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神華  作者: 栖坂月
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初公務編 11

 結局のところ、この慰問というイベントはイツカにとって明るいものとなった。普段と違う環境、普段と違う景色、それらに触れるというだけでも十分に価値のあるイベントであったと言える。

「さぁ、次はいよいよいなべ市です」

 二つの被災地、その避難所を回った皇太子ご一行は、少しだけ足早に、しかしほとんど違和感を生じさせることなくスケジュールをこなしていなべ市へと入っていた。

「メールの返信はどんな感じだったの?」

 イツカの考えた文章を遅れるお詫びと合わせて、いなべ市役所へ送ったのは響士郎である。

「了解の旨はいただきました。一応午後七時にスケジュールを変更した上で、殿下をお待ちいただけるようです」

「そっか。それは良かった」

 何よりの懸念は受け入れを断られることだったが、ほとんど交渉することなく変更が受け入れられたというのは、イツカにとって嬉しい状況だった。後は、実際の現場でどれだけの人が迎えてくれるのかということだったが、国皇と違い知名度も実績もない彼が、突然の変更を許容してもらえるのかという点において、いささかの不安もある。

 ただ、予定通りに巡った二箇所において被災者の歓迎は温かく、離宮からの道程を労われた彼は、慰めるどころか逆に元気付けられたような気すらしていた。震災から既に一年が経過しているとはいえ、生活が戻ったと言えない者も少なくはなかったというのに、皇太子に対して不満や不安をぶつけるような声は、ほとんど聞かれなかった。

 それはもしかしたら皇太子である彼を頼りないと思ってのことかもしれなかったし、彼自身もそういった不満の多くを解決できる自信などなかったものの、彼が被災者へ行うのと同じくらいの配慮を、被災者の方々が見せてくれたことが、人としての強さを垣間見ることができたように思えて、素直に嬉しかったのだ。

「なぁ、響士郎」

 ふと視線を流して窓の外へと向け、イツカは口を開く。

「何でしょうか?」

「人間って、思ってるより強いんだな」

「……そうですね。人は、精神のあり様によって肉体すらコントロールが可能な生物です。地震という災害は、現在でも人の手に余るものではありますが、希望という意思を持つことで乗り越えられるものでもあると私は思います」

「前向きに行けば、か。確かにそうかもな」

「殿下もまだまだ頑張れるようで安心しました」

「え?」

「これからも前のめりに頑張ってください」

「それ転べって言ってるよね、絶対!」

「滅相もない。それより見てください。そろそろいなべの町並みが見えてきましたよ」

「やっと着いたのか」

 窓の外は既に陽が落ち、緑も山々もほとんど見ることはできない。まばらに設置された街灯の明かりが、傷付いた住宅街の片隅を切り取って見えるだけだ。

 本来なら、もう帰路についているべき時間帯である。会社勤めの社会人も、そろそろ退社して家に向かう頃合だ。仮設住宅とて、それは大きく変わるものではない。

「いなべの人達は、待っててくれるかな?」

「それは私にはわかりかねます」

「希望を持たせろよ!」

 イツカは早速くじけそうである。

 しかし、そんな不安はすぐに消し飛んだ。

 仮設住宅の並ぶ公共グラウンドに入る前、歩道を埋めるどころか車道にはみ出すようにして多くの被災者達――あるいは野次馬も含んでいるのかもしれないが、ともかくイツカのという皇太子の到着を待ってくれていたのだ。

 そこには、笑顔の歓迎が待っていた。

 三台のリムジンは誘われるようにして広場に乗り入れ、即席にしては立派な小さな舞台の裏手に停車する。本来なら護衛役が周囲を固めた上で代表者と相対するべき場面ではあるが、人々の奇妙な熱気と歓待ムードがイツカの心を溶かした。

「殿下、少々お待ちを――」

 手筈通りに護衛を待とうとした響士郎の言葉を聞くことなく、イツカは自らの手でドアを開き、待っていてくれたいなべの人達と相対した。

 ナイター設備の照明の下、喧騒に遮られて何を言っているのか聞こえない中で代表者と握手を交わし、そのまま小さな舞台へと連れて行かれる。慌てて後を追って車から出てきた響士郎も、ここで無理に流れを遮るのは得策ではないと判断したのか、仕方なく後について歩き出す。

