接間らしき場所へと通された二人の若者は、既に待っていた国皇夫妻に出迎えられて腰を下ろした。
とはいえ、この状況で落ち着くハズもなく、特にイツカは浮き足立ったままだ。ただしかし、それ以上に落ち着きなく見える人物がいるせいで目立たない。
「あなた、少しは落ち着いてください」
現神華国皇陛下は背筋をピンと伸ばし、ソファの上にちょこんと座っている。
「いや、すまん」
素直にペコリと頭を下げる国皇陛下。
「ごめんなさいね。この人ったら昨日からこんな調子で」
「わかります」
「え、わかっちゃうのっ?」
イツカが幼馴染みに突っ込んだ。
「えー、オホン……とりあえず良く来てくれた。会えて嬉しいよ」
「はい、あの、光栄ですけど……」
木目の美しい切り出しテーブルを挟んで、イツカは国皇のニコニコ顔を受け止める。
「色々と聞きたいことはあるんだが、それはまたおいおいという話にして、とりあえずはおめでとう」
「ありがとう、ございます?」
「嬉しかろう。そうだろう。うんうん、昔を思い出すなぁ」
「えっと、あの――」
「どうだね。昨日はよく眠れたかね?」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!」
開いた左手を勢いよく突き出して、イツカは会話を止める。
「おおぅ、何だね?」
「説明を求めても構いませんか?」
「説明?」
国皇夫妻は顔を見合わせる。
「何というかその、何がどうなっているのかサッパリわかりませんで。もう少し分かるように説明していただけると助かるのですが」
「ふむ、少し性急過ぎたかな」
「かもしれません」
国皇の言葉に同意するように、響士郎も頷く。
「お前も事情をわかっているなら事前に説明してくれよ」
イツカは緊張と混乱で少しやつれている。
「それならば、これだ」
ここぞとばかりに、国皇はソファの蔭から手の平サイズの押しボタンを取り出す。どこかに繋がっている様子はない。見た目上はただの赤いボタンだ。
「これを……どうしろと?」
「押す以外の選択肢があるなら教えて欲しいところだが」
「まぁ確かに」
国皇のもっともな発言に、イツカも頷くしかない。
「押したら自爆しそうな色をしていますね」
響士郎の妙な発言に、うっかり伸ばしかけた手が止まる。ギギギと油の切れたブリキ人形みたいな動きで親友を見やると、その発言を視線で抗議した。
「大丈夫だ。死にはしない」
「いや、爆発を否定してくださいよっ!」
「とりあえず押したまえ。ほれ、はよ」
国皇に言われてあからさまに嫌とは言えないものの、その表情には『イヤだ』と大きく書かれている。小学校の習字なら花丸がもらえそうなダイナミックな筆使いだ。
「……じゃあ、押しますよ」
渋々といった感じでイツカは決意を固め、改めて赤いボタンに手を伸ばす。不安と緊張から手が震え、自然と呼吸が荒くなる。世界の命運でもかかっているかのような有様だ。
これでもし仮にボタンが『へぇ』とか『ぴんぽーん』などと鳴こうものなら、投げ飛ばされたボタンが第一宇宙速度で成層圏を突破しても不思議ではない。
そして運命が今、押された。
パカッとイツカの真上の天井が開く。
唖然として思わず見上げたイツカの頭上に大きくて丸い金色の物体が下りてきてキッカリ五秒後――
ぱんっ。
という音を立てて割れた。
「く……す……玉?」
紙吹雪が周囲に散乱し、垂れ幕が降ってきて脳天を直撃する。痛くはない。しかしイツカは、このワケのわからない状況に泣きそうだった。これを押せば何かがわかる、そう思って押したというのに何もわからないどころか更にわからなくなる。
理不尽が破裂して不条理がひらひらと舞っている。言わばそんな感じだ。
「おっし、大・成・功!」
国皇は一人で子供のように喜んでいる。皇后の視線は果てしなく冷たかったが。
「それであの、このくす玉で何がわかると?」
どんな表情をして良いのかわからず、半笑いでイツカはそう訊いた。どうせならくすくすと笑うべきだったかもしれない。
くす玉だけに。
「垂れ幕を読んでみなさい」
「垂れ幕?」
国皇に言われるままに視線を持ち上げ、白い布にでかでかと書かれてある真っ赤な文字を目でなぞる。
「殿下……爆誕?」
イツカは少し考えてみる。
殿下というのは国皇の子供、すなわち皇太子のことだろう。国皇夫妻に子供が居るという話は聞かないので、皇太子は居ないと思われる。それが爆誕、爆の方はともかくとして誕は誕生という意味になるだろうから、要するにおめでたい話である。
くす玉が開くことにも納得だ。
「おめでとうございますっ!」
イツカは頭を下げた。
「いや、それはこっちの台詞だから」
「え、これって皇后様がご懐妊されたとかそういう話なんじゃ――」
「そんなワケなかろう。もっとも私の息子はまだまだ元気だから、その気になれば可能だろふごっ!」
皇后必殺の右肘が国皇の脇腹を抉る。
「端的に言うと、皇太子殿下は当の昔に生まれておいでだ」
「え、そうなの?」
響士郎の言葉にも彼が気付く様子はない。他人の気持ちを察することには敏感な人間でも、こと自分のこととなると鈍くなるものである。
「君だよ、高月イツカくん」
まだ痛む脇腹を押さえながら、国皇はそう告げる。
「え、僕が、何です?」
「君が、皇太子だと言っているんだよ」
イツカ、停止。
入ってきた言葉を吟味して、その意味を五回くらい反芻して考えてみて、生じる答えを十回ほど見直してから、イツカは幼馴染みへと顔を向けた。
「おい響士郎。ドッキリならドッキリって早く言え」
何かの冗談だと結論付けたようである。
「悪いが、冗談じゃない。お前は確かに皇太子殿下だ」
「いやいや」
「そもそも、単なる冗談に国皇陛下が付き合ってくださるワケがないだろう。そんなにヒマじゃないんだぞ」
「くす玉とか作る時間あるのに?」
「三日くらいかかったぞ、それ」
「あなたは余計なこと言わない」
皇后に窘められて黙る国皇。
「陛下が余計な小細工をしたせいで混乱させてしまったようだけど、あなたが皇太子であることは事実です。まずはその事実を受け入れてください」
「事実……」
穏やかな皇后の言葉に、イツカは困り顔ながらも拒絶していた情報を受け入れる。そしてそれが、どうやったら現実的に思えるのか考えてみた。
「ひょっとして、養子ですか? 全国民からくじ引きで当たったのが僕だったと」
とんでもない確率だが、それでも実は皇太子でしたという話よりは現実感があるらしい。
「いいえ、陛下とあなたは確かに血が繋がっています」
「まさか、僕の母がそんなふしだらな女性だったなんて!」
「その話がもし本当なら、陛下はフランケンシュタイナーの刑になりますが?」
「ないないっ!」
慌てて首を横に振る陛下をお目にかける機会など滅多にあるものではない。眼福である。
「え、じゃあ本当に?」
「そう、あなたは間違いなく私達の子なのです。残念ながら、お腹を痛めはしませんでしたが」
「……えっと、どういうこと、ですか?」
「そうですね。一つ一つ説明していきましょう」
イツカの戸惑いを楽しむように響士郎は微笑みながら、穏やかに言葉を紡ぎ始めるのだった。