暴露編 03
「お忙しいところ、本当に申し訳ございません」
「いえいえ、そんなことないです」
もうすっかり慣れた応接室にて、柔らかな物腰でスーツ姿の中年男性をソファに誘う。こういったやり取りも最初はたどたどしかったイツカだったが、さすがに何十回と繰り返すと自然に流れが身についてくる。
それが例え今朝になって急に捻じ込まれた来客であろうと変わらずに対応できるのは成長の証であろうか。
いや、突然であったにもかかわらず対応に落ち着きが見られるのは、単純に目の前の男性が顔見知りであるせいだ。
「ワザワザお時間を作っていただき、本当にありがとうございます」
座るなり、男は深く頭を下げる。腰の低さは元々の性格なのだろう。あの慰問の時も、常に恐縮していたような印象がある。
「構わないですよ。ぼ――私としても顔見知りの方とこの場で話せるのは緊張がほぐれますし。あ、何だか手を抜いているみたいで失礼でしたね」
「いえいえ、むしろ嬉しいです。顔を憶えていただけたなんて光栄ですし。えっと、改めて自己紹介させていただきます。GSSの本多と申します」
「これはご丁寧に。それで、今日はどういったご用件で?」
「改めて謝罪に伺いました」
内心では別にそこまでしなくともと思うイツカだったが、辛うじて顔には出さずに済んだ。どんな理由があるにせよ、また慰問が成功に終わったという明確な事実があるにせよ、会社の代表として請け負った任務を正確に全うできなかったことは事実である。誠意のあるなしにかかわらず本多が頭を下げるのは社会として必要な措置であろうし、イツカはそれを受け入れる立場であることくらいは、社会人としての経験に乏しい彼にも理解はできた。
「今回の不手際、誠に申し訳ありませんでした!」
テーブルに手をつき、額を擦り付けるようにして頭を下げる。
「……頭を上げてください」
「はい」
「私にとってあの慰問は、とても嬉しいものでした。被災者の方達に喜んでもらえたのはもちろんなんですが、良い形で良い経験をさせていただいたと思っています」
それに久しぶりの外出だったしと心の中で付け加える。
「だから、むしろ感謝しているんです」
「殿下……」
その笑顔に嘘偽りがないと感じて、本多は言葉に詰まった。そして自然と涙腺が緩む。
「ああああああのっ!」
「いや大丈夫です。申し訳ありません」
大の大人に泣かれて慌てるイツカを突き出した左手で制し、ハンカチを取り出して目元を拭う。そして一つ鼻を啜った本多は、清々しい笑顔を見せた。
「これで安心しました。会社に気持ち良く報告できます」
「そうですか。それは何よりです」
実際、今回のトラブルは不幸な出来事が運悪く重なっただけのことで、明確な落ち度などどこにもないとイツカは思っている。強いて言えば元々のナビゲートを担当していた人物が急遽体調不良を起こしたことが問題だが、その担当者一人のせいで起きたことではないし、体調不良が会社の責任と言い切るのも無理がある。
曖昧こそがベストな選択肢になり得ることを経験的に知っているイツカにとって、この件を流してしまうことは至極当然のことと言えた。
「あのトラブルは、誰が悪いという話でもないんですから、気にすることはない思います」
それは当たり前の発言、イツカはそう思っての言葉だったが、何故か本多の表情は曇った。その反応が気になって、イツカは小首を傾げる。
「あの、何か?」
「あぁいえ……その、殿下の映像は公開されているんですよね?」
「あ、はい、慰問の時もご説明しましたけど、私が映っている場面は全部公開されるらしいです。大勢の人間が一緒に映っているような場合などの、映像だけで僕の姿が確認できない場合は弾かれているって聞きましたけど」
連続認証自体は、顔などで個人認識が困難な場合でも、連続性による追跡が可能な場合は維持される。例えば頭上からの映像で頭しか映っていなくとも、途中でテレポーテーションでもしない限りは維持されるのだ。しかし連続認証として使用された映像の全てが公開されるワケではない。公開されている動画は、それらの映像の中から取捨選択されたものだ。イツカがそのことに関して今一つ明言できていないのは、単純に彼が自分の映像をチェックしていないからである。
