AE(アナザー・エピソード)その自分の可能性を彼は知らなかった
「アルセ、唯野さんの後ろに来てくれる?」
「おっ」
リエラさんの声に反応したアルセちゃんが私の後ろに陣取る。
何をする気だろうか?
「皆さんで話し合った結果なんですが、どうも異世界人? の方は魔物を殺したりすることが苦手みたいなんです。なので慣れるまでは吐き気を催したり恐怖で身体が動かなかったりすることが多いみたいですね」
事実、私もそうなっています。
自分でも情けないと思うのだが、身体が思うように動かないのだからどうしようもない。魔物を倒すとなると頭で分かっていても殺す行為に心が、そして行動に身体が拒否反応を示してしまう。
「だから、シュチュエーション? を入れることにしました」
「シュチュエーション、ですか?」
「まず、貴方の背後のアルセを背中越しに意識してください」
はぁ。と答えながら背後のアルセちゃんに意識を向ける。
ちょっと難しいのでちらちらと背中越しに見る。
笑顔で視線が合う度に手を振ってくれるアルセちゃんに思わずほっこりしてしまう。
「貴方に、大切な人はいますか?」
アルセちゃんにほっこりしていると、リエラさんの声。
大切な人と言われて思い浮かべるのは、やはり家族だった。
「はい。妻と、子供が二人。今は余り相手にして貰えませんが、私は彼らを愛しております」
「なら、アルセの気配をその大切な人として意識してください。貴方の背中に、背後に大切な人がいると思って下さい」
私の後ろに、大切な人?
「リエラさんっ!、敵襲です!」
えっ!?
びくっとした私とは違い、リエラさんはリファインさんの声の方を見て声を張り上げる。
「数が多いです皆さん、迎撃してください。左はリファインさんとルティシャさんを先頭にコータ、テッテ、メイリャ、アマンダ、ハイネス。右は……」
「うおおっ。ちょ、リファイン姉ちゃん、何してんの!?」
リファインさんが急に震えだした。相手は狼みたいな魔物群れ、怯え始めたリファインさんをコータ君がフォローする。
メイリャさんも怯えだした。あの二人はこのままだとヤバいのでは?
「リエラ、向こうのフォローに入るわ」
「分かりました。ケトルさんとチグサさんは左のフォレストウルフを! セキトリさんとモスリーン、マクレイナ、エスティールは右を、ローアさん、さっきのお願い。アニアは遊撃、レーニャ、寝てないでルクルのフォロー。アカネさんは私の代わりに指揮をお願いします」
「頼むわよリエラ。ルグス、猫と遊んでないで弾幕張りなさい! どうせ当らないなら敵の撹乱だけでもしなさいよ!」
皆が一斉に動き出す。
戸惑う私の横で、リエラさんはクスリと笑った。
「唯野さんはさっき言ったように意識してください」
「は、はいっ」
意識。背後に大切な人。妻? 怯える姿が分からない。息子? むしろ率先して闘いに行きそうだ。娘だって……いや、でも、アルセちゃんくらいの年頃の沙織は私に良く懐いていたな。泣き顔だって思い浮かぶ。
アルセちゃんの年頃の沙織を知っているから重ねやすくもある。
背中に意識する。在りし日の娘の姿。
「きゃっ!? まずっ、抜かれた!?」
テッテさんがミスをしてフォレストウルフが一匹、私に向って来る。
意識は一瞬にして恐怖で竦み上がる。逃げようと足が動き出した瞬間だった。
「貴方が逃げれば、大切な人は死にます」
一瞬で背筋が凍った。逃げようとした身体が硬直する。
「大切な人を救えるのは貴方だけ。守れるのは貴方だけ。貴方の背後に大切な人が居ます」
何を、リエラさん。何を言って……ああ、ダメだ。一度考えてしまったから、背後の気配に娘が被る。
目の前に迫るフォレストウルフに娘が怯える姿が見える。
「貴方が逃げれば大切な人が死にます。貴方が怯えれば大切な人が喰われます。貴方が死んでも、大切な人が喰い殺されます」
ダメだ。逃げられない。ここで逃げてはいけない。
全身が恐怖で震える。目の前に迫り来る狼に頭が真っ白になる。恐怖で下着が濡れていくのが分かる。この年になって二度目のお漏らしだ。
「恐怖するのはいつでもできます。漏らす事は恥ではありません。泥にまみれても、血みどろになろうとも、あなたが闘えば、大切な人を守れるのだから。胸を張りなさい、挑みなさい、貴方の大切な人を守り切るためにっ」
ああ、あああっ。
真っ白で何も考えられなくて、恐怖に塗りつぶされて身体が動かないはずなのに、惨めに這いつくばって、絶叫しながら逃げ出してしまいたいのに。
リエラさんの言葉が、背後の気配が、大切な人の元へ、アレを行かせてはいけないと叫び出す。
娘が泣いている。助けて父さんと叫んでいる。
逃げられない。逃げるわけにはいかない。私が逃げれば娘が死ぬ。恐怖で動けなくても娘が殺される。このまま私が殺されても逃げる術を持たない娘も殺される。
ならば、この私の背後には通せない。通す訳にはいかない。
愛する者が死ぬことを天秤にかければ、私が恐怖で怯え、殺す感覚に吐き散らす辛い思いをすることのなんと軽くどうでもいいことか。
「う、あ、あああああああああああああああああああああああっ」
地を蹴りフォレストウルフが飛んだ。
私の目の前に凶悪なアギトが襲いかかる。
――あんたなら大丈夫だ――
とん。と誰かに背中を押された気がした。
その瞬間。恐怖で怯えていたはずの身体が、自然と動いた。
足を踏み出し、自分からアギトに近寄り、手にした剣を全力で振る。
恐怖しかなかった。逃げたくて仕方無かった。それでも……大切な人を守りたかった。
ならば、他の感情を感じるのは後でいい。無様で構わない。ただ、大切な人を守るためだけにっ。
私の左右を……二つに分かれたフォレストウルフが流れて行った。




