三百十四・その大樹が喋ることを、僕等しか知らない
「おやおや、はしゃいじまって……なんだか孫を散歩に連れていっている老夫婦みたいだねぇ、じいさんや?」
そ、その爺さんは僕の事を言っているので? 冗談じゃない全力否定してくれるわ。
すまんなGババァ、僕にはすでにリエラという妻がいるのです。浮気反対。
「おやおや、つれないねぇ」
そ、それより、アーデは何処に向かってるの?
「この方角だと島の中心かねぇ」
中心……森がある場所か。
この島、中心から円状に森が広がってるのだ。
空から見た限りだと中央に一際大きな木があった。
ということは世界樹とか聖樹の類に会いに行ったってことなの……かぁ!?
島の中心にやって来た僕らが見たものは、両手を広げても足りないほど大きく肥え太った大樹。
その中央部に出来た顔が。アーデに向って語りかけていた。
これって、トレント……?
「これはこれは可愛らしいお嬢さんだ」
普通に人語喋ってる。しわがれたお爺さんの声だ。
アーデはそんな大樹に向けておーっと片手を上げて挨拶する。
「おやおや、こんな場所に大樹の精がおったんかい?」
大樹の精? 魔物じゃないの?
「ふぉっふぉっふぉ、エルダートレントどもと一緒にしないで貰いたいのぅ。儂はこの地で世界を繋ぎとめとる世界樹と呼ばれるものじゃ」
やっぱり世界樹か。……あれ? 今……
「お嬢さんの質問に答えよう。進化に必要なのは鳥、栗鼠、ワームじゃ。儂になっとる実を食った後、眷族化して世界と世界の狭間に行けば良い」
……なんのこと? アーデ?
不意に、アーデは僕を見る。
その微笑みが、何故か神になる直前のアルセと重なった気がした。
「しかし、よいのかね? まだ若木であろうに……」
「おー」
「そうかそうか、母親も若木であったか。ならば、仕方あるまい。そなたの旅に、幸あれ」
ちょ、ちょっと?
ぷちり、落下して来た実をGババァがキャッチする。
アーデの元へ向うと、その実を手渡した。
ま、待ってくれ、これ、アーデ、まさか……
「この世ならざる者よ、止めてやるな。既に繁殖の地を決めたのだ。実は落ちて種となる。種は大地に芽吹き大樹となる。大樹は新たな実を付け、実はまた落ち、遠くへ運ばれる。我々はそうして世界を繋ぎとめておる」
やっぱり、あんた僕の事見えてるのか!? いや、見えてるだけじゃない、会話も出来てる。
「さぁ、行きなさい幼き若木よ。母体とは遠く離れた地であろうとも、そなたが決めた地をそなたで満たすがよい。世界の安寧を願い、我々は其処に在る、ただそれだけの存在なのだからの」
アーデが実を齧る。
アーデの頭には、既に木に限りなく近い草が芽生えていた。それはさらに成長し、苗木へと至る。
双葉のような揺れる物ではない。立派に木として成長できる、その可能性を秘めた存在になっていた。
アルセが樹になった時よりも随分と速い。けれど、状況はまさに、彼女も樹になることを、運命づけているように思えた。
アーデ、アーデも、樹になるの?
聞きたくない、でも、聞かなきゃいけない。
失う恐怖に震えて、喉がからからになる気分のまま、僕は尋ねる。
「おー」
で、でも、ここは僕らの居た世界じゃないし、この世界は遠く離れた場所だよ、僕らも元の世界に帰らないといけないし、アーデが一人、その……
「おっ」
心配するな、というように、僕の太ももをぽんっと叩く。
「この世ならざる者よ、案ずるな。我等植物は遠くにいようと全て繋がっておる。寂しさ等はないのだ。森に住まう者たちもおるしのぅ」
だけど、でもっ。こんな急に……
「なぁに、まだ別れが決まったわけでもあるまいに、のぅアーデや」
「おぉぅ」
しゃがんだGババァが優しくアーデの頭を撫でる。
ちょっとくすぐったそうなアーデは、ちらっと僕を見る。
まるで貴方はしてくれないの? と強請られているようだ。
本来であれば喜んで頭くらい撫でるよ。
撫でるけど……
ああ、ちくしょう、なんで目の前が滲んでるんだ?
「理由も、あるのじゃ」
世界樹?
「この世界は既に壊れかけておる。別の世界と交わり、元の世界の理が幾分変化した。儂が狭間に居座り押さえておるし、他の聖樹も頑張ってはおるんじゃ。しかし、足りぬ。このままでは足りぬのだ。せめて儂の逆方向から世界を押さえつけられる者が欲しい。それが世界の総意じゃった。しかし、それでも……若すぎる」
アーデ、君は、それがわかってて……
観念したように、アーデは僕に振り向き儚げに微笑む。
だって、私がやらなきゃ、誰も代わりが居ないから。そんな言葉が聞こえた気がした。
いつも笑顔で無邪気に笑う、そんな彼女の本当の顔が今、見えてしまった。
それはまるで、夢で見たリエラの微笑みのようで……
それはまさに、大樹になったアルセの微笑みのようで……
僕はまた、何も出来ない自分の無力を思い知らされた――――