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Crescente

あなたはわたしだけの。

作者: 高里奏

 この今にも倒壊しそうなおんぼろ集合住宅にそいつが越してきたのは三日前の話だ。

 金の髪を片側だけ刈り上げた妙な髪型の女。森の湖のように澄んだ碧の瞳が印象的な整った顔立ちの異国人だ。外見からみて北の方の生まれだろうか。言葉にもやや北部の訛りがある。

 尤も、女ひとりでこんなところに越してくるなんて相当な訳ありに違いない。

 身形は俺よりずっと貧しい。というよりは、今にも崩れそうなこのおんぼろ集合住宅が誰よりも似合いそうな格好をしている。

 名はマリーというらしい。姓はなくただのマリー。生まれは国境近くの農村だと言っていた。所謂ゲイジュツカという俺とは全く住む世界の違う人種らしい。つまり売れない画家だ。画材を買うのに他のあらゆるものを削ってこのおんぼろ集合住宅に越してきたというわけだ。

 なんの因果なのか、そのマリーは俺の隣に越してきたわけだ。そして驚いたことに玻璃に傾倒し、その作品を直に見るためにわざわざ他国の人間には危険すぎるこのクレッシェンテに留学しに来たのだという。

 妙な女だ。

 そもそも着ている物や仕種から女らしさなんて殆ど感じられない。せいぜい自己主張の強い胸元がこいつを女だと思わせるくらいだろう。

 出会いからしておかしな女だった。仕事帰りにいつもの店で晩飯を買って戻ると、丁度こいつがわざわざ引っ越しの挨拶をしに来たところだった。そして挨拶代わりにと手書きの葉書を一枚渡され、どういう流れだったかは忘れたが、ゲイジュツカの話になって、マリーが玻璃の熱狂的な信者だと知った。だったら本人に会わせてやれば喜ぶかもしれない。そう思い、玻璃が来ているのではないかと期待して部屋に招いたが、×印の描かれた紙が一枚あるだけで、いつも勝手に長椅子でだらけきっている姿はなかった。

「あんたもついてねぇなぁ。行き違いらしい」

 この紙は新しい。

「ホント?」

「ああ。あいつ、読み書きができねぇからこうやって紙に×を描いていくんだよ。ついでにこの描き方は少し苛立っているな。それにかなり新しい」

 そう話しながらすっかり玻璃が所有権を主張するようになったお気に入りの長椅子に触れれば仄かに温かい。

「ついさっきまで居たみたいだな」

 玄関先で長話をしていなければ晩飯が消え去った可能性が高い。

「彼女とは恋仲なの?」

 マリーが好奇心をむき出しで訊ねてくる。

 あー、女ってのはそう言う話が好きだよな。それ以前に男女が一緒に居ると無条件でそう言う関係だと考えるやつが多すぎる。

「そんなんじゃねぇよ。どっちかっつーと妹みたいなやつだ」

 丁度そんな歳だし、なにより手がかかる。

 ああ。それ以上でも、以下でもねぇ……はずだ。

「保護者よ。私が」

 突然、上から声が振ってきた。

「玻璃、まだいたのか」

 一瞬驚いたが、玻璃の神出鬼没さには慣れている。

「帰ろうと思ったら音がしたから天井に張り付いたみた」

 普通はそんなことしねぇよ。

「……お前……忍者映画でも観たのか?」

 そういやこいつの故郷は忍者の生産国だったな。

「忍なら見たことあるわ。こんなの」

 玻璃は紙にさらさらと鉛筆を走らせていく。少し前までは顔まで絵具をべたべたにして描いていたが、近頃は鉛筆画が気に入っているらしく、店で売られている一番硬い鉛筆を箱で買って、商売道具のナイフで削っている姿を目にすることが増えた。

「忍はわりとどこにでも居そうな雰囲気なの。気配を消すのがとっても上手よ。マスターみたい。それで、幻術系の魔術で人を惑わすわ。暗殺者と諜報員の役割をしているって前にマスターが教えてくれたの」

 そう言いながら玻璃が見せた絵はどこか手配書のようだった。

「この顔にピンときたらジルに通報して」

 本当に手配書だったのか。

 つーか、本当にこいつ、あの気難しい騎士団長と親しいな。手配書の依頼でもされていたのか?

「そいつは何者だ?」

 危険人物なら異国人のマリーは近づけないように気をつけるべきだろう。この国の流儀に慣れていないとすぐに死ぬ。流石に越してきたばかりの隣人が惨殺されたなんて嫌だぞ。

「森羅からの密入国者だって。たまたまジルが追いかけてたところを見たの。日ノ本でもだいぶ悪さをしていたみたいよ」

 そう言いながら、手配書の隅に仮面の絵を描く。これが近頃の玻璃の署名だ。

「凄い、ホンモノだわ……」

 天井から現れた玻璃に驚きしばらく放心していたはずのマリーが感激したように声を漏らす。

「だれ?」

 玻璃はようやくその存在に気がついたという様子を繕って視線だけマリーに向ける。最初から気付いていたくせにこういうところが意地が悪い。

「あ、私はマリー。あなたに会いたくてクレッシェンテに来たの」

 マリーは緊張した様子で自分の服にゴシゴシと手のひらをこすりつけ、握手の為に手を差し出す。

「私に?」

「お前の絵が好きなんだってよ。隣に越して来たんだ」

 手短に説明してやれば、玻璃は興味がないと言わんばかりにごろんと長椅子に寝転んだ。

「挨拶くらいしろ」

 思わず子供に叱るようなことを言ってしまった。それがよくなかったのだろう。

「……こんにちはさようなら」

 もうあなたの相手なんてしないわと玻璃は拒絶を見せる。

 これは拗ねている。

 俺、なにかしたか?

