初公務編 09
静かな郊外の二車線道路をいささか珍しいリムジンタイプの車が三台連なって走る。秋の深まり始める季節とはいえ、まだまだ緑の多い大地の向こうに、赤や黄色に染まり始めた山々が見える。
「い・も・ん! い・も・ん!」
前後を挟まれた真ん中の車中、臨時に用意されたロイヤルサルーンでイツカは盛大に浮かれていた。
「さすがに不謹慎ですよ、殿下」
同乗している響士郎が嗜める。
「あ、そっか。車内も映っているんだっけ。めんごめんご」
ウザい。
「今回の外出はハイキングでもピクニックでもなく、被災者の方々を慰問することです。そのことはくれぐれもお忘れなきよう」
「わかってるよー」
軽い返事をしながら鼻歌交じりに車窓から外を眺める。流れていく景色を見ているだけでも、今のイツカにとっては楽しくて仕方がないようだ。
「一年前に起きた震災による犠牲者は二十名程度ですが、倒壊したり倒壊の恐れのある家屋が数多くあり、仮設住宅に避難している国民が二千人以上居ます。そのくらいのことは知っていますね?」
「まだそんなに避難してるんだ」
少し驚いた顔を振り向かせる。イツカにとって一年前の西部地震は話題としては憶えているものの、彼の住んでいた地域に直接の被害はなかったことから、あまり深刻には考えていなかった。
神華という国は大きく五つの島に分かれており、真ん中にある最も大きな『本島』を中心に、東西南北に一つずつ小さな島が存在している。巨大な海洋プレートが北と東に存在しており、元々地震の多い立地条件ではあるものの、西と南は比較的地震に対する備えが薄かったことが、西部地震の被害を大きくしたと言われている。
「かなり余震も減ってきているので、地震そのものに対する警戒は和らいでいますが、今までと違う生活を余儀なくされてストレスが募り、そこから病気や心身の不調へと繋がっている住民の方も多いと聞いております」
「医者とか病院とかはどうなっているの?」
「もちろん既存の病院も非常用の医療施設も機能していますよ。それでも、安心して生きるためには不十分なことも多いのです。突然環境が変わり、不十分な状況を受け入れなければならないというのは辛いものです」
「うんうん、その気持ちは痛いほどわかる」
腕を組んだイツカは、渋い顔で何度も頷いた。
「殿下は十分に贅沢な環境で生きていますが?」
「突然環境が変わることが問題なんだよっ。本人の同意ナシなのが問題なんだよ!」
「まぁ気持ちがわかるというのなら、誠意をもって慰問して下さい」
「おうよ!」
被災者とは似ても似つかない元気極まりない返事をしながら、再び流れ行く景色へと視線を戻す。今の彼は何と言うか、幸せそうですらある。
とはいえ結果的に『旅に出たい』という望みが叶ったのだから、この反応はある意味当然なものとも言える。
そもそもこの話が転がり込んできたのは、つい先日――一週間ほど前のことだった。例の旅発言が出る三日ほど前のことで、響士郎の予定には入ってなかったものである。降って湧いた予定と言っても差し支えない。
元を辿ると二ヶ月ほど前に国皇の慰問計画があり、それが延期されてしまったことで一端白紙となっていたものが、皇太子の仕事としてスライドしてきたものだった。被災地の様子も落ち着いており、国皇や皇太子に対する住民感情も悪くはないので、慰問自体にはそれほど大きな問題はないと響士郎は考えている。
ただ、話があまりにも急だったことと、来客予定を含めてスケジュールが埋まっていたことから、優先すべき案件ではないと判断していたのだ。それが先日、イツカの旅発言によって必要なものに変化した。だから今、二人はリムジンに乗っているのだ。
「なぁ響士郎、西島ってどんな所なんだ?」
「漁業と養殖が盛んですね。食べ物が美味しいことでも有名なところです。自然豊かでのんびりとした風土ですが、田畑や牧場は少なく、環境保護地域が広いのが特徴です。そこから溢れた害獣による被害が増えているというのが最近の傾向でしょうか」
「……海鮮丼、食べたいなぁ」
食べ物が美味しい以外のことにはあまり興味がないようである。
