学生編 06
「おい、何だよ、その格好……」
呼び出しに応じて玄関の扉を開けるなりイツカは絶句した。
とはいえ、普段着の延長で少しばかりよそ行きの服をチョイスして、それでもちょっと気合を入れすぎたかなぁと内面気恥ずかしく思っていたところにパリッとノリのきいたタキシードを着こんでお出迎えされたら、こんな反応にもなるだろう。
気合とかいう問題ではない。場違いである。
「特別な日だからな。当然だ」
「いや、ただの誕生日だろ?」
「とりあえず、お車へどうぞ」
「くるまっ?」
驚きの声と共に公道へ一歩踏み出すと、そこには一台のタクシーが停車していた。イツカはタキシードに促され、開かれたドアから口を唖然と開け放った間の抜けた顔つきのまま乗り込む。
普段の移動は自転車がメインだったから、鉄道を利用するような遠出でもしない限りはタクシーなど活用することがない。最後に彼がタクシーを利用したのは自転車を買い換えた時だ。
ちなみに、車と呼んではいるがタイヤの類はない。磁力反発による低浮遊式のリニアホバーである。ゴムのタイヤなど、今では余程の辺境惑星にでも行くか、商業レースでなければお目にかかれない。
「まったく、朝から驚かせるなよ」
「まだ驚くには早いと思うぞ?」
「タキシードにタクシーのお出迎えってだけで十分驚いたよ」
「朝からそんな調子では心配だな。今日はショック死するかもしれん」
「花火でも上げる気か!」
静かに走り出したタクシーの窓から見える空は、澄み渡った濃い青色だ。
「花火か。それはもう少し後だな」
「いや、上げるなよっ?」
「今日は上げないさ。午後から天気も下り坂と言っていたしな」
「天気が良かったら上げてた、みたいな言い方すんな」
交差点を右折した刹那、白く鮮やかな主星の輝きが目に飛び込んでくる。光量を感知した窓が遮光処理をするのに二秒、主星は空に浮かぶ白玉のようになった。
「そういえば、今日はどこに行くんだ? 一番近いファミレスはもう通り過ぎたけど」
「首都だ」
「はぁ?」
意外を通り越して現実感の感じられない返答に、イツカは再び顎を落とす。
「首都に向かっている」
「おいおい、都内のレストランでも予約してるのか?」
「少し違うが、いい場所を取ってある」
響士郎がニヤリと笑い、イツカは眉根を寄せる。こういう時の親友が何かを企てていることは経験的に知っているし、それが平穏や平凡を好む彼にとって予想の範囲外にあることもわかっている。そして何より問題なのは、今の友人に何を聞いても答えてはくれないということだ。
「了解。今日は任せるよ」
「到着までは少しかかる。とりあえず流れる景色でも見ながらのんびりしてくれ」
メタリックシルバーの小型タクシーは郊外の住宅街を抜け、渦を巻きながら高速道路へと合流する。イツカの生まれ育った町は郊外のベッドタウンだ。マイクロ波電源用の鉄塔は建っているが、それ以外の高い建造物はほとんどない。
イツカは、綺麗に仲良く並んでいる各家庭の屋根に設置された補助電源用のソーラーパネルの群れを眺めてから、正面へと視線を移す。
その先には摩天楼、神華の首都である華京が見えた。
地球という人類の揺り篭から文明を抱えた人間達が巣立ち始めて既に二世紀、人類の広がりは太陽系を中心として別の星系にも伸びている。今も尚、その広がりは止まる気配がない。人は宇宙にその手を伸ばしている最中だ。
この『碧玉』と呼ばれる惑星に人が住み始めたのは約百年前、神華という国家が立ち上げられてからは九十年が経過している。日本の政府と経済界が主に出資して立ち上げられた国であり、太陽系外では初めての日系国家ということになる。そのため政治や経済、文化などは日本から持ち込まれ、日本のコピー国家という揶揄は現在でも続いている。一方で多文化に染まる周辺国とは違って独自文化を継承している為に特殊な文化圏を形成しており、島国の特異性も加わって少々変わった国としても知られている。
ともかく、色々な意味で日本らしい国と言えるだろう。
その首都、華京に二人が入ったのは、家を出て三十分が経った頃だ。普段はあまり遠出をしないイツカにとって、タクシーの車窓はそれなりに珍しいものだったから当初はキョロキョロと周囲を見回していたものの、そろそろ飽き始めている。
特に周囲がビル郡によって囲まれ、見える範囲が狭まってからは顕著だ。
「そろそろ行き先くらい教えてくれてもいいだろ?」
「着けばわかる」
「ケチ」
「今日で十五になったんだ。子供みたいなことを言うな」
ここ神華では、満十八歳で成人を迎える。そして一般的には、満十五歳で高校を卒業することになる。
碧玉の公転周期は18ヶ月、つまり一年が半年長い。更に自転周期は地球時間にすると約28時間であり、地球に比べると時間の進み方がのんびりしている。一概に比較はできないが、今のイツカが地球人として時間を過ごしていれば、既に成人していて働いている方が自然な年齢である。学生が様々な文化活動に力を入れられるのも、この時間的なゆとりがあればこそであると言えるだろう。
「お、景色が良くなってきた」
「ビルが少ないからな」
コンクリートやカーボンに阻まれていた視界が、一気に広がって見える。窓を開けると、秋らしい少し乾いた涼しい風に交じって、カサカサと枯葉の擦れあう音が聞こえてくる。紅葉と言うには少し早いが、もう冬支度は始まっているのだ。
本日は14月4日、もうすぐ長い冬がやってくる。そんな季節だ。
「イツカは、この辺りに来たことはないのか?」
「都内は何度かあるけど、ウチってあんまり遠出しないしな。ホラ、親父は出張が多かっただろ。リンは時々母さんと一緒に買い物に来てるみたいだけど、それについていく気にはなれないしな」
「そうか」
「華京ってビルばっかりなイメージだけど、こんな自然豊かな場所もあるんだ」
「この周りはビルを建てられないからな」
「へぇ、何で?」
「そのくらいは知っておいて欲しかったがね」
「悪かったね。常識がなくて」
「いいさ。おいおい学んでいけば」
「学ぶ?」
「ほら、着いたぞ」
響士郎の言葉に呼応するようにタクシーは減速し、やがて大きな門の前で停車する。それは金持ちの家、というよりも非合法な暴力団体とか些細なことで切れる怖い食通の家みたいな佇まいだった。何か大きな権力がこの向こうで待っている、そんな実感がある。
「……ここ、何?」
「本当にわからないのか。この門構えはかなり有名だと思うんだけどな」
「そう言われても……でも見たことはあるような。何か有名な観光地?」
「当たらずも遠からずというところか。皇居だよ、ここは」
「へぇ……えっ?」
「皇居だ」
「いや聞こえてるし」
「その割には顔が信じていないが?」
「いやだって、どうしてこんな場所に……あ、ひょっとして華京観光ってことか?」
「いや違う。俺達は、ここに用事があって来たんだ」
「皇居に、用?」
「そうだ」
響士郎は小さく、しかし確実に頷く。
「……国皇に祝ってもらうとか、ははは……悪い冗談だ」
弱々しい呟きは誰の耳にも届かず青い空に溶ける。
その背後で、鈍い音を立てながら大きな扉が開いていく。皇居の扉は、イツカの思惑や心情などお構いなしといった様子で開いていった。
「さぁイツカ、お前の誕生日を始めよう」
響士郎は恭しく頭を垂れる。
イツカは、一刻も早く現実に帰りたいと思った。