表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神華  作者: 栖坂月
29/46

初公務編 10

「誠に、誠に申し訳ありません!」

 土下座でもしかねない勢いで、男は直角に腰を折って頭を下げる。

「えーと?」

 とりあえず近くに見つけた公園の脇に三台並んで停車し、現状の確認と今後の方針を検討しようということで車を降りた瞬間、先導車から降りてきた男が開口一番謝ったのだ。

 訳もわからず困った顔で響士郎に助けを求めるように視線を向けると、慌てた素振りの全くない様子で口を開く。

「ここは、いわべ町ですね?」

「そうです。誠に申し訳ありません!」

 男は頭を上げようとはしない。ただひたすらに謝罪の言葉を繰り返すだけだ。ちなみに後続の一台に乗り込んでいた二人は少し離れた場所から周囲の警戒を行っている。たったの三人で護衛というのは小規模ではあるが、神華の皇室ではそう珍しいことではない。ただ今回は、少々特殊な事情が重なっているので、一概にこれが標準とは言えないところだ。

「響士郎、どういうこと?」

「目的地を間違えているのです。我々が向かおうとしているのはいなべ市、しかし現在居るのはいわべ町です」

「本社に確認を取りましたところ、連絡の不手際による自分のミスであると判明いたしました」

「つまり、聞き間違えたということですか?」

「そうです。大変申し訳ありません!」

 響士郎相手にも全く頭が上がる気配はない。

「あの、とりあえず頭を上げてください」

 さすがに恐縮して、イツカは柔らかくそう口にした。

 男の見た目は彼より十歳、いや二十歳は多く見える。イツカとしては、自分の護衛が大役であるのかどうかは自信がなかったものの、皇太子の護衛という立場の人間が無能ということもないだろう。そんな、それなりに社会で認められてきた大人の男性が、経験も実績も足りていない子供に自らの過失を認めて頭を下げているのだ。

 良識と覚悟を持った相手を、イツカは貶めたいとは思わない。

「本当に、何と謝罪したら良いものか……」

 渋々ながら、男は失意の表情を持ち上げる。姿勢を正すと、イツカより遥かに背が高い。単にナビゲートだけでなく、護衛も兼ねているのだろう。その体躯は日頃の鍛錬が目に見えてわかるほど力強かった。

「えっと、結局何がどうしてこうなったんです?」

 イツカは素朴な疑問を正直に口にした。

「全ては自分の責任です。処分はお受けいたします」

 また頭を下げようとする男を、イツカが慌てて止める。

「いやいやいや、そういうことじゃなくてですね。間違えたにしたって、こんな風に全然別の場所に行き着くなんて、さすがにおかしい気がするんですけど」

「それは……」

 心当たりはあるのか、男は表情に出しかけてから慌てて取り繕い、言い淀む。

「確かに、少し妙ですね」

 響士郎も追い討ちをかけるように続く。

「ナビを利用するにしても、単純に目的地だけではなくルートそのものがある程度定まっていたハズです。この話が最近持ち上がったものである以上は、綿密な選定がなされたとは言えないでしょうが、少なくともルート選定が出来ないほどの急なお話ではなかったと思います。そもそも、突然で警察には対応できないからこそ、GSSがお受けになった話なのでは?」

 GSSというのはグローバルセキュリティサービスの略で、メジャーな民間警備会社の一つである。民間企業のセキュリティシステムに多くのシェアを有する会社ではあるが、その裾野はあまり広くはない。神華発祥のセキュリティ会社でもあることから、治安の良い場所でしか機能しないなどと揶揄されており、外資系の会社に比べるといささか生温いというのが総評だ。今回の皇太子護衛の立候補は、少しでも新しい販路を得ようというアピールからというのが大方の見方である。

 もっとも、この事態もしっかり公開されてしまっているワケで、結果的には上手くいっていないことになってしまうのだが。

「本当に申し訳ございません。全ては自分の責任です」

「ちょっと響士郎、責めるようなこと言わない!」

「いえ、責めているワケではありません。少しばかり奇妙だなと思っただけのことです」

「お前の言い方は何と言うか、ザクザクと心に刺さるんだよっ」

「以後気をつけます」

 絶対嘘だゾ。

「それはそうと、何かしらの突発的なトラブルがあったのではありませんか?」

 男はその指摘に少しだけ表情を曇らせ、しばし黙り込んでから俯いてゆっくりと口を開いた。

「……いえ、全ては自分が招いたことですので」

 それが会社にとってマイナスになるようなことなのか、それとも特定の誰かを庇っているのか、男は明らかに回答となるであろう言葉を飲み込んでいた。

「あのぅ、若輩者がこんなことを言うのは生意気かもしれませんけど」

 小さく手を挙げたイツカが、申し訳なさそうに前置きをしてから男に正対して一つ息を吸い、目を合わせて続ける。

「わからないという状況からは、信頼は生まれないと思うんです。逆に、それがどんなに相手の好意を削ぐものでも、仮に嫌いだという意思表示であったとしても、その意思を相手に伝えた時点から、理解と信頼は始まると思うんです」

