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その彼の名を誰も知らない  作者: 龍華ぷろじぇくと
第五話 その宗教の誕生を彼女は知りたくなかった
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AE(アナザー・エピソード)・その聖女伝説の始まりをまだ誰も知らない

 その少女に名前は無かった。

 汚い服はゴミとして捨てられていた物を見付けて着たモノだ。

 もう数年来の物なので臭いもヤバいし見た目も汚い。

 靴はない。いつも裸足で汚物の上を歩いている。


 貧民街の皆も、普段は暗い街の隅を歩いているのだけれど、この数日は皆が光射す場所へとやって来ていた。

 何しろ今は国を上げての結婚式。この国の第三王女、ネッテ様が勇者カイン様と結ばれるという記念すべき祭典で、数日を掛けて祝うのだ。


 ソレに際し、貧民用の無料配布場も大盤振る舞いしている。

 普段は食べることすらできない食料にありつけるということで、少女も丁度木彫りのお椀に入ったシチューを食べている所だった。


 普段目にしない魔物やら店やらを見回っていた彼女は、皆が集まる場所に引き寄せられていた。

 そこでは丁度カインとヘンリーによる闘いが繰り広げられていて、初めて見る決死の闘いに、少女は思わず身体が震える程の衝撃を受けた。


 闘う人を見るのは初めてだったが、決死に闘うカインを見ると、思わず心がときめくのが分かった。

 それは恋というものではなく、憧れというものだった。

 闘いがとても綺麗だ。そう思える姿を目に焼き付け、決着が着いてからもしばらく呆然としていた。


 そこへ、カインの知り合いたちがやって来て。民衆に黒死というステータス異常が付いてしまったから並んで治療を受けてくれと宣言して来る。

 しかもその治療が、魔物の血を飲めという予想外の治療法なのだ。

 当然、皆嫌そうにしていた。

 飲むべき血の所有者である魔物はアルセイデスという名前の魔物で、この国を救うのに一役買ったらしいアルセと呼ばれる女の子みたいな魔物だった。


 それでも、やっぱり魔物の血を飲むなんて嫌だ。

 ヘンリーの身体の黒色が消えたのは皆が確認したけど、肌が黒くなるだけなら問題無いんじゃないかな? とか、乱闘終わったしさぁ帰ろう。とかそんな人が出始めた。そんな時だ。


 聖女様がピアノとかいうモノの前に座った。

 少女も遠目に聞いたことがある。自分でも弾けるんじゃないかと思えるくらいに拙い曲だったけれど、なぜか泣きたくなったのを覚えている。

 そんな曲を弾く聖女が、初めて聞く曲をまた、弾いていた。


 こんな状況になる前、小さな、本当に小さな時だった。幼女時代、親に捨てられる前、少女の家庭はとても裕福で、お爺さんが嬉しそうに時計を磨いていたのが脳裏に映った。

 曲が流れると共に、懐かしい光景が思い浮かぶ。

 チクタクと時を刻む時計を嬉しそうに聞くお爺ちゃん。やがて、彼の死と共に自分の家族は狂って言った。


 捨てられる時、あの時計だけが見送ってくれたのを思い出す。

 祖父の死を思い出し、涙が自然零れ出た。

 幸福な世界はもう戻らない。あの時の悲しみが溢れだす。

 気が付けば、周囲の民衆も皆、涙を流し始めていた。


 すごく悲しい曲だった。

 その曲が終わる頃には、帰ろうとしていた人たちも逆に集まって来ていて、皆が涙と悲嘆にくれている。

 そんな中、聖女様が立ち上がる。


「皆さん」


 その声はとても優しく、そして国中に響き渡った。

 たぶん、風の魔法を隣に居た魔法使いのお姉さんが使ったのだ。

 聖女の言葉と、皆が思わず耳を立てる。


「ネズミンランドは御存じでしょうか。地下三階まで向った方もおられるかと思います」


 ネズミンランドは知っている。でもお金がないので行ったことは無い。


「地下四階から、フリアールという魔物が出ます。彼らが持っていたのが黒死病でした。そこにいる勇者ヘンリーは我が国の国獣アルセイデスを拉致し地下十階まで降り、黒死病を患いました。この病気は空気感染するそうです」


 ざわり。皆がヘンリーに視線を向ける。


「私達はそれに気付いて彼を追いました。黒死の危険性に気付いたのもその時です。黒死病を患うことでどうなるのか。それはこちらにいるジェーンさんからお聞きしました。いいですか良くお聴きください。この病気は身体がどんどんと黒くなり、身体の細胞が破壊され、身体が徐々に動かなくなり、泣き叫びながら死に至る病だそうです」


 動揺が広がった。本当かどうかはわからないけど、そんな病気が空気で感染するとなれば、先程まで掛かっていたヘンリーの周辺に居た自分たちまで掛かっている可能性は高い。

 皆死にたくないと叫ぶ。でも、既にその解除法は示されていた。

 聖女様は優しく告げる。


「黒死は状態異常回復の魔法、キュアラオールでも完治致しません。ですが。こちらの救国の草姫アルセはその身体に黒死の抗体を作り出していました。彼女がどうやってこれを創りだしたのかは不明です。ですが、彼女は皆さんを救うためにこの地にやってきてくださったのです。どうか、魔物と恐れず彼女の血を摂取してください。黒死を根絶させてくださいっ。私達に、皆様を、国を、私が好きなこの世界を救わせてくださいっ。お願いしますっ」


 聖女様が頭を下げた。救うのは聖女様で、救われるのは国民だというのに、聖女様がお願いしてきたのだ。

 誰も、嫌だと拒絶できなかった。

 それでも、魔物の血を身体に入れるのは、怖い。


「聖女様。この国の者ではございませんが、私でもお救いくださいますか?」


 戸惑う国民達を押しのけ、一人の貴族が現れる。

 ネッテとカインの結婚式に呼ばれた他国の貴族である。


「国籍などといません。王侯貴族の皆様も、お願いします。私達に皆様を救わせてください」


「恐れ多いことを。むしろ私達が救われる立場でございましょうに。このステファン、貴女を信じます。お救いください、聖女様」


 そう告げた貴族は迷うことなくアルセの血を一滴、摂取する。

 そして聖女様に祈りを捧げた。

 すると、一人、また一人と貴族が聖女のもとへと集まって行く。


 ソレを見た国民たちも、少しずつ、そして我先にと聖女のもとへと向いだした。

 少女もまた。自分のような薄汚れたものでも良いのだろうかと怖々列に並ぶ。

 そして、聖女の優しさを知り、彼女の信者へとなっていくのだった。

注)裏設定ですが聖女様のお言葉はアカネさんが小声でリエラに伝えてます。

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