初仕事編 10
暗記していたハズの言葉は相変わらず真っ白に染まったままだった。それがどんな文章だったのかさえ、明確には思い出すことができない。何となく、硬くて読み難い文章だったという印象が残っているだけだ。
それでも、この場で自分が話すべきこと、伝えなければならないことはこびりついていた。この一ヶ月、離宮で共に過ごした時間を無駄にしない、その為に。
「正直、自分がこんなところで皆さんに向けて話をすることになるなんて、夢にも思っていませんでした。私には取り立てて他人に誇れるような特技も特徴もありません。多分、何をしても凡人の域を超えることはないと思います」
イツカの目の前にはカメラがあるだけだ。何一つリアクションが返ってくることはない。それは一抹の淋しさを感じさせはしたものの、その反応に動揺せずに済むことは今の彼にとって幸いだった。
一見落ち着きを取り戻しているように見える彼だが、口を大きく開けたら心臓が飛び出してくるのではと思うほどに鼓動が跳ねている。手や足も、意識して押さえていないと震えが止まらないと思えた。
間違いなく、今の彼は緊張している。しかし少し前と違って、緊張している自分を見ることが出来た。
そして、そんな彼を信じて見守る仲間達の視線も、肌で感じることができている。
大丈夫だと、イツカは自分に言い聞かせて口を開く。
「でもだからこそ、できること――いえ、しなければならないことがあると思っています。残念ながら、この国を背負うなんていう大それた役割が、今の自分に務まるとはとても思えません」
用意した原稿には、建前も書いてあった。彼なりの希望的観測というものだ。こうでありたい、こうであるべき、それを実現するために頑張りたいという、決意表明というよりは基本姿勢のようなものだった。しかし今の彼に、そんな『嘘』を綿密に構築するだけの余裕はない。
「私には幼馴染みがいまして、それがまた憎らしくなるくらいに有能な人間なんですが、素直な思いを口にするなら、ソイツが私の立場になってくれたらと何度も思いました。実際のところ今も、その方が良い結果を招くに違いないと信じています。でも――」
一呼吸置いて、イツカは改めて覚悟を決める。
「その友人が、他の誰よりも私が皇太子であることを認めてくれているんです。優秀で非凡な誰からも認められるような皇太子を演じるのではなく、私自身になれる――いや、違うかな。私にしかなれない、凡庸な皇太子になれと、そう言ってくれたのだと思います」
それは彼の本心から嬉しい言葉だった。だからこそ、重くも感じる。
「ですが正直なところ、私は自分の力を信じていません。信じられるほどの力を持っていないと、他ならない自分自身が思うからです。もちろん努力はするつもりですが、努力をしたからといって満足できる自分になれるとは限りません」
彼は何よりも、この先に待ち受ける苦難や困難よりも、自分という存在の器に不安と疑問を感じていた。そんな思いを抱えたまま国皇になどなって構わないのだろうかという迷いもあった。
「だから、私自身に対する評価は、私以外の人にしてもらうことにしました。私の素直な言葉ややり方が評価に繋がらないというのなら、潔く後ろに下がろうと思っています。元々自ら望んだものではありませんし、日陰から誰かを支えるのも性に合ってますので」
ある意味これが彼の本心から飛び出した言葉なのか、その口元に微かながら笑みが浮かぶ。その一見するとやる気がないとも受け取れるものの、いかにも『らしい』発言に、周囲を囲む面々からも苦笑が漏れ出る。
「とはいえもちろん、凡人の私が凡人としての努力をのらりくらりと続けたところで誰も認めてはくれないでしょうし、かといって過剰な努力をイヤイヤ続けたところで投げ出すことは目に見えています。そして、その線引きをどこですべきなのか、未熟な私にはまだまだわかりません。できるなら、努力をするフリだけして認められれば楽なんでしょうけど、そんなやり方で認めてくれる人なんていないでしょうし、私自身もそんな真似ができるほど器用な人間じゃありません」
最低限自分に何が必要なのか、この一ヶ月ずっと彼が考えていたことだ。
「私は今、何をするにも未熟な人間ですが、周囲の既に環境に溶け込んでいるように見える仲間達を見て、自分に一番足りないと思ったものは『覚悟』です。それを直接友人から突きつけられた時、今までの自分が誰かに支えられていなければ立ってさえいられなかったということに気づきました。情けない話なんですが」
自分を恥じて、彼は笑う。
「この放送と同時に公開されたそうなので既に見ている方もいるかもしれませんが、お手元金の公開を進めるつもりでいます。これは私のアイデアではなく、志麻華――内親王のアイデアで、この発想が彼女の『覚悟』に基づくものだと気づくのに随分と時間がかかりました」
ふと視線を向けると、志麻華はそっぽを向いていた。それが照れているのか怒っているのか、イツカには判断がつかない。ただ、隣に立っているジャーラは笑いを堪えているように見えた。
「そして考えたんです。凡人である私の努力を評価してもらうにはどうればいいのかってことを」
答えはもう示されている。友人と妹によって。
「思いついてみれば、それはとても単純な話でした。実際に見てもらえばいい、それだけのことだったんです。私自身そう思う方ですが、どんな言葉も、態度一つで簡単にひっくり返ります。実際に努力を見せる以外に、努力を認めてもらえる方法なんてないのかもしれません」
彼の考えはこうだ。
上川離宮内にはたくさんのカメラが設置されている。そのカメラの映像を、可能な範囲で公開しようというものだ。公務の具体的な内容と合わせ、彼らが実際にどんなことをしているのかという詳細を目に触れる形にしておこうという発想である。もちろん、全てを公開しようというのではない。あくまで彼の努力に関わる一部分だけだ。
彼は別に自分の私生活や痴態を晒したいのではなく、自分の努力が正当なものかどうかを評価判断してもらいたいのだから。
「だから、私はここに宣言します」
大きく息を吸い、最後の覚悟を固める。もう後戻りできないことを心に刻む。
「私の公務は全て公開します!」
やっちまった。
ちなみに、その言葉が彼の真意に比べて何もかも足りていないことに気付いたのは、夜の自室で自分の演説をこっそり聞いた時だった。
ともかく、新しい神華の皇太子は、こうして波乱の船出を迎えることになったのである。