「……しかし」

「ここからどうするにしても、起きてしまったことは変えられません。でも、何が起きたのかを知ることで、僕達の心持ちはもちろん、被災者の方々との関係だって修正していけると思うんですよ。その理由が納得のいくものなら、僕は自信を持って遅れた理由を説明したいと思います」

「殿下」

 それは短い敬称を呼んだだけのことだが、彼を知らない他人から、本当の意味でそう呼ばれた瞬間でもあった。

「僕がもう少し、隣に居る響士郎くらいに利口だったなら、きっと貴方の思いを察して汲んで、適切な対応ができるのかもしれませんけど、生憎とあんまり成績も良くなかったので」

 えへへと笑う皇太子を見詰める二人の瞳は、違う思惑を写してはいたものの、それらは共通して温かく柔らかい。

「ちなみに成績は中の中といったところでした」

「余計なことバラすなよっ!」

 そのやり取りに、男の表情も綻ぶ。

「わかりました。正直にお話します。ただ、身内の恥を晒すような恥ずかしいお話なので、笑わないでいただけると助かります」

「殿下は気をつけてくださいね」

「笑わないよ!」

 男は僅かな笑みを浮かべ、話し始めた。

「実は、自分は本来ナビゲートの担当ではないのです。護衛の一人でした」

「では、ナビの人は?」

「昨晩急に体調を崩しまして、今は病院です」

「大丈夫なんですか?」

 病気と聞いて慌てたような声を出すイツカに、男は微笑む。

「あぁ、ご心配なく。命に別状があるような病気ではありませんので。ただ、最後のチェック中に倒れたそうで病院に運ばれまして、そのまま入院しています」

「それで代役に、ということですか」

 大体の事情を察してか、響士郎は頷く。

「その時既にルートは入力済みだったらしいのですが、どういうワケか初期化された状態になっていまして。時間もない中でナビ担当と本社に確認を取ってみたのですが、今から別の人員を用意するのは間に合わないから、とりあえず手動で最初の目的地に向かってくれと言われまして」

「その辺りの対応は、正直お粗末ですね」

「言い訳のしようもございません」

 何度目になるかわからない謝罪の言葉を口にしつつ、頭を下げる。

「謝らないでください。響士郎は元々嫌味な言い方が癖で、別に責めているワケではないと思うので」

「はぁ」

「それで、入力の時に地名を間違ったってことですか?」

「迂闊でした。突然の指名で、護衛だけすれば良いと言われていたとはいえ、彼にナビゲートの業務を委ねすぎたことが原因です。一応本社から以降のルートが届いていますが、そもそも現在地点が違っているので役に立ちません」

「実際、どのくらい目的地とは離れているんです?」

「えーと……」

 イツカの急な質問に戸惑う男を助けるように、響士郎が口を挟む。

「ここから元の目的地であるいなべ市に向かう場合、単純に計算しても3時間はかかりますね。以降の予定がそのままスライドするとした場合、最後の訪問予定地は削る必要があると思います」

 急な話ということもあって、日帰りという強行スケジュールであり、もちろん明日は明日で予定を抱えている。余裕はあまりない。元々の予定でも離宮到着は午前零時なのだ。

「全部でいくつ回るの?」

「三箇所です。しかも、いなべ市は最も大きな被災地ですから、外すことはできません。外すなら他の二箇所のいずれかということになります」

「うーん……」

 イツカは少し悩んでから、響士郎を横目で見上げる。

「別の場所へ先に向かったら、どのくらいのロスになるの?」

「次の被災地へここから向かった場合、一時間遅れ程度で合流できると思います」

 一体どのタイミンクでこの質問を予期していたのか、響士郎の回答には迷いも躊躇もない。

「なら、そっちを先に回ろう。いなべ市の皆さんには僕が直接説明するよ。予定ではお昼ご飯を一緒に、みたいな感じだったから、夕ご飯を一緒にってことでいいんじゃない?」

「その場合、帰宅時間が三時間以上延びる可能性がありますが、よろしいですか?」

「車の中で寝るからいいよ。あ、護衛の人達はマズいのかな?」

「いいえ、何も問題ありません。殿下のご意向に沿わせていただきます」

「なら決まりですね。早速出発しましょう」

 イツカの笑顔には一点の曇りもない。

 男は最後にもう一度深々と頭を下げて皇太子が車に乗り込む姿を確認してから、表情を引き締めて先導車へと足を向ける。

 その瞬間、空の抜けるような青と肌を撫でる優しい秋風に、男は初めて気付いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