初公務編 02
玄関の前に並んで、四人は午後の柔らかい日差しを浴びていた。
昼食も休憩も終わり、そろそろ頃合だからと集められた彼らの前に、程なくして一台の特殊車両がやってくる。トラックと呼ぶにはいささか尻切れトンボなデザインで、小型の輸送車という表現が適切であるように見える。
「国皇って、いつもあんなゴツい車に乗ってるものなの?」
「いいえ」
イツカの素朴な疑問に響士郎が端的に答える。ひょっとして自分が移動する時にもけったいなデザインの車に乗せられるのではと思っただけに、少しばかり安堵する。
「やぁやぁ皆の衆、久しぶりだね」
輸送車から降りてきた国皇は、誕生日で会った時と何一つ変わらない笑顔で陽気に挨拶を始める。まるでプレゼントに生きた蛙でも仕掛けているような顔だ。
「ようこそお出でくださいました、陛下」
「うんうん、元気そうで何よりだ」
「はしゃぎすぎですよ、陛下」
皇后に窘められるものの、国皇の溢れる喜びは止まらない。何か良からぬ悪戯でも考えているのではないかと待っていた四人が警戒するのも無理はないところだろう。
「おや、そういえばシオンの姿が見えないね?」
「彼女なら歓待の準備を進めていますが、お呼びしましょうか?」
「うーん、シオンにもこの瞬間に立ち会ってもらいたかったが、まぁいいか」
少し悩んだ国皇だったが、待てるほど時間に余裕がなかったのか、はたまた精神的な余裕がなかったのか、意外なほどアッサリと響士郎の申し出を断った。
「まぁとりあえず見てくれたまえ。新たな皇室の一員となった君達への、ささやかなプレゼントだ」
そう言って国皇が輸送車側面のパネルを操作すると、スライドドアのロックが外れてゆっくりと開いていく。中からどんな化け物が飛び出してくるのかと思いつつ身構える四人だったが、とりあえず猛獣の類が出てくるような気配はない。
スライドドアの向こうにあったのは、棺桶のようなものだった。
プシュと炭酸飲料の封を切ったような音が響いて、白い冷気を周囲に広げながら金属か樹脂か判別の難しい灰色の蓋が中央で割れて開いていく。その向こう側、棺桶の中央にはエプロンドレスを身に纏った女性の姿があった。
「……綺麗だ」
真正面に立っていたイツカが思わずそう呟いてしまうほど、その造形は整っている。それは単純に『綺麗な人』という意味ではない。表情や態度など、生きて動くことによって美を表す人間の美しさとは、ある意味において対極にあるような、物言わぬ静かな人形であるからこその美しさ、そんな印象だ。
実際、その人形――ノヴァータの見た目は人間というより人形に近い。神華では特にそうだが、一般的にノヴァータを人間と見間違うことは少ない。それはノヴァータが人間の代わりではなく、人形やフィギュアの延長として存在していることにも起因している。
しかし、いやだからこそ美しい、そういう感性が人間には確かに存在する。
「紹介しよう。彼女の名は『たんぽぽ』だ。これからの君達を支えてくれる心強いノヴァータだ。最新モデルの試作品だからね。まだ市場には出回っていない特別品だぞ」
たんぽぽはゆっくりと目蓋を開き、自身の身体のパーツを確かめるように手や足を見詰めてから棺桶から足を踏み出す。その動きはしなやかかつ柔らかいものだ。シオンのようなノヴァータを日常的に見ているイツカ達にとっては、むしろ不自然にも映る。
タラップを降りる彼女の動きは、人間にしか見えなかった。
「キミ、実は人間でしたってオチなんじゃ?」
「はい?」
たんぽぽが小首を傾げた。その様子も実に人間らしい。
が、視界が傾いたことが悪かったのか、タラップを踏み外した。
しかしそこはさすがの最新モデル、抜群の運動性能で足を踏み出して転倒を防ぐ。唯一残念だったのは、その際に周囲の状態にまで気を配れるほどの余裕と経験に欠けていたことだ。彼女はとにかく崩れたバランスを戻そうと努力して、身体機能をフル活用して、その結果人間ミサイル――もといノヴァータミサイルが完成した。
新たな兵器の誕生である。
そして、その記念すべき最初の犠牲者は、当然ながら彼女の真正面に立っていたイツカである。
「ごぼはぁっ!」
突き刺さる脳天、黄色く見える金髪がサラサラで気持ち良かったハズだが、その感触を味わうには勢いが激しすぎた。まるでチーターに全力疾走でジャレつかれたみたいな状況に一同が唖然とする中、皇太子は身体をくの字に折り曲げて吹っ飛んだ。
この場合は恐らく幸いだったのだろうが、玄関が開いていたために彼の身体は五メートル以上の飛距離を稼いで無事に着地、ここに皇太子ミサイル事件は完結することになる。
