暴露編 12
渋滞とは、一種の物理現象である。
そこに流れがあり、流れに許容量が存在する時、自然と詰まってしまう。ネットワークを構築し、自動運転によってほぼ全ての車を制御する時代になっても、全ての渋滞が解消されるワケではない。広がれば満遍なく行き渡って自然なバランスを取るとシミュレーション上では再現されても、実際の動きは集中し、詰まり、滞るものだ。それは言ってしまえば、人の手によって生み出された自然現象であろう。
「マズいですね。ここから500メートルは渋滞が続いています。このペースだと到着には5分以上かかるかと」
ボード上で現状を確認しながら、響士郎は簡潔に報告する。
「私達が向こうを出たのが30分前、その5分後にホバーが廃ビルに到着しているから、単純に考えて会議が始まって25分てとこかしらね」
発車直前に乗り込んできた志麻華を加え、狭い車内には三人が頭を寄せていた。ちなみに突然の急展開に動画上ではお祭り騒ぎである。
「別の道はないのか? このままだと間に合わない!」
焦るイツカの言葉に、響士郎は首を横に振る。
「ここが最短です。今から戻っても早まることはありません。会議が長引いてもらうことを期待しましょう」
これまでの連続認証の記録から、会議時間は30分程度であることがわかっている。彼らもそれなりに危ない橋を渡っている自覚があるのだろう。まして阿久津は臨時国会の真っ只中だ。休憩時間を利用しての密会には限度がある。
「くそっ!」
イツカが乱暴に窓を叩く。
「落ち着いてください、殿下。今回が最後の機会というワケではありません。もし現場を押さえることができなくとも、彼らの動向自体はある程度掴めました。無駄にはなりません」
「そうは言うけど!」
実質的にこれがラストチャンスであることは、イツカだけでなく響士郎も志麻華も心得ている。そもそも彼らが離宮で大人しくしていたのは、阿久津やGSSに対する疑念を気取られない為である。特にイツカは公務が全公開されている。誰の目から阿久津の耳に渡るかわからないのだ。
それが今、明確に動いている。当然ながらそれは大きなリスクの上にあるのだが、一抹のチャンスも抱えてはいた。
あの廃ビル内にいる阿久津とGSSの面々は、いずれも連続認証から外れている。すなわち、ほとんどのオンラインサービスを利用することができない状態にあるということだ。恐らくの話ではあるが、メールや電話すら断っているハズである。つまりこのタイミングであるなら、イツカ達の動きに反応されることはない。
しかしもちろん、この手が使えるのは一度だけだ。二度は使えない。今回を逃せば彼らは対策を講じ、イツカに対する監視の目を強めることになるだろう。どうにかして阿久津とGSSが接触している決定的な証拠――せめて阿久津がこの廃ビルに足を運んでいるという明確な証拠がなければ、彼らに勝利はないのである。
阿久津やGSSが本多にどのような判断を下すのかは、完全な未知数だ。しかし、放っておいて良い結果が出たところで、それが何だというのだろう。極端な話、為すべきことをした上で悪い結果を招いた方が、イツカにとってはマシに思えた。
「後は頼むっ」
停車した隙を突いて車を飛び出し、ガードレールを飛び越えて歩道を走る。
「殿下っ!」
響士郎の叫びは届かない。こんな時にジャーラが一緒なら追いかけて止めさせるところなのだが、彼女は生憎と国会議事堂近辺のビルの上だ。一瞬自分が追いかけて止めようと思ったが、それで得られるものが皇太子の不機嫌だけでは割り合わないと判断し、車中に留まることにする。
「やれやれ、困ったものです」
ボードを開き、メールを打ち始める。溜め息を吐きながら、それでも激しく動きつつある現状の流れを楽しんでいるかのように見える響士郎の姿を見て、志麻華も自分のボード上で新しい動きを始めることにする。
「ジャーラ、聞こえる?」
『あいあい』
「中庭の中が見えるようなポイントがないか、ちょっと探してくれない? もし必要なら私の名前を出してもいいわ」
『わかった。というか、議事堂に突撃してもいい?』
「それは駄目」
『ちぇ、それなら簡単だったのに』
「穏便にお願いね。それからたんぽぽ、聞こえてる?」
『あ、はい』
「そっちに殿下が向かったわ。見つけたら――」
チラリと響士郎へと視線を向け、小さな頷きを確認して続ける。
「手伝ってあげてちょうだい」
『わかりました。けど……』
「けど? 何かあった?」
『い、いえ、何でもないです。問題ないです!』
「……そう、じゃあお願いね」
少し気になったものの、彼女自身にもあまり余裕がないことを思い出し、任せることにする。
歯車は今、一つギアを上げて動き始めていた。
「一枚、一枚だけでいいからっ。オナシャス!」
一方、たんぽぽは困っていた。
廃ビルの裏手、裏通りとはいえ車の通りも人の通りもそれなりにある。良く見えるようにと裏口を正面に見据えられる反対車線の歩道に陣取った彼女だったが、そこで運悪くノヴァータであることがバレてしまった。
いや、バレただけなら問題はない。問題は、その相手が熱心なネオドルオタクであったことだ。昨今、人間のアイドルとは別モノとして、ノヴァータだけでユニットを組み、芸能活動を行うグループが話題になっていた。当初は色物企画の一つだったらしいが、今では一つのジャンルとして定着しつつある。
「申し訳ありませんが、仕事中ですので」
「え、仕事ってどんな? ひょっとしてカメラとかスタッフとかどっかに隠れてるの?」
そう思うなら邪魔しないように退散すればいいのに、男はあくまで食い下がる。今時珍しい一眼レフのカメラを首から提げており、自分がネオドルオタクであることに自信と誇りを持っているようだ。
「えっと、どんなと言われましても……」
皇室関連で働いていることを言っていいのかどうか迷い、たんぽぽは口ごもる。こういう時にどう対処してよいのかなど、マニュアルのどこを見ても載っているハズはなかった。
「それにしても綺麗っていうか、肌の質感とか人間よりキメ細かい感じだよね。かといって硬質的じゃないっていうか、柔らかそうに見えるし」
「あ、はい、ありがとうございます」
辛うじて誉められているらしいことを察し、咄嗟にお礼の言葉を口にする。この辺りの柔軟性は、たんぽぽらしい機能の一つだ。
「じゃあさ、ホント一枚だけでいいからっ。何でもいいんでポーズ取ってよ。絶対キミなら話題になるからさ」
「いえ、それは――」
困り顔で言いかけて、視界の端に何かを捉える。
この雨の中で傘も差さず、誰もがゆったりと歩いていく緩やかな日常を切り裂くかのような勢いで走ってくる男が一人いる。確かめるまでもない。車から500メートル全力疾走してきたイツカだ。
彼は反対車線に待機していたたんぽぽに気付くことなく廃ビルへと飛び込んでいく。その背中には焦りと、大きな不安が見えた。
「ごめんなさい!」
支えなければ、そう思った瞬間にたんぽぽは男を振り切り、濡れた地面を蹴って走り出す。
「危ないっ」
予測できないほどの勢いで飛び出してくる物体を感知し、車が急制動をかける。しかしそれでも、タイミング的に接触は避けられない。
そのハズだった。
フワリと舞ったその華奢な身体はゆうに二メートルは跳び上がり、速度を落としつつある車の上を越えていく。その柔らかで優雅で、しかし力強い跳躍は、普段はめくれるスカートにしか目が行かないネオドルオタクの男すら魅了する。
もし彼が知っていたなら、更に驚愕していただろう。
目の前の彼女こそが、ノヴァータミサイルの真の姿であると。