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神華  作者: 栖坂月
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初公務編 06

 華京の中心に、石造りに見立てた漆黒の建物がある。

 この厳かで重苦しい建物こそ、国家中枢の一つである国会議事堂だった。

 そこへ足を踏み入れたイツカは、少々浮き足立っていた。

 自分がいかにも場違いな存在だ、ということもある。周囲を見渡せば三十代(地球年齢では五十代程度)以上に見える壮年の男性陣ばかりで、彼のような若者――更に正確に言うなら子供の姿は皆無だ。少し若そうに見えても、それはメディア関係者であったり秘書などの関係者であることが普通であり、周囲の景色に圧倒されている者は一人もいない。

「ふああぁぁ……」

 奇妙な声を出しながら、高い天井を間の抜けた顔で眺める。口が開いているのが更に情けない。とはいえ小学生の頃に社会科見学で訪れて以来の国会議事堂で、久方ぶりのまともな外出である。未だに皇太子としての自覚に乏しい学生気分の彼にキョロキョロするなというのも酷な注文だろう。

 しかも現在、手続きのために響士郎が離れている。ロビーの一角に立っているだけなので危険はないが、野放しの彼はまんま子供だった。

 視線を下ろしていくと、吹き抜けの天井から赤いカーペットの敷かれた階段が目に入ってくる。政治に疎いイツカでも、ここに大臣が並んでいる映像くらいは見覚えがあった。一般公開されている映像を直接目にしているという事実は、余計に自分が場違いではないかという思いを強くする。

 上川離宮での生活に慣れてきたとはいえ、彼はまだ十代の若者なのだ。

「えっと、あっちが確か議場で、こっちは政党ごとの控え室だったっけ?」

 一応予習として頭に入れてきた地図を思い出しながら、扉の位置を確認していく。上川離宮に比べて敷地面積は狭いが、部屋数はかなり多い。しかも似たような構造と景色が続いているせいで間違えやすい印象だった。もし響士郎とはぐれても、とりあえずロビーには戻ってこられるようにしておく必要があると思った彼は、周囲の構造をしっかり記憶しようと壁や天井に視線を這わせた。

 見上げて、視線を動かして、足元がおぼつかなくなる。

 少しばかりフラフラとよろけたイツカは、丁度歩いてきた男性と肩をぶつける。

「あ、すいません!」

 反射的に頭を下げて謝り、恐る恐る顔を上げると、いかにも不機嫌そうな顔をした男性が睨んでいた。

「どうして子供がこんなところにいる? 午後からは審議だぞ。見学は午前中で終わりのハズだが?」

 言葉に明確な棘がある。しかもそれはぶつかったことではなく、彼がここに居ること自体を非難しているように聞こえた。

「あ、えーと、僕はですね」

「仲間とはぐれたのか? だったらその扉の向こうに事務室があるから、そこで事情を説明しなさい。こんな所に突っ立っていたら邪魔になるだろう」

 何というか、やけにピリピリしている男性だった。

 スーツをピチッと着込み、七三にキッチリ固められた出来るビジネスマン風の男は、政治家と呼ぶには若いようにイツカには思えた。どう見ても二十代だ。ギリギリ『おじさん』と呼ぶと怒られそうな年頃だろう。一言で言うなら面倒臭い世代である。

 ただ、彼はどこかでこの顔を見たような気はしていた。この男性が国会議員であれば、それなりに露出をしていても不思議ではないから、わからないのは自分が政治に疎いせいだろうと判断する。

「えーと、ここで待ち合わせていまして……」

「そんなことは――」

三木原みきはらさん!」

 入り口付近から妙に張りのある声が響き、男――三木原俊史としふみの言葉を阻害する。三木原にとっては聞き覚えのある、しかしあまり印象の良い声ではないのか、一瞬表情を曇らせて小さな舌打ちをしてから振り返った。