余談ではあるが、このエピソードが公務全公開の前日であったことは、後の皇室フリークから無念の一言で語られることになるのだった。
「どうかね、容態は?」
「ご心配には及びません。ああ見えて身体は丈夫な方ですから」
響士郎のいつもと変わらない返事に、国皇はそうかと頷いた。
上川離宮に幾つかある応接室の一つ『舞人の間』へと通された国皇は、シオンが淹れてくれた緑茶を飲みながらのんびりとくつろいでいた。
「たんぽぽは?」
「看病しています」
「責任を感じる必要はなかろうがな。不幸な事故だった」
「あなた、そんなこと言ったらまたイツカに怒られますよ?」
「皇太子なんて仕事をする以上、トラブルに見舞われるのは仕方ないさ。むしろ良い経験をしたと思った方がいいだろうな。ま、私はシオンに頭突きを食らったことなどなかったがね」
呆れる皇后を尻目に、国皇はケラケラと笑う。
「頭突きは、確かに、ありません。拳を、叩き込んだことは、一度、ありますが」
「うん、そうだったね」
「シオンに殴られるって、一体何したの?」
皇室新参の四人の中では最もシオンと接点のあるジャーラが、いかにも不思議そうに尋ねる。
「うむ、ちょっと興味があってな。好奇心の賜物だよ」
「覆面を、被った陛下に、後ろから、スカートを、めくられました」
タイーホされてしまえ。
「恥ずかしがるシオンを見ようと思ったのだが、その顔を見ることなく気絶してしまったのでな。作戦は失敗に終わった。若気の至りというヤツだな」
「今やったら私も一発殴りますからね」
皇后の真顔が室内の気温を三度下げる。
「そんなことより、本題に入りましょう」
場の空気を濁すように、志麻華が溜め息混じりに言い放つ。一見すると平和かつ穏やかな状況ではあるが、国家を背負う人間が足を運んでいるのだ。悠長に雑談を楽しんでいられるほどの余裕はあまりない。
「個人的には、たんぽぽの紹介が本題だったんだけど。あ、シオンにも久しぶりに会いたかったぞ、もちろん」
軽口を叩く国皇ではあるが、この上川離宮が皇太子にとっての居城である以上、彼にとっても思い出深い場所であることに変わりはない。見える景色も、交わされる言葉も、全てが通ってきた道の端々に転がっているものだ。
国皇にとってここは、過去そのものなのだ。そして同時にイツカ達にとっては、今そのものである。
「とはいえ、仕事もせんとな。まぁ当の本人が欠席しているというのが少しばかり問題だが、ちゃっちゃと『加冠の儀』の話を済ませちまおう」
加冠の儀とは、皇室の人間が正式に成人と認められた時に行われるもので、様相としては小規模な戴冠式のようなものである。かつての皇室から受け継がれている数少ない儀式の一つでもある。
「待った方がいいんじゃないの?」
「いいっていいって。実のところ大したことするワケじゃないんだ。形式的なものだからな。スチルの素材になれば問題ないんだよ。日程も決まってるし、会場の準備は既にできてる。あとは本人の動きを少し確認してもらうってだけだ。その程度のことは有能なブレインにお任せするさ」
志麻華の疑問に、臭いものでも払うかのように手をパタパタと振りながら国皇が応じる。陛下は面倒なことが嫌いなのだ。
「そんなことより、さっさと決めること決めてお茶にしよう。ケーキは用意してあるんだよな?」
陛下は楽しいことと美味しいことがお好きなのだ。
「用意して、おります」
「さすがはシオン、わかってるね。わかってると思うが、オレのケーキは――」
「モンブラン、ですね」
「そうそう、シオンの紅茶を沿えてな」
「ホント、はしゃいでますね」
自分のことを『オレ』と呼称する陛下を、皇后は久しぶりに見たような気がした。この上川離宮という空間が、国皇の心まで若返らせているかのようだ。
「あぁ、ここに来るとやはり思い出すよ。昔のことを」
笑顔のままではあったが、無表情なシオンの顔を見上げる国皇の眼差しは、果てしなく優しい。
「たんぽぽのこと、頼むよ」
「はい」
託す言葉と、託される言葉が交錯する。
少しばかりの擦りあわせを行った国皇は、目を覚ました皇太子も交えて夕食を共にする。その会食は賑やかで、風情の欠片も持ち合わせてはいない。誰かがそうだと言わなければ、これが初めての親子による夕食の団欒であったことに気付きもしなかっただろう。
イツカの傍らでシオンが彼の身を案じ、国皇の隣でたんぽぽが自らの不出来を謝罪する。
ここが過去と未来の交差点であることに気付けたのは、恐らく響士郎と志麻華のみであった。