「玻璃、マリーはお前が好きだって言ってるんだ。仲良くしろ」

 玻璃だって作品を好きだと言ってくれるやつがいれば喜ぶと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。

「私はどうでもいいわ。居ても居なくても同じよ。命令されたら殺す。それだけ」

 暗殺業からは足を洗うのかと思っていたらそうではないらしい。

 不機嫌そうな玻璃はナイフと一緒に収納しているらしい鉛筆を取り出してその場で削り始める。

 削り屑を人の部屋に撒き散らすな。

「掃除して帰れよ」

 こう言えば、更に拗ねてしまうだろう。

「元々散らかっているじゃない。同じことよ」

 相当気に入らないことがあったらしい。いつにも増して反抗期だ。

「なんか嫌なことでもあったのかぁ?」

 完全に拗ねているし不機嫌だ。仕方ないから話を聞いてやるという姿勢を取れば「べつに」と顔を背けられてしまう。

 随分と拗ねているじゃないか。

 ったく、理由がわからなければ対処できねぇだろ。

「あ、あの、私、あなたの『追憶に沈む』が凄く好きで、いつかああいう絵を描けるようになりたいと思ってるの」

 握手を断られてもめげなかったらしいマリーは緊張した様子で言う。

 しかし玻璃は視線さえ向けずに新しい紙の上に鉛筆を走らせるだけだった。

 筆が速いというのはこいつのようなやつを言うのだろうと常日頃から思ってはいたが、それにしても速い。普段はだらけきっているくせに、暗殺で培われた瞬発力やらなんやらがこういうところでも活かされてしまっているのだろう。見る見る間に空白が埋め尽くされていく。

 玻璃の絵は基本的に空白を嫌う。日ノ本のゲイジュツカという生き物は空白に美意識を感じるらしく色数も線も圧倒的に少ない、所謂余白の美とやらを活かした作品を好む。しかし、玻璃の絵は、紙になにか深い恨みでもあるのではないかと思えるほどに何度も何度もしつこく、それも彫るように力強く重ねられた線が埋め尽くす。

 黒一色の濃淡。ここ最近の絵は鉛筆画ばかりだ。

 紙が全て黒に覆い尽くされたのではないかと思ったが、黒の中に確かに剣士が描かれている。長い髪をなびかせ、剣を天に掲げている。剣士と言うよりは騎士なのかもしれない。貴族に仕える身分の高い男だろう。

「できた」

 玻璃は絵の隅に署名を入れる。

「そいつは?」

「さぁ? 夢に出てきた」

 そう答えながら玻璃はきょろきょろと部屋を見渡す。なにかを探しているようだ。

「色鉛筆は?」

「持って帰ったんじゃねぇのかぁ?」

 転がってなかったらどこかに仕舞ったかもしれない。つーか、こいつが私物をどんどん置いていくから結局俺が片付ける羽目になっている。

 なんつーか、もう生活の一部だな。玻璃が来ることに慣れすぎてしまっている。

「あ、よかったら、私の使う? すぐ隣だから」

 マリーは玻璃の作品が生み出される瞬間をもっと見たいというように、少し興奮した様子で申し出た。けれどもそれは玻璃を更に不機嫌にさせるだけだったようだ。

「……帰る」

 玻璃はマリーの言葉を無視して不機嫌そうに出来上がったばかりの絵をくるくると丸め、腕に巻いていた紐を外して括る。

「お前なぁ。人の善意は素直に受け取れ」

「いらない。呪詛なら貰ってあげるけど」

 不機嫌そうにそう言って、一度だけこちらを見る。それからいつものように窓枠に手を掛け、そのまま踏み込んで外に飛び降りた。

「嘘っ、なんで止めないの!」

 マリーが悲鳴に近い声で批難する。

 確かに見慣れない人間が見れば驚くだろうな。

「ん、いつも窓から入って窓から帰るんだよ。運動神経は人間以上だからな。あいつは」

 そう言っても信じられないとマリーは窓枠から頭を出して下を確認する。

 見たところでもう姿はないだろう。

「悪かったな。あいつ、今日はすこぶる機嫌が悪かったらしい」

 普段はもう少し、口数は少なくても大人しい、はずだ。

 人見知り、はあるかもしれないが、今日はそれだけではなかったように思える。

「あら、理由がわからないの?」

 からかうように言われると少し腹が立つ。

 まるで今日初対面の自分の方が玻璃に詳しいとでも言っているようだ。

「アンタには分かったっていうのか?」

 生意気な女だ。

 しかし、ゲイジュツカっていうのは作品から製作者の意図が読めるとかいうからな。もしかしたらそういう類いなのかもしれない。そう、納得しようとしたが、マリーの口から飛び出た言葉は違った。

「ヤキモチ妬いてたんじゃないの? 彼女」

「はぁ?」

「お気に入りの玩具を取られた子供みたいな顔してたじゃない」

 マリーはくっくっくと笑う。

 笑う姿は少し下品だな。

「オレは玩具扱いかよ」

「似たようなものよ。私たちにとっては」

 それはゲイジュツカにとってはという意味か?

 それとも。

 なんか読めないヤツだ。

 どうも、女は理解できねぇ。玻璃が嫉妬していたなんて言われても……俺には理解できねぇ。

 あれか? 兄貴が余所の子を心配すると気に入らねぇ的な?

 だとしても、マリーのいう「私たちにとっては」という意味が理解できない。

 だが、玻璃の不機嫌の原因がこの女なら、きっとこの先も面倒なことになる。たぶん、この女は極力関わらない方がいいやつなのかもしれねぇな。




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