二百九十七・その生物にある自我を、彼らは知らない
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吾輩は鳥である。
名前はまだない。
産まれた時より、世界全てに自己を主張し続け、肯定を待っている。
本日も何度も告げているが、未だに吾輩を認めてくれたのは一人だけである。
そう、一人だけなのである。
皆の言葉より、アーデ、という名前だということは理解した。
吾輩唯一の理解者。自己主張しか出来ぬ吾輩がこの世界で生きることを認めてくれた、初めての存在。ゆえに吾輩は彼女の為に何かを成したいと思ったのだ。
彼女について人型共の居住地に向かう事になった。
正直に言えば初めて見る事ばかり、世界はこれほどに雑多なモノたちに生存権を与えているのかと驚いたものである。
それにしても、吾輩の思考回路、アーデより頂いた果物を食べて以来妙に考え深くなった気がするな。
まぁ、思慮深いのはよいことだ。自己を主張する方法も増えると言うモノだ。
それにしても……あの温泉に入っているカピリアスだったか?
あの魔物どもは意外とやりおる。
アーデがいなければどうなっていたかはわからんが、何故か自分の方が凄いぞ、と視線で威嚇して来たからな。吾輩としても当然ながら立ち向かうしかなかったのだ。
自己を主張し認めて貰う。否、認めさせることこそ我が生命の目的と言えよう。
しかし、魔族というのだったか、この地の人型どもは随分と楽しそうである。
それというのも温泉のせいだろう。
本日も休暇ということで、皆それぞれ違う温泉へと向かって行った。
吾輩もご一緒しようかと思ったのだが、カピリアスたちに温泉に誘われたので、本日は魔王別邸の露天風呂で過ごさせて貰った。
湯上りで教えられたように羽を器用に使って体を拭き、ドライヤーという魔道具をぼぁーっと使って全身の水気を取って行く。
最後にぶるぶるっと全身を震わせて水気を飛ばせば、大量の抜け羽がその場に散らばった。
どうせ羽は生え換わるのでそこまで問題はないのだが、吾輩、最近羽の抜け方が酷い気がする。
まさかただ禿げて来ているわけではあるまいな?
さすがにそれは精神的に死んでしまいかねない。
一人、温泉から上がり、屋敷を出る。
人々の営みを見る為に、屋敷の屋上へ。
翼はあるが飛べる訳ではないので必死に羽ばたきなんとか浮遊する。
吾輩たちワトリには綺麗な翼がある。
しかしこの透き通る青い羽は何故か飛翔に適さないらしい。
なんとか別の鳥を真似て羽ばたいてみたりするのだが、吾輩の身体を飛ばせる力はでなかった。
いや、浮き上がる事は可能なのだ。なんとか羽ばたかせれば屋敷の屋上に辿りつく位は出来る。
しかし、それも必死に必死を重ね、巨大な体を持ちあげてようやくである。
故に空高く飛ぶ事は出来ない。
この貧弱な翼では空を飛ぶことは不可能なのだ。
決して体重が重すぎて空に浮かばないと言う訳ではないはずだ。
「ワタシハトリィィィィッ!!」
屋上に上がり、一息。
太陽から降り注ぐ日の光を存分に受け取り吾輩は輝き煌めく。
ああ、世界よ、吾輩は、ここに居るぞ。ここに居る事を、認めるがいい。
吾輩は、ここにあり――――ッ!!
さて、魔族の町であるここは別名温泉街と言うらしい。
そこかしこで熱い湯船が入り放題。
なのにそれに金を支払って入るのが人型たちのブームなのだそうだ。
そこいらを掘れば幾らでも湯に浸かれるのに、わざわざ他人が作った風呂に入りに行くそうだ。
この館に居る者たちも、自分の屋敷に露天風呂を設置しているにも関わらず。別の温泉地に向かってお金を支払って他人が作った温泉に入るらしい。
随分とおかしな生態を持つ者たちだ。
それに比べればタダで他人の作った湯に浸かっているカピリアスたちは案外賢い生物なのかもしれない。
しかし、温泉というのは随分と臭うな。
卵の腐ったような独特の香りがする。
暖め過ぎて変な色になった卵が偶に発するのだ。温めた足元から漂うあの臭いはさすがにちょっとどうかと思う。
ただ、話によると、この腐った卵のような臭いは硫黄という鉱物の臭いで、火山地帯によくあるそうだ。
ここには火山はないのだが、温泉の一部に溶け出ているらしい。
触れると毒と聞いているが、人型共はなぜそんなモノに入ろうとするのだろうか?
ん? 溶け出ているモノには浸かってないのか? いや、効能がどうとか……
うむ、深く考えまい。
とにかく、人型の考えは良く分からないということが分かった。
だが、アーデに見初められ、人型の世界で生きる事を決めた吾輩は、彼らの生態をしっかりと見定め、理解し、共に過ごさねばならない。
これは我等ワトリにとって未知の挑戦である。
吾輩は仲間たちと別れを告げ、新たなステージへとやって来たのだ。
見ていたまえ同胞たちよ。吾輩は、鳥たちの頂点に立たせて貰おう。
全ての鳥たちよ、吾輩を見よ、吾輩は……
「ワタシハトリィィィィ――――ッ!!」
天高く、世界へ響けと、吾輩は大きく翼を広げ、雄叫びを上げるのだった。




