初仕事編 02
結局のところ蓋を開けてみれば、普段の学校生活と大差はなかった。
講師がいて授業を受ける。それがイツカ達に与えられる最初の仕事だった。いきなり何をやらされるのかと戦々恐々だったイツカにとっては、いささか拍子抜けであったとも言える。せいぜい、辺境の過疎地域に転校させられた程度の感覚だ。
「では改めて、皇室のお二人にご説明いたします」
講師は響士郎だ。教室に並んでいる机は三つ、イツカと志麻華、そしてジャーラが座っている。
「皇室の方々は、神華の国民ではありません」
「え、じゃあ何なんだ?」
いきなりの衝撃発言に思い切り食いつくイツカ。まさしく響士郎の期待通りの反応である。
「皇室は国民と対等な存在、平行して互いに干渉する存在です。国民という枠に縛られないことで、外側から法律や政治への干渉が行える方達、という言い方をするのが適切かもしれません」
「えっと、つまり?」
困惑するイツカに、響士郎は続ける。
「難しく考える必要はありません。別の角度から神華を想う人間とお考えください。ただもちろん、国民に与えられる義務と権利を、皇室の方々は有しておりません」
「学校に行かなくてもいい、とか?」
「違う」
イツカの発言を隣に座る志麻華が容赦なく叩き落す。
「選挙権とか納税の義務がないってこと。まぁ厳密に言えば違うんだけど」
「そうですね。非課税項目もありますが、収めるべき税金も存在します。選挙権はありませんね。これらは元を辿ればお二人が皇室の人間であること、すなわち神華国民でないことが理由となります」
「国民登録してないってことは住民登録もないから、それを元に決められる義務や権利もない、ということ?」
この説明だけなら、不法入国者と大差ない扱いである。
「大雑把に言えばそういうことです。皇室の方々には戸籍がありません。皇室とは神華という国家を支えるための特別な立場であり役職です。そのために専用の法律が整備されているのです」
「あ」
イツカは何かに気付いたようだ。
「戸籍がないから、音差って呼ぶなってことか」
「厳密に言えば皇室の方々に苗字がないワケではありませんが、伝統的に苗字を使用しないのが通例ですね」
「というか――」
やや呆れたような口ぶりで志麻華も続く。
「それ以前の話として、私の『音差』もあなたの『高月』も本当の苗字ではないでしょうに。私はあなたの妹で、どちらも預けられただけなのよ、お兄様」
「あぁ、そういえばそうか。確かに」
理解してはいるが、まだどこかで納得していない。イツカの表情はそんな印象だ。既に割り切って見える志麻華とは対照的である。だが響士郎は、そんな二人を見比べても表情を曇らせることはない。
「では、ある程度ご自身の立場を納得されたところで、これからの大まかなスケジュールについて説明させていただきます」
三人の眼差しが再び響士郎へと集中する。過疎化が進むオラが村の小学校状態ではあるが、態度と姿勢は真剣なものだ。
「まず最も意識していただきたいのは15月4日、今から約一ヵ月後に控える皇太子公示の式典です」
「式典って……まさかパレードでもするのか?」
紙吹雪の中でオープンカーに乗って手を振る自分の姿を想像し、あまりにも現実離れしすぎていてイツカは笑ってしまう。どんな顔をして良いのかすら今の彼にはわからない。
「見世物になりたいの? お兄様」
「いや、そんなつもりないけど、式典って言うから」
イツカの表情から脳内を察して呆れたように言い放つ志麻華に、慌てて言い訳を並べる。
「パレードはありません。というか、この『上川離宮』から出ることもありませんよ。殿下がオンライン放送を通じて自らの存在と所信を公示するだけです。必要な設備は離宮内に整っています」
「あ、そうなんだ」
首都華京には20の区があり、上川区はその北端に位置する。その中ほどにあるのが、今彼らの居る上川離宮である。元々は非常用の別宅として建てられたものだが、五代ほど前から皇太子の教育施設兼活動施設として活用されている。広い敷地に大小8つの建物が立ち並んでおり、情緒溢れる庭園と併せて皇室を象徴する施設となっていた。
「ホッとしてるみたいだけど、わかってる?」
