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神華  作者: 栖坂月
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暴露編 08

 和風の玄関をくぐると、すでに女将が待ち構えていた。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

 三つ指をつき、深々と丁寧に頭を下げる。昨今、コンビニ店員すら挨拶の強要は人権がどうたらと言われるようになった社会においては、珍しいというより時代錯誤な印象すら抱かせる。

「ここは私の行きつけでね。いい店なんだ」

「これは先生、お上手ですこと」

 背の高い壮年の紳士の言葉に、女将が口元を隠して小さく笑う。

「今日は若いのを連れてきた。初めてだが、構わないよな?」

「先生のご紹介ならお断りする理由はありません。部屋はいつもの場所ですが、よろしいですか?」

「あぁ、頼む」

 かしこまりましたと穏やかに告げ、用意されたスリッパに二人が履き替えるのを確認すると、女将は先導するように歩き始めた。

 政治家の行動に対する制約や公開義務は、今や通信記録にまで及んでいる。どこの誰と連絡を取ったのか、必要があると判断されれば提出の必要があり、基本的に拒むことはできない。もちろん、だからといって常日頃から全ての通話記録が公開されているのではないし、それを勝手に覗き見ることは立派な犯罪だ。ただそれでも、いついかなる理由で提示が求められるかわからないという職業上の理由により、政治家の通信機器に対する警戒は一般人のそれよりも遥かに強い。

 そしてそれ故に、一切の通信機器が使用できないという、一般人からすればサービスに不備のある料亭や座敷が、政治家達にとっては羽を広げられる場所となっていた。その中でも、ここは特に料金がお高いことでも知られた老舗である。

 三ツ星レストランや高級寿司店に顔の利く三木原でも、紹介がなければ入れないこの店の敷居を跨ぐのは初めての経験だ。

「どうぞ、ごゆっくりなさってください」

 一番奥の部屋に通され、二人の男性は向かい合って座る。本来は5、6人で囲むべき食卓は、相手に対する緊張も相まってか、三木原には広すぎるように感じられた。

「まぁ、楽にしなさい」

「はい」

 背広を脱いだ壮年の紳士――中峰安弘なかみねやすひろは、料亭の雰囲気に呑まれている息子同然の三木原を見て、思わず噴き出した。

「若手政治家のホープと噂される男が料亭で唖然とする様など、キミの友人達が見たら笑うだろうな。いや、情けないと怒るところか」

「勘弁してくださいよ、中峰さん」

 もっともな指摘に我に返り、自分を恥じながら背広から腕を抜く。

「それより、誘っていただいたのは嬉しいんですが、他にはどなたかいらっしゃるのですか?」

「いや、今日はサシだ」

「そうなんですかっ?」

 三木原は素直に驚く。

 この中峰という男は生粋の政治家である。三木原の祖父が議員をしていた頃に秘書を務め、現在華京の知事をしている三木原の父とは古い友人である。そんな、三木原にとって身近な政治家であった中峰は、自然な流れで政治のなんたるかを彼に伝え、結果的に師匠と弟子という関係に落ち着いた。一応は独り立ちをしたと称してはいるものの、三木原にとって中峰は頭の上がらない数少ない人物の一人である。