 歓声が響く。

 喧騒が幾重にも渡り木霊する。

 既に二つの被災地を回って、直接現地の人間と対面することに慣れてきたと思っていたイツカだったが、こんな熱気に囲まれたのは生まれて初めての経験だった。今までにも生徒会役員として人前に立ったことはある。しかしそれは、そういう役目をただこなしただけで、彼個人を目的とする民衆に相対したのではない。そういう意味で彼は今、初めて注目される舞台に立っているのだ。

 マイクが設置されているだけの小さな舞台、その壇上に登らされたイツカは、しばし混乱した。自分が今、一体何を求められているのかわからなくなったのだ。

「えーと……」

 スピーカーを通して、思っていた以上に大きく自分の声が響く。慌ててマイクから顔を離し、一呼吸置いて思案する。

 その時、改めて気付いた。

 喧騒は止まない。それは軍隊や学生達の整列ではなく、自らの意思によって集った人々の海だ。整然とはしておらず、思い思いの言葉を発し、密度もまばらである。しかしその視線は彼へと――遅れながらもいなべ市を訪れた皇太子へと明確に注がれている。

 ここのいる人達は『イツカの到着』を待っていたのだ。

 そのことを実感した瞬間、言葉が決まる。

「遅れてしまい、まずはすいませんでしたぁ!」

 ペコリと大きく頭を下げる。

 いきなりの謝罪に、民衆がドッと沸く。そしてあちこちから「謝らんでいい」とか「知ってた」という言葉か上がった。

 響士郎からのメールが会場の人達にも伝わっていたのかと簡単に考えたイツカだったが、その発想が間違っていることにすぐさま気づく。

「あぁ、すいません。自分の行動が公開されているってすっかり忘れてました」

 思えば、車の中からいなべ市にメールを送った時、即座に了解の返信があった時にも少し妙だと感じたのだ。予定が変更されるワケで、普通なら一度検討をした上でああだこうだというのが、役場の決まりごとだと思っていただけに、まるでこちらの意図を察してくれたようだと感心したのである。好都合だったからすぐに気持ちを切り替えたものの、あの時点で既に彼の行動は筒抜けだったのだ。

 そして、トラブルの中でも手を抜かず、いなべ市にも足を止めてくれる心意気に、市民も応えたのだ。

「えーと――」

 彼は特別、いなべという地に思い入れがあるワケではないし、優遇しているつもりもない。ここへ立ち寄ることを提案したのも、せっかく遠出をしたのだから少しくらい帰りが遅くなっても大差ないと思ったからだ。正直なところ、みなべの人達の市民感情を考慮したのではない。

 それでも、彼の決断は心意気を感じさせ、人々は集った。

 皇太子として『善い行い』をせねばと、心のどこかで張り詰めていた気持ちが、スッと解けていくように感じた。

「改めまして初めまして、新しく皇太子になりました、イツカと申します。本日はこんなに遅くまでお待ちいただき、誠にありがとうございます。地震のことは、正直に言えば、ニュースくらいでしか知りません。でも――」

 見渡すと、人々の視線は真っ直ぐに彼へと注がれている。その目には生きている者の確かな光が輝いて見えた。

「これからのいなべ市は大丈夫だと、今確信しました!」

 この夜、イツカは歓声を浴び、笑顔の被災者と一緒に炊き出しの豚汁に舌鼓を打ち、たくさんの握手を交わした。彼が口にする何倍もの『頑張って』という言葉が、彼の耳と心に届いた。

 これが慰問として正しかったのかどうかは、彼自身にもわからない。ただ翌日、取材の予定すらなかった大手メディアがこぞって今回の慰問を取り上げた。ネット上の個人メディアから広まって無視できなくなったというのが実情だが、本来であれば地元紙に小さく取り上げられれば上々の公務がこれだけの注目を浴びただけでも異例と言える。

 しかし悲しいかな。

 翌日の当事者は睡眠不足と溜まった雑務の消化に追われて、感傷に浸る余裕もなかったのである。

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