暴露編 01
「おやつにしましょう、おやつ!」
お盆に二つのパフェを載せたジャーラが、ドアを開けるなり明るく言い放つ。いささか渋い表情でデータを睨んでいた志麻華は、そんな相棒の様子を見て溜め息を吐いた。
「三時までまだ二十分もあるじゃない」
「シマちゃん細かいよー。それより聞いて。何と驚き、今回はジャーラ特製バナナパフェだよ。凄いねー」
「いや、別に凄くないでしょ」
「存分に驚いたところで、さぁ食べて」
「いや、人の話はちゃんと聞きなさい」
そんな志麻華の言い分に耳を貸す気配すら見せず、踊るような足取りで漆黒のデスクに近づくと、モニターのまん前にパフェを置いた。
邪魔である。
というか、間違いなく邪魔をしている。
「まだ仕事中」
言いつつ志麻華は、左手でパフェをデスクの左端へと――動かしかけて、ジャーラの目にも止まらぬ早業によって掠め取られ、元の場所に戻される。
「アンタねぇ……」
「おやつは大事だよ、シマちゃん。脳の活性化には糖分が必要なんだよ。甘いものを食べないと計算を間違ったりするんだよ」
「私は甘いものを食べても間違ったりしないし、アンタは食べてても間違うでしょーが」
「しかもバナナには豊胸効果があってね――」
「そんなに言うなら仕方ないから食べてあげるわ」
ちょろい。
「それでこそシマちゃんだよ」
自分のデスクから椅子を引き寄せ、ジャーラも座ってパフェを手に取る。白い生クリームがたっぷりと載った贅沢な逸品だ。輪切りのバナナもそこかしこに浮いている。
スプーンとガラスが触れ合う微かな音が、白帆の間に響く。窓の外では冬の到来を感じさせるような寒風が吹きすさんでいるが、執務室の中は平和そのものだ。
「殿下達は忙しそうですね」
「例のアレでメディアの取材とかが増えたらしいからね」
例のアレというのは先日の慰問のことである。イツカに落ち度はないものの、一歩間違えば無様な醜態を晒していたところを、彼らしい誠意で乗り越えたのだ。彼個人を知る者にとってはそれほど驚くべきことではないが、皇太子の人となりを見極めようと思った人達には新鮮に映ったらしい。
現在彼の支持率は、七割を超えている。この数字は初年度の皇太子としては異例とも言えるほど高いものだ。
「シマちゃんとしてはどうなの? 面白くない?」
「何でよ」
「だって、シマちゃんが国皇になるつもりなら、殿下の支持率が低い方がいいじゃない」
歯に衣着せぬ物言いはジャーラの専売特許だ。だからこそ殿下と一緒の時は口を閉じていろと、志麻華は彼女に指示を出しているのである。もっとも、最近は忘れているような素振りも見受けられる。そもそも、寝る直前以外はほとんど公務のようなものであり、それだと実質的に殿下を避けろと言っているに等しい。元々が無理な注文だったのだ。
それに、公開動画へのコメントを見る限り素のジャーラがそれほど疎まれている様子はない。その爛漫さこそ彼女の魅力だということは、やはり伝わるものなのだ。
「私は別に国皇になりたいなんて思ってないけど?」
「え、そうなの? 殿下を陰謀の罠に嵌めて蹴落とそうとかしないの?」
「なんでそんなことしなくちゃならないのよ」
「いや、キャラ的に」
「私を何だと思ってんのっ。まぁ仮に、今の殿下が本当に不甲斐なくて国皇の器じゃないと思ったら、陰謀でも何でも仕掛けるかもしれないけど、少なくとも今の殿下にそんなことをする気にはなれないわね」
「もったいないなぁ」
「もったいない?」
パフェを食べ終えて器をデスクに置いた志麻華が小首を傾げる。
「だって、シマちゃん人気あるんだよ。殿下の動画にシマちゃんが出ると、再生数が露骨に増えるんだから。コメントはカワイイで埋め尽くされるし」
「いや、あんまり嬉しくないんだけど……」
「神華建国以来初にして最大のロリっ子国皇の誕生なんだよ!」
「ロリっ子言うな!」
「でもおっぱいないし」
「余計なお世話だよっ。というか、これから大きくなるのっ。ちなみに聞いとくけど、バナナに豊胸効果があるってホントなんでしょうね?」
「え? うん、多分ね」
「多分? 根拠は?」
「私、バナナ好きだから」
ジャーラは確かに大きい。しかし、バナナを好きなのはジャーラ一人ではない。
