900話突破記念・その少女の決意をまだ誰も知らない
いつ、この話を入れるか迷っていたのですが記念話として掲載しました。
時系列は卒業式前後の夜あたりです。
その日、ふと、私は目が覚めた。
寝ぼけ眼を擦りながら起き上がると、月明かりが窓から差し込んでいる。
珍しく明るい。窓から覗けば、どうやら今日は満月らしい。凄く大きな月が目の前に見える。
二つ揃って満月なのだが、一つは黄色、一つは青い輝きを放っていた。
寝なおそう。そう思って気付いた。
何かが足りない。
周囲を見回せば、女性部屋のここに数人の女性の寝息が聞こえる。
だけど、一人だけ、もぬけの殻になっているベッドを見付けた。
アルセが居ない?
疑問に感じながら、私は少しだけ開かれていたドアを開けて外に出る。
アメリス邸の広い廊下を月明かりに導かれるように歩くと、窓が一つ空いていた。
窓の外を見れば、屋根の一つに腰掛けているアルセがいた。どうやら月を見ながら、隣の誰かと話していたらしい。
そのアルセの隣には見覚えのある赤紫色の髪の少女。
あり得ない少女の出現に思わず声を出しそうになる。
彼女、パルティは神々に引き上げられ神の世界に居るはずだ。なぜ、ここに?
窓から外に出てアルセ達の元へと向かうと、パルティが丁度話を終えて立ち上がった。
私に気付いたようで、振り向きにこやかにほほ笑む。
「パルティさん、戻って来たんですか?」
「いいえ。ちょっとアルセに伝えとこうと思って。リエラには……ちょっと酷かもしれないからまだ秘密」
「えー、何でですか」
私がむっと頬を膨らますと、クスリと笑ったパルティが軽く手を振る。
「じゃあ、もう少しだけさよなら。また会いましょう」
そう言ったパルティがその場で消える。
ちょっと驚いたけど私は未だに場所を動かないアルセの側に近寄ることにした。
アルセの横で、しゃがんで膝を両手で抱える。
「何話してたの、アルセ?」
「お」
心ここにあらず。と言った顔で月を見上げながら、アルセは困ったような、泣きそうな顔をしていた。足を屋根の縁から出してぶらぶらとさせながら、どこからともなく何かを取り出し片手で掴んだそれを目の前に持っていく。
髪? 長く赤い髪の毛だ。一本だけのそれは根元だけが黒くなっている。
どうやら染めている髪から手に入れた髪の毛のようだが、この世界に毛染めの習慣はないはずだった。
「誰の髪?」
アルセは視線を私に向けて、曖昧な笑みを浮かべた。
アンニュイな彼女の顔は、今まで見て来た中でも見た記憶はなく、なぜか不安感を覚える。
「おー……」
どこか悲しげに声をだす。
そして、再び月を見上げて鼻歌を歌いだした。
聞き覚えのある曲だ。
それもそうだろう。それは透明人間により齎され、リエラ自身が弾いたことになっているピアノ曲。【翼をください】だ。
なぜだろう? それを適当に選んだだけ。というにはあまりにも気持ちの沈んだ鼻歌だった。
私はアルセの隣に座って同じ鼻歌を歌う。二人でハーモニーを奏でるように、ただただ二つの満月を見上げながら……あれ? なんで涙が?
なんだか感情が溢れて来て止まらなくなった。
思い出すのは生まれてから今までのこと。お父さんとお母さんに育てられて、お父さんみたいな冒険者に憧れて、初めての依頼で死にかけて……
「そう言えば、アルセの御蔭だよね」
「……お?」
鼻歌を止め、アルセがこちらを見る。
「私が魔物に襲われて、死にそうになってたの。アルセが魔物に体当たりして、助けてくれたでしょ。実際は透明人間さんがぶつかったみたいだけど」
「お~」
そういえばそんな出会いだったね。そう言っているような表情だった。まるで今思い出した。みたいな顔してる。ふふ。ホント可愛いなぁアルセは。
「まだ、一年くらいしか、経ってないんだよね。ずっと、皆で冒険してた気分なのに」
「お」
「沢山冒険したね」
「お」
「いろんな人に出会えたし、別れもあった」
「……お」
「思えば遠くへ来たもんだ。アカネさんが時々言ってた言葉、こんな時に使うのかな?」
返事が来ない。アルセを見れば、再び月明かりに髪の毛を向けてじぃっと見つめていた。
そして先程の鼻歌を歌い出す。
「翼が、欲しいの?」
「……おー」
少し困った顔ながら、彼女は頷く。
エアークラフトピーサンがいる。彼女が望めば、この世界のどこへだって彼女は行けるはずだった。
それでも、緑の少女は遥か先を見つめているような気がする。
「もしかして、透明人間さんのこと?」
そう言った瞬間だった。泣きそうな顔でアルセが私を見る。
「多分、あの人も異世界から来たんだよね? やっぱり……いつかは帰っちゃうのかな?」
「おー……」
「そっか。だから、翼をください。なんだねアルセ」
彼女が欲しいのはこの世界を自由に羽ばたく翼じゃない。
いつかは帰るだろうあの人の元へ行ける翼が欲しいんだ。
「私も、欲しいな、そんな翼があるなら……」
ね。と同意を求めるように微笑む。その視線の先で、緑の少女は決断したような顔で手にしたモノを口へと含む。
まるでパスタの味見でもするように、ちゅるんと髪の毛を飲み込んだ。
「ちょ、え? アルセ?」
「おっ」
すると先程までの哀しそうな顔が嘘だったかのように、ぴょんっと立ち上がり屋根から家に、部屋の中へと戻っていった。
あの、何だったのさっきまでのは?
―― 私は決断したよ。リエラはどうする? ――
不意に、聞き覚えのない声が聞こえた気がした。
再び、誰も居なくなった屋根で月を見上げる。
この世界の遥か先、どこかの異世界に、いつかあの人は戻るのだろうか?
それは凄く寂しいことで、でもきっといつかは必ず来ることだと思えた。
「決断……できるのかな、私」
小さな呟きは、夜の風に流れて消えた。




