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その彼の名を誰も知らない  作者: 龍華ぷろじぇくと
第四話 その家族のすれ違いを家族は知りたくなかった
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AE(アナザー・エピソード)・その少女に見た在りし日を彼女は知りたくなかった

「お?」


 どうしたの?

 涙を溜めた静代に、アルセが見上げて小首をかしげる。

 そんなアルセの顔を見た瞬間、静代の涙は溢れて止まらなくなる。


 昔、沙織がまだ小さくて、忠志が有名企業で働いていた有力サラリーマンだった頃。

 娘と買い物の帰り道、偶然駅から出てきた忠志と鉢合わせた。

 沈む夕日に照らされながら、三人で手を繋いだ帰り道。


 こうやって手を繋いで、娘が両親を繋ぐように、大切な二人の腕を取り、揺れていた。

 忠志は笑顔で、静代も笑顔で。二人の愛情を受けた沙織も、笑顔であった。

 懐かしい日々が脳裏をよぎる。


 忠志は鞄を右手に持って、静代は買い物袋を左に持って、でも重いだろ。と忠志が荷物を交換する。真ん中の沙織ははしゃいで忠志を見ては微笑み、静代を見ては無邪気に笑う。

 本当に、幸せの絶頂期だった。

 頼れる夫はにこやかにほほ笑み、さぁ、家に帰ろう。と優しく告げる。

 それに自分は答えるのだ。はにかみながら「はい」と一言。それだけで、幸せだった。


 いつからだろう。そんな日々が壊れたのは?

 自分はいつから、最愛の夫を疎ましく思いだしたのだろう?

 娘が笑わなくなったのはいつからだろう?


 そんな日々の中、思い返せば忠志だけだった。

 忠志だけが、家族の絆を離すまいと努力していた。できるだけ休みを取って、休みの日は自分が休みたいだろうに家族のために使おうとして、でも家族自体が彼に応えようとはしなかった。

 自分は、妻として、夫を支えていただろうか?

 娘や息子に、笑顔を与えていただろうか?


 何もせず、日々を過ごし、夫に当り、勝手に落胆する。

 自分は、本当に……何をしていたのだろう?

 あの頃の娘の笑みに、今の自分は笑顔を返せるだろうか?

 そう思うと、涙が止まらなくなった。


 気付けば、忠志はアルセに笑顔を向けている。

 まるであの頃のように、幸せがまだ続いてるとでもいうように。

 なぜだか、自分だけ、取り残された気がした。

 悔しい。思いながらも自分を幸せにしなさいよ。という想いが忠志に向けて湧き上がる。

 筋違いだ。思っても収まらない。徐々に膨れ上がる思いは、ドロドロとしていて目を背けたくなるものだった。


「静代……」


 はっと、した。

 気付けば忠志が真っ直ぐに静代を見つめていた。

 その視線は、容姿などどうでもいいと思えるほどに、強く、真剣な瞳。

 お前を守りたい。その意志が、言葉にせずとも伝わって来る。


「やり直そう。この年になってからですまないが、もう一度、初めから。家族をやり直してほしい。今度こそ、幸せにする。静代……お前を愛してる」


「……っ」


 卑怯だ。

 自分に渦巻く感情が霧散する。

 ともすれば、頷いてしまいたくなる。

 もう、諦めた筈の男は、眩しい位に輝いて見えた。

 今の自分には、勿体無いくらいに……


 思わず目を逸らす。

 逸らした先にあったのは、緑の少女の柔らかな微笑み。

 その笑顔が、在りし日の娘に被る。


 ――お母さん、皆で一緒に帰ろう?――


「わ、私は……」


「もう少しだけで構わない。私を見てほしい。お前の望む男になれないかもしれないが、もう、俯いたままでいる気はない。静代……っ」


「私は……ダメ。やっぱり無理よ」


 絞り出すように答える。彼の顔など見れなかった。


「静代……」


「ダメなの。今の私は、貴方を憎んでる。アレだけ沈んでいた癖にっ、なんでっ、なんで今更あなたは昔みたいにやる気に満ちてるのよっ。諦めたのに……離婚してやるって、思ったのにっ。何で今更……私を引きとめないでよっ。なんで、なんで別れたくないって、思わせるのよぉッ」


 泣いた。その場に崩れ、静代は泣きだした。

 50代の女が年甲斐も無く泣きだした。

 もう、自分でも何が何だかよくわからない。


 別れたいと思う気持ちとずっと一緒に居たいという気持ちが絡み合う。

 くだらない男になって、憎いと思いながらも、また、昔のように笑い合えたらと期待している。 忠志と一緒に居るのが無理なのか、別れることが無理なのか。もはや自分ではどっちなのかすらわからない。自分の気持ちが分からなくて、もう、泣くしか…… 


「……っ!?」


 アルセから手を離した忠志が、無言で静代を抱きしめる。

 何も言葉は無かった。だが、確かな温もりに、静代は思わず縋り泣く。

 容姿は互いに変わってしまい、一度は離婚すらも考えた筈の夫婦。だけど、寸前で繋がった。

 細い線だが、忠志は確かに離れようとする静代を繋ぎとめたのだ。


 取り残されたアルセだけがあれぇ? と小首を傾げ、仕方無くリエラの元へと戻る。

 そしてリエラと見えない誰かの手を繋ぎ、ぶらんぶらんと揺れ始めた。

 彼女が何を考えているのか、誰にもわからない。

 でも、確実に言えるのは、離れ行く筈の家族を、アルセが繋ぎとめた。その事実だけは、確かだった。

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