SS・その魔物の指導者を僕は知らない
「とぉ~……」
室内に、気落ちした少女の声が漏れていた。
自前のセーラー服を着た彼女は、豪奢な一室に一人きり、天蓋付きのベッドに腰掛け項垂れていた。
そこへ、ノックが響く。
ゆっくりと顔を上げた少女、マリナはとぉー。と力なく呟く。
入っていい。そんなニュアンスに、ドアが開かれ一人の女性が現れた。
暗い目をした女性は、長身で似合ってないドレスを着ている。
「初めまして、いいえ、違うわね。ルルリカの断罪の場で一度会ったかしら? マリアネットよ」
「とぉー?」
マリナはその人物を見て、はて? と首を傾げる。
確かに見覚えのある気はするが、ニンゲンの顔はいちいち覚えてはいなかった。
アルセの周囲にいるニンゲンは覚えはしたが、それ以外は有象無象でしかないのだ。
ただ、彼女の服装は見覚えがある。
「ついさっき牢屋にアンサー王子が来てね。あなたの指導役として犯罪者であるはずの私が選ばれたわけ」
指導役。つまりこれから王族としての礼儀作法などをマリナに叩き込む女であるということだ。マリナとしては王族となるなど想像すら付かないことなので戸惑いを覚えてしまう。なんとなく、ニンゲンの王族というのが煌びやかだったので別にいいかなぁ? とランスの告白に頷いてしまったが、今はかなり後悔している。
何しろつい先日まではダンジョン内で生まれて敵である冒険者と闘うだけの魔物でしかなかったのだ。
なぜか気付いたらアルセに見出され、自分の親とも呼べるボス、御せん漁船を撃破してしまったのだ。その後にアンブロシアの実を食べたせいで知識を得たが、所詮は魔物に毛が生えた存在。
ニンゲンが何をしようとしていて、自分が何故ここに居るのかはまだ理解しきれていなかった。
ただアルセたちと別れることになったという事だけが不安の種で、よくわからないが自分に縋りついて来る変わったニンゲンが一人よく近づいて来る程度。その縋りついて来る姿がちょっと面白い。
後は割り当てられたこの部屋で、時間になれば食事を持ったニンゲンがやってくるだけだ。
アルセたちが城から居なくなって一日後、このマリアネットが現れたのである。
「やることは簡単よ。私が習った踊りを覚えてもらうのと、他の貴族との挨拶の仕方。魔物だから喋れないだろうし、その辺りは私が動向することになったわ。それでね。身の回りの世話も私がするのだけど、ただ指導役するのって面倒じゃない。だから、男を操る術を教えてあげる。ランス王子は貴女にゾッコンみたいだし、簡単よ、今までやってたことにちょっとプラスするだけだから」
そう言って、マリアネットは背中から鞭を取り出す。
そして左手はスカートの中に入れていた首輪を取りだしていた。
「さぁ、始めましょうかマリナ。あなたは今日から王族よ。王族を従える女王になりなさい」
「と、とぉー!?」
よく分かっていないマリナだったが、何か得体の知れない恐怖を感じて怯えた。
しかし、マリアネットから逃れる術などなかった。
「さぁ、まずは鞭打ちから始めましょうか。メイド隊、例のブツを」
再び開かれるドア。そこから数人のメイドに連れられて部屋に転がされたのは、両手両足を塞がれ口に布を巻かれたランスロット。ふがーふがーと鼻息荒く怒りを露わにしているようだ。
何をする気なの? マリナは怯えつつもとぉーっと尋ねる。
マリアネットは無言でマリナに近づくと、怯えた彼女の腕を取る。
いやっと抵抗するマリナだったが、無理矢理に立たされた。
そんな彼女の腕に、鞭が手渡される。
あれ? てっきり自分に振るわれると思っていたマリナは、手にした鞭を見てキョトンとするのだった。
そんな不思議そうな顔を見てどうしたの? と首を捻るマリアネット。
どうやらマリナに鞭を振るって来るつもりはないらしい。
どういう事なのだろう? 戸惑うマリナにマリアネットは指を差す。
さぁ、やりなさい。
そう告げるように、ランスロットに指を差し向けた。
え? 自分が、鞭を振るうんですか?
マリナは困惑しながらマリアネットに視線を向ける。
にこやかに微笑むマリアネットは悪魔に見えた。
「いい? 男は放っておけば他の女にコロッと騙されてしまうわ。優良物件ならなおのこと。折角玉の輿に乗れたのだもの、嘆くより利用してやりなさい。あなたは王族になって、女性の優位性を民衆に説くの。もう男どもの言いなりに甘んじているべきではないと皆に気付かせてやりなさい」
「と、とぉー!?」
「男は皆……豚よっ」
げしりとマリアネットがランス王子の尻を蹴る。
ふごーっと痛そうに叫ぶ王子。王子にこんな事をしていいのだろうか? 少し前に王族に付いてネッテ達から聞かされたマリアはおろおろとしていた。
だが……
「見なさいこの変態王子様を。今尻を蹴られたというのに、怒りなどなく、むしろ嬉しそうな顔をしているわ」
「と、とぉー」
確かに、何故かランス王子は嬉しそうな目で次を期待しているようだった。
「遠慮はいらないわ。何せ、これは貴女のモノなのだから。好きなだけ、遊んでいいのよ。いい? マリナ、男は弄ぶ物よ」
マリアネットの指導が、マリナをまた少し別方向へと導いていたことを、僕はまだ、知らない……