「えっと、今も映っているんですよね、あのカメラで」
「はい、一応事前に了承をいただいているハズだと聞いているんですが、ひょっとして説明されませんでした?」
「いえいえっ、補佐官の方にお聞きしてます」
「そうですか。なら良かったです」
「大変ですね。四六時中人に見られるなんて、私なら落ち着きません」
「最初は私も慣れませんでしたよ。でもまぁ、慣れるというか、最近は気にしないようにしてます。どうせ取り繕ったところで、私みたいな凡人が天才に見せることなんてできないんですから。なら潔く、できることをちゃんとやっている姿を見せた方が良いと思いまして。実際、随分と気が楽になりました」
「……殿下はやはり殿下なのですね」
「それは、どういう?」
イツカが素直な疑問を口にしたところで、控えめなノックの音が響く。音だけでわかる。これはシオンだ。
「どうぞ」
「お茶を、お持ちしました」
相変わらずの陶器人形めいた風貌ではあるが、物腰は柔らかく無駄がない。一見すると無表情で、特に初めてノヴァータを間近に見たという者達は人と違う異質さを感じるというのが、第一印象としては多い。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
お茶とお茶請けを綺麗に並べ、きっちり三十度に腰を曲げる。
「失礼、いたします」
音もなくドアを開き、そのまま退出する。
「綺麗な方ですね」
「シオンっていうんです。ぼく――じゃなくて私よりもずっと長く上川離宮で働いているんですよ」
「なるほど、道理で動きに無駄がないと思いました」
シオンは皇室関係者の世話という雑務の他に、来客の案内とお茶の用意を仕事として担当している。物珍しく思う者は少なくないが、それよる文句や苦情が上がることはまずなかった。その仕事ぶりを見れば、誰もが納得するところだ。
「ところで、先程の言葉の意味ですけど」
「あぁえっと、大したことじゃないんですよ」
そう前置きした上で、本多は続ける。
「私には中学生の息子がいまして。これがまた子供っぽいと言いますか、まだまだ甘えん坊でしてね。殿下と三つか四つしか違わないのにと思ったら、少々情けなくなりまして」
困ったものですと呟く本多の表情は、眉根こそ寄っていたものの、それほど困っているような素振りはない。子供らしい息子を可愛いと思っているのだろうと素直に感じられた。
「私だって中学の頃はもっと子供でしたよ。というか、今でも子供です」
あの慰問だって、元を正せば彼の子供染みたワガママがあったからこそ、響士郎が急遽捻じ込んだものだ。今の自分が大人の真似事をしていると思っているのは、他ならぬ彼自身である。
「殿下が中学生の頃は、どんなことをしていたんです?」
「どんなって言われても、ごく普通の中学生でしたよ。まだ自分がこんなことになるなんて、全く知らなかったんですから」
それから子供時代の話題に話が弾み、気付けば十五分という面会時間はアッサリと終わっていた。
「いやぁ、今日は貴重な時間を割いていただき、本当にありがとうございました」
さばさばした表情で立ち上がり、時間のほとんどを世間話に費やした本多は、ドアをくぐってもその態度と表情に何一つ変化は見られなかった。開口一番の謝罪をするためだけに来たというのも、この本多という人物の性格を考慮に入れるならあり得ない話ではない。
「いえ、またいらしてください」
イツカはいつも、別れ際にはそう言うことにしている。
「はい、またいずれ」
その明るい態度を見る限り、何かを抱えているようには、もう見えない。
「それでは、玄関までご案内いたします」
「頼んだよ、シオン」
小さな頷きを返したシオンが、ペコペコしながら愛想よく笑う男性を引き連れてしずしずと歩き始める。応接室は玄関にかなり近い部屋だ。一つ角を曲がればすぐに玄関ロビーである。
「あ、シオンさん」
角を曲がってすぐに、本多は足を止める。
「はい」
呼ばれて振り返ると、男の笑顔は消えていた。