「これは東西とうざいさん、今日も取材ですか?」

「えぇえぇ、これも仕事ですから。時間があればちょいとお父さんのお話でも思ったのですが」

「生憎と審議中は時間がとれそうもありませんで。申し訳ありません」

 口では謝罪の言葉を発してはいるが、その態度には明確な拒絶が見られる。三木原という男のことを知らないイツカですらそう思ったのだから、その意思が知り合いと思しき東西に伝わらないハズはなかった。

「それはそれは。ところでそちらの方は新しいお付きの方ですかな?」

「あ、いえ、どうにも迷っていたようなので、事務所へ案内しようと思っていたところです」

 まるで野良犬でも追い払うようにこの場からどかそうとしていたクセに、随分と虫の良い言い草である。

 イツカはこの瞬間、目の前の男が嫌いになった。

「審議中のこの時間に子供がいるなんて珍し――」

 言いかけて三木原の身体を避けて覗き込んだ東西が、イツカの顔を見るなり固まる。それまで気味が悪いほどにニコやかだった表情が素に戻り、晩酌が趣味のオッサンから仕事に燃える有能上司めいた鋭い視線が垣間見える。

「すいません。ひょっとして、皇太子殿下ではありませんか?」

「えっと……あー、はい」

 素直に頷いてしまってもいいものか少しだけ悩んでから、ここで刹那的に嘘を並べたところで全公開している以上すぐにバレてしまうと思い直し、小さな溜め息と共に頷くことにする。

「え?」

 心底驚いた顔をした三木原が再度振り返り、慌てて半歩身を引いてイツカを舐めるように眺め回す。誰の目から見ても整った風貌の三木原は、他人に見られることには慣れていても他人を観察することにはあまり慣れていないのか、その貼り付くような眼差しはいささか不躾に感じられる。

「あー、やっぱり。こういう言い方は失礼かもしれませんが、公示の時に凛々しく見えたもので、もう少し大人っぽい方を想像しておりました」

 要約すると、子供っぽいですねと言っている。

 もっとも、イツカ自身にも自覚があるので、正直なところ腹は立たない。これがもし小学生にでも言われたなら、もう少し腹が立つかもしれないが。

「皇太子……殿下?」

 一方の三木原は、まだ少し唖然としている。

「あれ、三木原さんは殿下の公示をご覧にならなかったんですか?」

「あ、えぇ……録画はしてあったんですが、観る暇がありませんで」

「さすがは未来の大臣を約束されたホープですな。お忙しいようだ」

 見え透いたお世辞に曖昧な頷きを返したところで状況の把握が終わったのか、三木原は態度を改めてイツカに向き直る。

「殿下。知らなかったとは言え、失礼しました。私は自社党じしゃとうの三木原俊史と申します。以後お見知りおきを」

「あ、はい。私はイツカです、どうも」

 何と返して良いのかわからないままに、差し出された右手を握り返す。先程までの、見知らぬ子供に対する態度とは雲泥の差だ。良くも悪くもメリハリの利いた人物であることは間違いないようである。

「正直、記者としては見過ごせない瞬間ですな」

「え?」

 東西の言葉が聞こえた瞬間、振りほどくように三木原が手を離す。まるで何かを嫌う、あるいは警戒するような素振りだ。コロコロと変わる態度に翻弄されて、イツカは宙ぶらりんな右手を見詰めるしかない。

「変な記事書かないでくださいよ、東西さん」

 顔では笑いながら、しかし明確な威圧感を伴って台詞を吐き、三木原は足早に立ち去っていく。その背中を見送る二人の視線は好奇に満ちた輝きと色を失った呆然、好対照だ。

「殿下」

「は、はい!」

 好奇に満ちた輝きに見詰められ、射すくめられるように姿勢を正してイツカは返事をする。学校でも、ここまでの鮮やかな返事をした記憶はない。

「私は毎朝新聞の政治記者で、東西といいます。今後の殿下のご活躍、期待しておりますよ」

「は、はぁ……」

 目をぱちくりと瞬かせるイツカに一礼して、東西は嬉しそうに口元を歪ませながら背を向けた。

 この時に何かが始まったことに、イツカはまだ気付いていなかった。

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