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神華  作者: 栖坂月
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初仕事編 07

 公示に向けての説明を一通り終えた響士郎は、イツカに一日半の休養を勧めた。一週間分の眠気と疲労を回復し、心情的にもタイミング的にも一段落となる今が、休養をとるのに最も適していると判断したためだ。

 事実、色々と磨り減ってとにかく落ち着いて休みたいと思っていたイツカは、二つ返事でその申し出を受け入れ、昼食を急いで掻き込むなり小学校の頃以来の昼寝を堪能した。溜まっていた疲労は思っていたよりも大きいものであったのか、あるいは削られてしまった心の回復には時間がかかったのか、彼が目覚めたのは翌日の朝になってからだった。半日以上眠っていたことになる。

 さすがに全く音沙汰がなかったので少々心配する声も上がりはしたが、気になるならキスでもして起こしてくればいいんじゃないかなというジャーラの危険極まりない発言のせいで彼の安眠が妨害されることはなかった。

 そして迎えた休養日の朝、遅めの朝食をシオンに見守られながら終えたイツカは、自分が暇であるという事実に気付いた。それでも午前中は中途半端だった引越しの片付けがあったので暇を持て余すことはなかったが、昼食を食べてからが問題だった。さすがに昨日あれだけ眠ってしまってはもう一度昼寝をしようなどという気分にはならず、離宮の外周をグルリと一周してもさしたる退屈しのぎにはならない。

 仕方なくイツカは、他の誰かの姿を求めることにした。

「で、ここに来たと?」

「えへへ」

 ドアの前で愛想笑いを浮かべる皇太子殿下。

 ちなみにここは『白帆しらほの間』という志麻華のために用意された執務室である。精佳の間に比べると幾分狭いが、厳かで重厚な雰囲気と窓から見える景色の鮮やかさでは決して負けていない。窓際の狭いスペースにところ狭しと並んでいる小さなぬいぐるみ達はご愛嬌である。

「一応、こっちは仕事しているんだけど?」

「あ、邪魔なら他に行くよ」

「別にいいわ。データに目を通しているだけだし、他でもない殿下の訪問だもの。話し相手にくらいはなってあげないとね」

「相変わらず何かトゲのある言い方するなぁ……」

 もう慣れたつもりではあったが、自然とイツカの表情が困ったものになる。コレでも一応、彼女が拒絶しているのではないということはわかっているつもりだった。

「別に追い返そうと思ってるワケじゃないけど?」

「うんまぁ、それはわかってるよ、一応」

 手近にある予備の椅子を引き寄せ、部屋の隅に座る。大きな窓の手前にある今時では珍しい木製の机は少しばかり彼女には大きすぎるようにも見えたが、備え付けのホログラフモニターと自身のボードに表示されたデータを交互に、あるいは同時に見ている姿はなかなか様になっている。イツカとは違って既に会社経営にも関わったことのある才女という名目は伊達ではないということだろう。

「体調、随分戻ったみたいね」

「あ、うん、お陰さまで」

「明日からのスケジュールは今までよりキツくなると思うから、そのつもりでね」

「あはは……お手柔らかに頼みたいよ」

 思わず漏れた気弱な笑顔を、志麻華は一瞥する。一瞬睨まれたのかと思ったイツカだったが、その眼差しに厳しさや激しさは微塵も感じられなかった。

「ところで、響士郎がこれからは講義だけでなく実際の公務を交えていくみたいなこと言ってたけど、今やってるのってそういう仕事?」

 昨日の午後から始まっていたらしい公務の内容を、彼はまだ全く知らない。

「まぁそうね。といっても、今はまだ判断をする段階じゃなくて、その下準備をしているといったところだけど」

「どんなことするんだろ。講義は基本的には聞いているだけで良かったけど、急に政治的判断をしろとか言われても答えられる自信ないしなぁ」

「そっちの仕事は優秀な補佐役がいるでしょ。彼に聞きなさいよ。というより、詳細な説明が明日あたりあるでしょうから、今は首を洗って待っていることね」

「死ぬのはちょっとイヤだなぁ」

 溜め息を吐くイツカを、志麻華は視界の端で観察した。

「ちなみに志麻華はどんな仕事してるんだ?」

「仕事というほどのことはまだしていないかな。この離宮に関する去年の収支を確認しているだけよ。一応、ここの管理は私とジャーラの管轄ということになるでしょうね」

「へぇ……」

「アナタが皇太子で、私はその妹なの。国政に関わるのはあくまで殿下の仕事よ。私はその補佐役であり、縁の下の力持ちってところね。まぁ、皇室としての公務もあるから、単純に閉じこもってばかりってこともないでしょうけど」

