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神華  作者: 栖坂月
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初仕事編 09

 その日は、アッサリと訪れた。

 慌しいながらも毎日を同じスケジュールで過ごしていた彼らも、その日――公示日が近づくにつれて忙しさの質が変わっていった。毎日は変化の連続になり、昨日と同じ日が続かなくなる。

 それは最近まで生徒会に所属していたイツカにとって、文化祭に至る毎日を連想させた。ただ、あの時は大変ではあったが毎日が楽しかったように思える。今は、その先にワクワクするような気持ちはない。責任感や義務感といった、息苦しいほどの重圧ばかりだ。

 だからこそ、生徒会を共に過ごした響士郎、志麻華やジャーラといった面々が一緒だったことが、イツカにとってどれほどの支えになっているのか彼自身にもわからない。少なくとも誰一人知っている顔がないままに放り込まれていたなら、一週間も経たずに逃げ出していただろうと、イツカ本人が思うほどだ。

「さて、そろそろ時間ですが、準備はよろしいですか?」

 いつもと変わらない響士郎の落ち着いた口ぶりに、緊張が口からこぼれそうな顔をしているイツカが何度も頷きを返す。

「随分硬いけど大丈夫なの?」

 少々呆れ顔の志麻華の問いかけに、イツカはブンブンと首を横に振る。

「あ、大丈夫ではないんだ」

 これまたいつもと変わらないジャーラが、まるで他人事とばかりに明るく笑っている。

 一同は上川離宮の離れにある『広報室』へと足を運んでいた。この施設は専用のオンラインチャンネルを有しており、基本的にはいつでも外部に向けて発信を行うことが可能となっている。今日、この離宮から久方ぶりの放送が行われることを各種メディアに通達したのが昨日の午後、それからの神華はこの話題で持ち切りとなっている。

 その事実を知らないのは、公示用の演説にテンパって周囲が全く見えていない皇太子だけだ。

「ところで、どうして殿下はさっきから一言もしゃべらないの?」

 ジャーラの素朴な問いに、イツカの答えはない。相変わらず黙ったままだ。

「どうにも暗記した演説が口からこぼれ落ちると思っているようです」

 赤点をギリギリで乗り越えようとしている一夜漬けの学生か。

「丸暗記で乗り切るつもり? 呆れた」

 志麻華の辛辣な評価に表情を曇らせるイツカだったが、抗議の言葉は飛んでこない。

「カンペを読むよりはいいんじゃない?」

「こんなんじゃ変わらないでしょ。人前で満足に話すだけの力もないのかって思われるのがオチよ。まぁそれでも、ジャーラみたいな人間が考えなしに口を開くよりはマシでしょうけど」

「志麻華様の演説とかつまんなそう……」

「何か言った?」

 女性陣二人は矢面に立つ必要がないだけに気楽そうだ。人事だと思ってと少しだけイラつく反面、いつも通りのやり取りを見て少しだけ緊迫感が緩む。

「響士郎様、そろそろ、準備が、整います」

「そうですか。わかりました」

 シオンの報告を受けた響士郎が表情を整え、イツカに頭を下げる。

「殿下、時間です」

 イツカは頷き、先導する幼馴染みの背中を追った。

 即席とはいえ綺麗に整えられたブースはライトアップされ、浮かび上がって見える。そしてそれは、今まで日陰から世界を見ていたイツカにとっては眩しすぎた。あの三十センチほどの高さしかない台座に上り、重厚な机を前にして口を開いた瞬間に、今までの自分が消えてなくなるのではないかという奇妙な恐怖が湧き上がってくる。

 正直なところ、彼は逃げたいと思った。こんなことをせずに済むなら、そうしたいと心底思った。

「さぁ殿下、後のことはこちら任せて、合図があったら演説をなさってください」

 一歩身を引き、響士郎は道を譲る。

「間の抜けた発言をしても構わないけど、自己紹介だけは忘れないでね」

 声に応じて振り返ると、腰に手を当てて胸を張った志麻華が笑顔で彼を見守っている。

「むしろ面白い演説を期待してますよ、殿下」

 励ましているのか煽っているのかは不明だったが、ジャーラはいつもと変わらない笑顔を見せている。

 三人の顔を見て、感謝の言葉の代わりに頷きを返して、彼は逃げることをやめた。彼にとって羨むほどの相手が、彼の背中を支えてくれている。当たり前のこととして、彼の味方でいてくれている。

 その思いを裏切ってまで、彼は自分を甘やかしたくはなかった。

 台座に上り、机に手をついて、明るすぎる照明を浴びながらイツカは待つ。やがて、一瞬とも永遠ともつかない空白の後、合図を示す赤い光が視界に飛び込んだ。

「初めまして。ぼ……じゃなくて私が新しい皇太子になりましたイツカと申す者です」

 たどたどしい自己紹介を一息で吐き出し、次の言葉を続ける為に息を大きく吸い込んだ瞬間、彼は気付いた。

 暗記していた文章が、見事と称するほど頭の中から綺麗サッパリ消えていたことに。

「あれ?」

 思わず素直な言葉が漏れる。

 頭の中では『マズい』と『ヤバい』が交互にぐるぐると輪を描いて飛び回っている。今の自分が何をしているのかすら見失ってしまいそうな勢いだ。

 思わず視線が泳いで周囲の景色が大きく揺れる。

 眉根を寄せた志麻華、あわあわと口を開けているジャーラ、微動だにしないシオン、そして力強く真剣な眼差しで見詰めている響士郎と視線がかち合う。

 その時ふと、彼は思い出した。

 去年のことだ。響士郎に引きずられるように生徒会へと籍を置いていたイツカは、文化祭で最初の挨拶を任されることになった。お祭の始まりを宣言する大切な役割だ。当時はそんなもの、適当にそれらしい言葉を並べれば良いだけで、大したことはないと高をくくっていた。

 しかしホールに居並ぶ全校生徒、千人近い人間達の視線を一身に受けたイツカは一瞬で固まり、用意していた適当極まりない挨拶は頭の中から消し飛んでしまった。そして長い沈黙の後、ざわつき始めた生徒達の声に抗いきれないほどの震える声で、ただ開始する旨を述べた。

 あぁそうだと、イツカは思う。

 この感じは、またアレを繰り返す流れだと直感した。

 しかし同時に、心の反対側で別の自分が囁いている。

 今回が初めてじゃなくて良かったと。

「失礼しました。色々と考えてきたんですけど、ここに立った瞬間、サッパリ忘れちゃったみたいです」

 以前は、生徒会などという面倒臭い仕事に巻き込んだ響士郎に恨み言を並べたこともある。だが今は、あの経験の一つ一つを手にしていたことを、本当に良かったと思えた。

 大きく息を吸い、大きく吐く。

 手は少し震えているが、遥か遠くに見えた視界は手の届くところへ戻ってきた。

「私は――」

 心の声を吐露する。

「まだ何もできない未熟者です」

 それが彼、イツカという新しい皇太子の始まりの一歩だった。

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