「アンタねぇ、そんな理屈で――」
今日も今日とてお説教が始まろうとした刹那、漏れそうな人が叩いているようなノックの音が響く。
「どうぞ」
表情を改めて出された志麻華の声に応じて開かれたドアから、ひょこりとたんぽぽが顔を覗かせる。
「あの、お邪魔でしょうか?」
「ちょうどおやつの時間だったから構わないよー」
「アンタが無理矢理おやつにしたんでしょうが」
「あ、えっと、お仕事中なら別に……」
「あぁいいの。休憩してたのは本当だから、入ってらっしゃい」
志麻華の言葉にたんぽぽはおずおずと、廊下の花瓶でも割った子供のような様子で入ってくる。少なくとも、食べ終わったパフェの器を回収しに来た、というワケではなさそうだった。
「で、どうしたの?」
こういう時、ジャーラの明るさは救いだと志麻華は思う。彼女一人の時に今のたんぽぽが訪れていたら、何も聞くことができないままに世間話で終わりそうな気がした。彼女としてはあまり認めたくはないところだが、ジャーラの無遠慮も時には役に立つのだ。
「……私、何をしたらいいんでしょうか?」
「どういう意味?」
言葉の意図を掴みきれず、志麻華は素直に返す。
このやり取り自体、志麻華には少し違和感がある。たんぽぽの動きや見た目や声が、構造的に人間との差が小さいことは頭では理解している。だがこのたんぽぽというノヴァータは、言葉の選び方や仕草に至るまでどこか人間臭い。それは決して悪いことではないが、シオンを始めとする標準的なノヴァータ達と違い、どうしても奇妙な感覚が付き纏うのだ。
「私は、殿下のために存在するノヴァータです。でも、何一つ上手くやれません。今日もお茶をこぼしてしまいましたし」
「気にしない気にしない。私もよくこぼすし」
気にしなくなったらジャーラ二号になってしまう。志麻華はそれはいけないことだと思った。
「もう少し詳しく話してみて」
椅子を勧めて腰を落ち着かせ、志麻華は話を聞くことにした。
新人であるたんぽぽの教育係は、シオンが担当している。シオンは自らの経験をデータという形で提供し、実演もして見せてくれた。本来なら、性能に勝るたんぽぽが旧世代のシオンの仕事を模倣するだけなら造作もないことだし、シオンもそう判断していた。しかし結果は失敗の連続だ。
その原因が筋力制御の経験にあると考えたシオンが、とりあえずとばかりに離宮で働く他のノヴァータの仕事をやってみるよう勧めたのは、自然な流れであったと言える。ところが、単純な判断や単純な動作しか必要としない仕事を、汎用性の高い最新型のたんぽぽは上手くできなかった。もちろん全て失敗したのではないが、それでも失敗は常に付き纏った。
そんな状況に落ち込むたんぽぽに、シオンはいつもの冷静な口調でこう言ったのだ
「自分にできることをできる範囲でやりなさい」
と。しかし何をやっても失敗するように思えるたんぽぽは、自分にできることがわからない。それを直接シオンに確かめることもできず、誰かの意見を求めてここへと流れ着いたのである。
「私、どうして良いやらわからなくて……」
あからさまに落ち込むたんぽぽを見て、志麻華は誰かに似ていると思った。と同時に父が、国皇がどんな意図で彼女という存在をこの上川離宮に贈ったのか、何となく理解した。
「失敗してもいいじゃない」
「え?」
「殿下のためにすることなんでしょ。だったら、どんどん挑戦して、どんどん失敗しなさいな」
「で、でも……それだと殿下にご迷惑が――」
「いいのよ。アイツだって色々な人に迷惑をかけているんだもの。それに、そうやって成長していくのよ。殿下も貴方もね」
「あ……はい」
「それでも気になるなら、そうねぇ……ちゃんと謝って、一つ一つ償っていけばいいんじゃない? 一つの駄目なことは一つの良いことで補える、私はそう思うけど」
「そうそう、失敗なんて大したことないって」
ジャーラが盛大に笑う。
「あ、ちなみにだけど」
笑顔を崩すことなく、志麻華は静かにここ最近の支出データに目を通す。
「この過剰な生クリーム代、今月のジャーラの給料から差っ引いておくから」
「にゃんとぉっ!」
ジャーラの悲鳴に、小さな笑顔が交錯する。
上川離宮は、今日もやっぱり平和だった。