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神華  作者: 栖坂月
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暴露編 11

 イツカの手は止まっていた。

 現在彼は、国会を通過して国皇が目を通した法案の一つ一つを精査し、それらを承認するという仕事をしている。彼個人に法案をどうこうする権限はないが、何か不審な点が見つかった場合には国皇へと差し戻すことは可能だ。もっとも今のところ、右から左へ流すだけの仕事でしかないが。

 正直なところ、知識も実績も足りない彼には、一つ一つの法案を飲み込むだけで精一杯である。しかも現状、仕事を凌駕する問題を抱えているとなれば、身が入らないのも仕方のない話だ。

『殿下、先程から一法案も進んでいませんが?』

 ボード上のチャットで響士郎が突いてくる。

『わかっているけど、集中なんてできるかよ。そろそろ時間だろ?』

『何かあれば向こうから連絡が届きます。殿下はご心配なさらず、公務に精励なさってください』

『はいはい』

 仕方なく目の前のディスプレイに表示された法案に目を向ける。

「植毛手術の資格に関する法案、かぁ」

 口に出してみるが、頭には入ってこない。

 ちなみにこの法案は、薄毛対策に広く用いられる植毛手術が、今までは整形外科などで手広く行われていたのだが、技術不足によるトラブルが多発したために、専門性を持たせて資格としての地位を向上させたものである。これによってトラブルは減少するが、同時に安価で植毛手術を行ってきた業者はやりにくくなる。もちろん、それによって救われるかもしれないハゲも救われない。

 ハゲにとっては、結構重要な案件だ。

 だが、まだ若く、禿げる心配など生まれてこの方したことのないイツカにとっては、あまり興味の引かれる法案ではなかった。

 皇太子に対するオッサンの好感度が下がった。

 しかしそれ故に、彼の頭の中は次第に本多事件(イツカ命名)へと推移していった。

 被害者である本多は、今も病院のベッドで眠ったままだ。命の危険はもうないと報告を受けているが、いつ目を覚ますのか、そもそも目を覚ますのかはわからない。ずっとこのままという可能性もあると聞いた。死んでしまうよりはマシという考え方もあるが、これでは死んでいるのと大差はないだろう。

 どうして本多という人物がこんな目に遭わなければならないのか、イツカにはどうしても納得ができない。例のナビの失敗は、確かに本多にも落ち度はあるだろう。しかしそれは裏側に潜んだ悪意の責任が大であり、本多に大きな落ち度はない。更にイツカによって結果的に成功、すなわち悪巧みが失敗したのも、単純に裏方の読みが浅かったからであって、本多のせいではないだろう。どちらに転んでも本多に責任を押し付けようという浅ましい企みは、イツカにとって到底容認できるものではなかった。失敗に終わったのなら、せめて自らの敗北くらいは素直に認めるべきだろうとイツカは思う。

 法案を睨む彼の眼差しは、自然と渋くなった。

『たった今、廃ビルにスーツ姿の四人組が入っていったそうです』

『ホントか?』

『それと、議事堂にフライトピザのホバーが降り立ったそうです。残念なことに中庭への着陸だったので、阿久津氏の姿は確認できなかったそうですが、今のところ監視は順調です』

『そっか』

 見張りをしようという提案は、ごく自然に上がったものだ。

 ただ問題は、それを誰がするかということだった。常に公開されているイツカは論外だし、公式に顔が知られている志麻華も無理な相談だ。執務室にいつも居るハズの響士郎がいないのも不自然なので彼も除外される。そうなると自然にジャーラしかいない。しかし廃ビルと議事堂の両方を見張るとなると、一人では難しかった。シオンという話も出たが、一昔前のモデルである彼女は見た目に目立ってしまい、隠密行動は向かない。仕方なく議事堂は諦めて廃ビルだけを監視しようと決まりかけたところで手を挙げたのが、たんぽぽだった。

 あの時のたんぽぽは真剣で、それでいながら緊張していて、自信がないながらも精一杯の勇気を振り絞っている表情をしていた。とてもノヴァータとは思えないほどの感情の機微に驚きながらも、誰もがそんな彼女の立候補を嬉しく思っていた。だからこそ、一抹の不安を抱えながらも誰一人反対することなく彼女の参加が決まったのだ。

 ほんの数日前の出来事だが、イツカの中ではもう思い出のような輝きを放っている。あの時のたんぽぽの顔を思い出すと、自然と頬が緩んだ。

 きっと今も雨の中で真剣な顔をして立っているのだろうと微笑ましい気持ちになりかけたところで、ふと気付く。

『なぁ響士郎、これからはどうするんだ?』

『とりあえずはどうするつもりもありません。まずは事実関係を確認することが先決です』

『じゃあ、出入りを監視するだけ?』

『現状ではそうなりますね』

『ビルの中は調べないのか?』

『さすがに内部はカメラも生きていますから、迂闊には入らない方が賢明でしょう。後ほど認証記録から会議に使われた部屋を特定することはできますし、今回は幹部の顔をたんぽぽが見ていますので、そこから詳しい事実が判明するかもしれません』

 響士郎は慎重だ。そしてそれは、イツカの耳にも当然のこととして聞こえる。彼らは警察ではないし、何か明確な犯罪の証拠を握っているというワケでもない。阿久津にとってGSSとの密談は政治家としてはダメージになるだろうが、それだけで何かの罪に問われることはなかった。

 せめてイツカの慰問を邪魔しようとした明確な証拠でもあればと、肩を落として大きな溜め息を吐く。

 このままでは何も変わらない、そう考えた彼は間違いに気付く。

『響士郎、今日の会議で連中は何を話すんだろうな?』

『さすがにそこまではわかりません。今後の方針などではないでしょうか。もしかすると、また何か仕掛けるつもりがあるのかもしれませんが』

 仕掛けるという言葉に、イツカは息を呑む。

 それが単に、GSSとの関係やイツカを貶めようという方針に関する決定であるなら、まだ良い。しかし、前々回で本多に責任を押し付ける算段を組み、前回でその本多に責任を擦り付けて切り捨てる決定を下していたのだとしたら、今の状況に甘んじるだろうか。

 そんなことはないと、イツカは思った。少なくとも、もしイツカが阿久津の立場であったなら、いつ目を覚ますかわからない本多の存在は、放置しておくには不安が大きい。

 イツカは椅子を蹴倒して立ち上がり、ボードを閉じた。

「殿下、どうしました?」

「出かける」

「何を言って――」

「今何とかしないと、きっと間に合わない!」

 上着を手にする幼馴染みを見ながら、響士郎はこっそりと溜め息を吐いた。

 彼とて、本多の行く末には気付いていた。しかし現状、止むを得ない犠牲と割り切るしかないと判断したのだ。せめて阿久津議員とGSSとの間に何かしらの密談があることは、何らかの証拠として押さえてから動きたかったのである。

 しかしイツカが自ら気付いて動き始めた以上、それを無理矢理押し留めるつもりは、響士郎の中にはない。どんな意思であれ、どんな判断であれ、そのサポートをするのが彼の役割だからだ。

「車は手配しました。二分で正門前に着きます。走りますよ」

「響士郎……よしっ!」

 法案を残し、二人は走り始める。

 久しぶりに見せる、明るい笑顔を見せながら。

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