「わかってるって、何が?」
わかっていないのは間違いない。
「一ヵ月後、ここの設備を使ってお兄様が公示を放送するのよ。全国に向かって」
「えーと……全国放送?」
「当然でしょ。新しい国皇候補のお披露目なのよ。メディアだって食いつくし、全国にその間抜け面が晒されることになるの。しかも、自分が国皇に相応しい人物だってことを示さなくちゃならない」
「間抜け面とか言うなよ。せめてもっと――」
「子供っぽい顔立ちとか? あー、見た目が子供っぽいのはお互い様でしたよねー」
いきなり話に割って入ったジャーラがケタケタと笑い出す。
「ジャーラうるさい」
「あい、失礼しました志麻華様」
「ともかく」
一つ咳払いをして場の空気を整えてから、響士郎は続ける。
「長子の誕生日から30日後が公示日と決まっています。当面はそのための基礎教育と準備を行いつつ、具体的な公務について憶えていくという流れになります」
「公示って、何を話せばいいんだ?」
捨てられた子犬のような不安そうな顔をしているイツカが、すがるような口ぶりで問いかける。何もかもわからないという状況で全国放送をしろなどと言われれば不安になっても仕方はない。
「公示の内容に明確な規定はありません。新しい国皇候補のお披露目というのが一義的な目的ですから。ただ伝統的に、このタイミングで所信を表明することが通例となっております」
「しょしんって何だ? 初心忘るべからずの初心?」
「お兄様、そのくらいは一般常識として知っておいてください」
「悪かったね、頭が悪くて」
「所信とは自らの思いや考えのことで、この場合は国皇になって目指したいものやどのような国皇になりたいかというものですね。ただ、まだ国皇としての自分を広げるには尚早ですから、皇太子としてできること、したいことを具体的に挙げることだと思ってください。政治的な用語で言うと公約が近いですね」
「やりたいこと……」
腕を組んで考えてみるが、何一つそれらしい発想は思いつかない。そもそも自分が何をすべきかという具体的なビジョンが何も見えていないのだから当然の話だ。
むしろ現時点で思いつくのは、どうして自分がこんなことで悩まなければならないのかという疑問ばかりである。
「今考えても思いつきはしないでしょうし、仮に思いついたとしても一ヵ月後には変わっていると思います。これから先の一ヶ月で、土台を作っていくのですから」
「そっか。わかった」
今すぐに答えを求められているワケではないと理解し、彼は腕を解いた。
「そしてもう一つ、こちらは主に志麻華様のお仕事になりますが」
「えぇ、どうぞ」
「志麻華様には皇室にまつわる法に関して、一つだけ提唱していただける権利がございます。もちろん、それが議会を通過するとは限りませんが。それでも、皇室典範に間違いなく一石を投ずることはできます。そして、その改正案を議会へ通すかどうかを、殿下に判断していただきます」
「僕がっ?」
まだ自覚のない彼にとって、法を変えるなど身に余る所業に思える。
「そうです。これが皇室としての初仕事ということになります。まずはこのことを念頭に――」
具体的な授業を開始しようかとテキストを準備しかけたところで、志麻華が静かに手を挙げる。その凛とした佇まいに迷いや不安などは微塵も感じられない。
「何でしょうか、志麻華様」
「私からの提案は既に決まっています」
「やはりそうでしたか」
志麻華の情報に対するスタンスが自分と似ていることを、響士郎は知っている。自分の境遇を知った彼女が、その先のことを知ろうとしないハズがないことも。とはいえ、公示前の皇太子の職務には非公開となっている部分も多い。具体的なところまで調べ上げるのは簡単な話ではなかったハズである。しかし響士郎の知る志麻華であるなら、その程度の領域に到達していたとしても驚くには値しないだろう。
「今ここで発表してもよろしいかしら?」
「どうぞ。悩む時間が長くて困ることはありません」
「では――」
立ち上がり、志麻華はイツカに向き直る。
「私の要求は、お手元金の公開です」
ビシッと突き出された指先は、真っ直ぐにイツカの顔面を捉えていた。