「そっか……」

 安堵したような溜め息を吐きながら少しだけ微笑むイツカの表情が気になったのか、志麻華はここで初めて顔を向ける。

「何か気になることでも?」

「いや、気になるっていうか……志麻華はもうちゃんと前が見えているんだなぁって思ってさ。僕にはまだまだ明日のことさえよくわかっていないっていうのに」

「別に――」

 何が気に入らなかったのか、志麻華はプイと顔を逸らして口を尖らせる。

「悩みながら進むのは悪いことじゃないでしょ。殿下らしくもあると思うし」

「あぁうん、なるほど。そういう考え方もあるのかなぁ」

 新しい皇太子の至らなさを誰よりも実感しているのは他ならぬイツカ自身である。そもそも彼は、響士郎や志麻華のように優秀な学生だったワケでもない。ジャーラのような立場なら少しはマシかもしれないとも思えるが、責任ある立場を全うできるとは、彼自身が最も思っていないことだ。

 しかし、それでも彼は、口では無理だの駄目だのと言いつつも、その椅子から立ち上がって逃げ出そうとはしていない。

「ねぇ、殿下」

「その殿下っていうの、何だか大袈裟で気になるんだけど……」

「我慢しなさい。それがアナタの立場なんだから」

「はぁ……慣れないなぁ。それで、なに?」

「皇太子という仕事、重くない?」

「重いよ。重いに決まってるだろ」

 至極当然の回答である。

「なら、どうして逃げようって思わないの?」

「逃げる?」

 今初めて気付いたみたいな顔をイツカはしている。

「え、逃げていいの?」

「いや駄目だけど」

「だったら言わないでよっ!」

 至極もっともである。

「逃げ方にも色々あるでしょ。もちろんここから物理的に逃げ出すなんてのは論外だけど、手を抜いたりやる気がなかったり怠けたりサボったり、そういうことをしようとは思わないの?」

「うーん、思わないかな。最終的には自分が困ることになるんだし、他の人に迷惑がかかるだろ?」

「まぁ、正論ではあるわね」

「それに何より、響士郎が目茶苦茶怒る。アイツ怒るとスゲー怖い。知ってるか? 真冬に頭から水を被ると風邪を引くんだ」

「まぁ、知ってるっていうか誰でも想像つくでしょ。というか、ひょっとして真冬に水をかけられたの?」

「いや、アイツが自分で被った」

「ゴメン、意味がわからないんだけど?」

 困惑する志麻華に向けて、青い顔でブルブルと震えながらイツカが口を開く。

「中学の時だったな。当時はちょっと悪いことに憧れたりしてさ。不良友達に誘われてアイツとの約束をすっぽかしたことがあったんだ。そしたらアイツ、自分が至らないことが原因だとか言い出して水を被り始めてさ。いやホント、あの時ほどどうしていいのかわからなかったことはなかったね」

「いいコンビね、アナタ達」

 志麻華の笑顔は決して派手なものではない。しかし彼女の笑顔はいつだって偽りではなかった。それを知っているからこそ、イツカも嬉しいと思う。

「そっちだって人のこと言えないだろ」

「結果としてバランスが取れているという点ではそうね。あの子のちゃらんぽらんなところを私がしっかり管理しているから」

「その割には、窓際に何やら可愛いモノが並んでいるけど?」

「こ、これはっ、ジャーラが勝手に並べたから後で片付けようと思ってたの。あの子ったら昼休みの度に外へ出かけてぬいぐるみ増やすんだもの。いい加減置き場所だって――そんなことより、逃げないのは本当に怒られるのが嫌だからなの?」

 その質問が話を逸らす方便であることはイツカにもわかる。しかしそれ以上に、彼の中でも引っかかる問題ではあった。

「間違ってるワケじゃないと思う。けど、正確じゃないかな。僕ってさ、自分で言うのもなんだけど凡人だろ。響士郎や志麻華みたいに特別優れているってワケじゃないし、ジャーラみたいに外れた性格の持ち主でもない。だからかもしれないけど、期待されるのが本当に嬉しいんだ。結果的に上手くできるかどうかなんてわからないけどさ――」

 自信のない笑みを浮かべて、顔を上げる。志麻華の視線と正面からぶつかった。

「がっかりはさせたくないんだ。せめて、僕の力が及ばなかったんだって、納得できるくらいには頑張りたいんだよ」

「……アンタって、ホントにお人よしなのね。でも、だからこそ――」

 つい無意識に出かかった志麻華の言葉を、激しく開かれるドアの音が遮る。

「ホラ見てくださいっ。志麻華様の欲しがってたホッシー君、見事にゲットしてきましたよー!」

「こらああぁぁああぁっ!」

 ジャーラは今日も絶妙だった。

 ちなみに窓際のぬいぐるみ達は、片付けられるどころか増えていく一方になることは言うまでもない。

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