その危機の存在を彼女は知らない
しばらく、少女とコミュニケーションを取ろうと頑張ってみたのだが、全て失敗に終わった。
木の枝を持ってボディランゲージ。
地面に絵を描いて絵談。
少女の掌に指を押し付け筆談。
背文字なんてものもやってみた。
少女はただただ「おお――――っ」と感嘆するだけだった。
他にもいくつか、思いつく限りの方法を試して、結局は僕がそこに存在していることを証明するしかできなかった。
少女の方も、感嘆したときに「おおーっ」と声を漏らすだけで、基本ダンマリ。
とりあえずは、首を捻ると意味が分からない、という基本動作だけは僕でも理解することができた。
せめて肯定と否定だけでも知っておいてほしかったけど……
くたびれた僕は、彼女から離れて座りこむ。
もはや会話すらできない。
そう思って溜息を吐いていると、少女は両手を伸ばして歩き出す。
何をしているのかと見ていると、周囲をうろちょろ、やがて、右手が僕の頬に触れる。
すると、まるで咲き誇る花のように笑顔で抱きついてくる。
そこでようやく理解した。
先程、夢遊病者のように彷徨っていたのは、姿の見えない僕を探していたのだ。
抱きつく少女は、おそらく、僕がいなくなればまた探すだろう。
どうにも懐かれたらしかった。
少し、嬉しかった。
なので頭を撫でてやる。
首を捻られた。頭を撫でられたことはないらしい。
それにしても……この娘は一体何者だろう?
少女は一頻り抱きついた後、僕の体を触りだし、手を探しだして掴み取る。
小さな子が親とはぐれないよう手を繋ぐみたいに、ぎゅっと握ってきた。
どうやら自分の状況に悲観している暇すらくれないようだ。
苦笑しながら僕は立ち上がる。
「そんじゃ、一緒に行くか?」
どうして、僕が、僕一人だけがこの世界に迷い込んだのか、全く理解できないし、頬を引っぱって痛いだけだから、これは夢を見ているということでもないらしい。
何が起きたか、どうしてここにいるのか、わからないことは多いけれど。
なぜ、こんな場所にいるのか、まずは彼女と探してみるか。
僕は少女の頭をもう一度撫で、歩きだす。
首を捻りながらも僕に付いて歩き出す少女。
なぜだろう。彼女と二人で歩きだしただけで、薄暗い森が少し明るくなった気がした。
しかし、こちらからは殆ど連絡ができないというのはなんとも面倒臭い。
緑の少女は周囲を見回しながら指を咥えて歩いている。
もう片方の手は僕の手が繋がっているのだが、木の枝も持っているので傍から見れば少女が枝を掲げながら歩いている姿にしか見えない。
この木の枝は僕が頑張って彼女に存在を伝えようとして出来なかった時に使った木の枝だ。
なぜか気に入ったらしく手にしたまま放そうとしない。
多分、持って行けばまだ一人でに動いて絵を描き始めるとでも思っているのかもしれない。
そして、楽しそうな少女は、時折僕を見上げて笑みをこぼす。
本当は見えてるんじゃないかなと思うけど、それは気のせいだ。
もはや完全に無防備。また冒険者共に襲われたら逃げられないだろう。
僕が守らないとダメだ。
……そうかもしれない。
僕は、彼女を守るためにここにきたのかも。
だったら僕がやるべきことは、彼女が襲われないように影からサポートすることだ。
この子が成長するまで守り切ることが僕がこの世界に来た目的なのかもしれない。そう思うと、なんだろうか? 僕の心にすとんと何かが落ちついた気がした。
うん。やろう。この娘を悪漢の手から守り切るんだ。
幸いにも、僕は誰にも見えないし声も聞こえない。
不意打ち上等、ずっと俺のターン状態。
どんな相手が出て来たって僕の気配すら分からないだろうから、一撃必殺、即離脱だ。
多分、人に出会ってもこの娘は殺される対象のはずだ。
だったら町には向えないから、僕は彼女とこの森で暮らさなきゃいけないのだろう。
サバイバル知識なんて殆ど持ってないんだけど。どうしよう?
ライターなんて持ってないから火も起こせないし。
この近辺には果物も見当たらない。
時折魔物? だと思われるウサ耳を付けた雪だるまみたいな生物が「にっ」とか鳴きながら横切っていくくらいだ。
……あれ、食べられる生物かな?
一匹、そっと近づいて触れてみたら、人肌温度を持ったモフモフの肌触りだった。
ちょっと癒される。
なんて思って触っていると、何を思ったのか緑の少女が持っていた木の枝をウサ耳雪だるまに突き刺した。
「に゛ぃっ!?」
とか一際大きな悲鳴を上げて逃げ出してしまったウサ耳雪だるまに、僕は思わず腕を伸ばして行かないでと言ってしまったのは僕だけの秘密である。
とにかく、放っておくとやんちゃなことをする緑の少女には軽いデコピンを行っておいた。
いきなり額にダメージを負った彼女は目を白黒させながら周囲を見回し首を捻る。
本当に、無防備な子供である。
やはり、この子は僕が面倒を見ないとすぐに息絶えてしまうだろう。
この世界で認識されていない僕が、彼女を護り切ってみせる。
半ば使命感にも似た想いを胸に、茂みを掻き分ける。
開けた場所に出た、その瞬間。
目の前に現れた二人の男女が目に入る。
「お、見ろよネッテ、アルセイデスだ」
「あら本当。落とす蔦が高額なのよね。狩っちゃいましょう」
「アルセイデスの蔦でナイフ作ろうぜ。今の俺の剣より切れ味いいんだ」
アルセイデスと呼ばれた緑の少女は彼らの言葉を理解できていないようで、無垢な瞳で首を捻る。
いきなり危機が到来した。