「まぁ、帰りに食事をする程度の余裕はあるでしょう」
「よっしゃ!」
「ホラ、そろそろ橋が見えてきましたよ」
とりあえずの息抜きになっている様子を見て、響士郎は少しだけ表情を和らげる。一大事と言えるほどではないにしても、イツカのメンタル管理は響士郎の大切な仕事ではあった。詰まりきったスケジュールの中で、公務をこなしながらケアをするというのは、簡単な話ではない。特にイツカの公務はほぼ完全に公開されている。迂闊に手を抜いたりできないのは厳しいところだ。
響士郎もまた、この状況で手探りをしつつ進んでいる一人に過ぎないのだ。
「おー、結構大きな橋だなー」
窓に張り付いているイツカは、まんま子供である。
「神崎大橋です。西島と本島を結ぶ三つの橋の中で最も長いものです」
「へぇ」
西島の正式名称は神崎島という。その大きさは九州にほぼ等しい。
『失礼します。橋を渡り終えましたらタイヤ走行へと移行しますのでご了承ください』
不意に天井からアナウンスが響く。先導車に乗っている男性のものだ。乗り込む前に挨拶をしていたので、イツカにも聞き覚えはあった。
「わかりました。安全運転でお願いします」
『承知しました。二時間後に到着の予定です』
響士郎の返しに対する応対も丁寧で、イツカとしては好感の持てる人物だった。
「西島ってホバー使えないの?」
「使える場所も多いですが、完備には至りませんね。北島や東島に比べれば開拓時代の名残は少ない方だとは思いますが」
磁力反発において重要なのは車より道路である。一度設置してしまった道路をそのために掘り返すのには、当然のことながらコストがかかる。改修するにしても、人の多い地域から優先されるのは仕方のないことだ。
「タイヤ走行の車っていつ以来だろ。修学旅行以来?」
「かもしれませんね」
宮口高校の修学旅行は二年の春、つまり一年半くらい前のことだ。そう昔の話ではないが、イツカにとっては遠い過去の話であるようにも思える。
中学の修学旅行で東島へ行き、高校の修学旅行では北島へ行った。いずれは西島と南島へ行って神華を制覇したいなどと語っていたことを思い出し、彼はふと懐かしくなる。そして同時に、こんな形で西島への到達が叶うとは、夢にも思っていなかったと改めて実感した。
彼は未だ、自分を特別な存在などとは思えていない。
いや、一生そう思えない自信すらあった。
海を越えてから窓の外を流れ行く景色は、響士郎が説明してくれた通りの自然豊かなものだった。緑は一層濃く、山々は更に高く感じられる。時折通り過ぎる町並みは、どれも華京どころか彼が生まれ育った住宅街よりも小さなものばかりで、自然と共に暮らしている慎ましい生活が見えるようだった。
それは極めて当たり前のことだが、自分とは違う人間が自分とは違う場所で自分とは違う生活を繰り返している、という事実に感心させられる。
動かない、という意味では上川離宮の執務室も、このリムジンの中も大差はない。むしろトイレや風呂など、離宮にいる時の方が動き回れるハズではあったが、この流れる景色を眺めるだけでも、彼にとっては十分な気分転換になっていた。
ぐー。
しかし、気分は変わっても腹は減る。
「そろそろお昼だけどまだ着かないの?」
橋を渡ってから、かなりの時間が経過している。お昼は被災地で何かしら予定されているとイツカは聞いていた。橋上でのアナウンスからしても、そろそろ到着してもおかしくはない頃合である。
「そうですね」
ボードを呼び出し、響士郎が現在の時刻を確認する。
既に正午を回っていた。予定では正午に到着しているハズだった。次いで窓の外へ視線を向け、周囲の様子を確認する。そこにはたくさんの住宅が並んでいるだけだ。
「さっきから住宅街をぐるぐる回ってるみたいなんだけど、何でかなぁ?」
「……少々お待ちを」
響士郎は素早く検索をかけ、現在位置を特定する。彼らが向かっているのは『いなべ市』のハズだ。
「まさか」
珍しく響士郎が眉根を寄せる。
「いわべ、だと?」
「何か違ったのか?」
心配そうなイツカに顔を向けて、響士郎は小さく、しかし明確に頷いた。