「たまにはいいだろ。他の人間が一緒だと話し難いこともあるだろうしな。それに、ここを紹介しておきたかった」

「あぁ、確かにいいところですね、ここは」

「わかるか?」

「我々政治を生業としている者にとっては、特に」

「そうかそうか。うんうん、あのトシくんも成長したものだ」

「トシくんはやめてくださいよ。さすがに私もいい歳なんですから」

「そうか。そうだな」

 豪快な笑い声は誰にも届くことなく、しかし盛大に響き渡った。


「キミは新しい皇太子をどう思っているかね?」

 お酌をしていた三木原の手が僅かに止まる。

「どう、というのはどういう意味でしょうか?」

「率直な印象、という意味だよ。この前国会にも顔を出したし、慰問の話も結構話題になってるんだから、知らんということはないだろう?」

「えぇ、まぁ……」

 意図するところが読めず、曖昧な返事をしつつ適切な回答を頭の中で探しながら、自分のお猪口にも熱燗を注ぐ。

「で、どう思うね?」

「……さぁ、正直なところ、あまり興味はありません」

 迷った挙句、心理の一端を正直に吐露する。

「そういえばキミは、皇室制度には否定的だったな」

「否定的というほどではありませんが」

「世襲が気に入らない、というタイプではないよな?」

 そもそも三木原自身が世襲議員のようなものである。一度失われたに等しい祖父の地盤を奪い返したのだから、単に磐石なものを受け継いだ二世議員とは違うが。

「もちろんです。むしろ優秀な血統に優秀な手腕を発揮させる社会こそ理想と考えます」

「となると、やはりコストと効率性といったところか」

「それもなくはありませんが――」

 やはり政治家である。思想と思考をぶつけあうと、途端に饒舌になる。

「政治を運用するものには、相応の資質と技量が必要であろうと思うのです」

「ほほう」

 お猪口の中身を一口に流し込み、神華うなぎの入った卵焼きを箸で摘み上げる。もちろんの話ではあるが、神華うなぎはうなぎと名前がついているが、うなぎではない。

「要するに、適材適所にそぐわない、と言いたいのかな?」

「そうです。税金を投入して庶民に政治を任せるなど、無駄以外の何ものでもないでしょう?」

「しかし、今は頼りなくとも、いずれ賢君と呼ばれるかもしれないぞ」

「現状で賢君かどうかがわからない時点で、時間と費用の無駄です。それならば最初から賢君を育てた方がいいでしょう」

「なるほど」

 三木原の酌を受けてお猪口を満たしながら、中峰は頷いた。

「つまり、かつての皇室のシステムであるなら、文句はないということか」

「全く文句がないワケではありませんが、少なくとも現状よりは遥かに効率的だと思いますね」

「いやはや、驚いたね」

 中峰は口の中でくくくと笑う。

「何がおかしいんです?」

「似ていると思ってな、かつての私に」

 この発言は、三木原にとっては少々意外だった。どんどん前に出て切り崩してでも理想を追うようなタイプの自分と違い、中峰はバランスを取りながら上手に迂回するタイプだと思っていたからだ。政治家として敬意を払うべき相手ではあるものの、そのやり方は彼から見るとまだるっこしいものだった。

「へぇ、中峰さんにもそんな頃があったんですね」

「もう若くはないからな。まぁ若かった頃も、キミほど上手くはやれていなかったが」

「ご謙遜を」

「謙遜なものか。ただ、前を歩くものとして一つだけ言わせて貰うとするなら――」

 いつも柔和なその眼差しの奥に、一瞬だけ鈍い輝きが宿る。

「皇室をあまり舐めん方がいい」

「別に舐めているつもりはないんですが」

「……キミは、現国皇が皇太子になった頃のこと、憶えているかね?」

「ええと25年前でしたっけ。まだ小学生だったと思いますし、さすがに憶えていないですね」

 当時の記憶を辿っても、政治のせの字も出てこない。

「私は今のキミより若かったよ。まだキミのお爺さんの秘書をしていた」

「そうでしたね」

 たまに祖父と共に訪れる中峰に遊んでもらったり、勉強を教えてもらったりしたこともある。子供時代の思い出だ。

「当時の皇太子の公示といったら、それはもう酷いものでな。若者には別の意味で受けが良かったようだが、我々のような政治を志す若者達にとっては、憤りの対象だったよ。国の政を何だと思っているんだ、とね」

「そんなにですか」

「今の皇太子の公示は、アレを見た者達からすれば許容範囲どころか理想に近いね。むしろいい子ちゃん過ぎて大丈夫かと不安になるほどだ」

 三木原にとっては下らないの一言で片付けられた公示だが、少なくとも彼の師匠は高く評価しているようである。

「そんな酷い公示だったから、最初の支持率が出た時は鼻で笑いながらざまぁ見ろと思ったもんさ。すぐに皇太子は交代するか、そうならなくとも国民の支持など得ることはずっと無理だろうと高をくくっていた。むしろ引き摺り下ろすくらいのつもりでいたものさ」

 引き摺り下ろすという単語に内心ドキリとするが、何とか表情には出さずに済んだのか、中峰は気にした風もなく続けた。

「だが、キミも知っているだろう。現国皇は歴代でも平均支持率の高い優秀な男だ。というよりキミらの世代だと、低かった印象なんて微塵もないんじゃないか?」

「そうですね。現国皇に大きな不満を抱いたことは、今のところありません」

「人は変われるし、我々も変われるのだよ。簡単な理屈さ。だが、変えられるからといって無闇に捻じ曲げちゃいかん。そこから生まれるのは、誰の目から見ても美しいものではないからな」

「そう、ですね」

 お互いに考えていること、意図していることは少しずつ違う。しかしそれでも、政治家として果たすべき最低ラインは、共通していた。

「我々の仕事は決して綺麗事だけでは片付かん仕事だ。しかし民衆が求める政治家は、より綺麗で汚れていない政治家なんだ。もちろん、そんな政治家は存在しない。だからせめて、綺麗な服で隠せる程度の汚れに留めなければな」

 真剣な眼差しを受け止めつつ、三木原は静かに、しかし確実に一つ頷いた。

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