その○○がバグったことをまだ誰も……知らない
世界中からアルセの元へ声が届いていた。
アルセの大樹からいくつもの声が聞こえる。
世界各地で帝国兵と闘う仲間たちの声。
アルセの力で世界中の植物が大地のネットワークを繋ぎ、目となり、鼻となり、耳となっているのだ。
だから、世界が今どういう状況かを理解できてしまった。
僕、ペンネ、アニスがアルセの側に佇み、聞こえ続ける無数の声を聞いていた。
一時盛り返していた各国防衛軍だが、増殖の勇者が全力で増殖を始めたせいで折角の優位性は失われ、今は拮抗状態になっている国が多い。
それも、ごくわずかな時間だろう。
時間と共にこちらの国々は死者の分、抵抗力が低下し、逆に増殖の勇者たちは増殖力を高めていく。
おそらくそれまでにアルセが何かするつもりだろうけど……その時間でどれだけの人が死ぬのだろう?
もしかしたらエアークラフトピーサン以外でも仲間が死んでしまうかもしれない。
それは、あまりにも哀しいことだ。
皆が必死に闘っている。
僕は、僕だけは何もせずこの丘で皆を見ているだけだ。
何かしたくとも出来はしない。僕はただ見えないだけの存在で、撃たれれば死ぬだろうし、気付かれれば囲まれる。
僕は所詮……いや、違うな。それは言い訳だ。
アルセが決断したんだ。
リエラが頑張ってるんだ。
パルティなんて神々の世界でチート化しちゃったみたいだし。
なら、僕も、そろそろ歩きだすべきだ。
終わりに向かってだけど……
いつかどこかの世界の片隅で、僕は一歩を踏み出した。
死への一歩。終わりへの始まり。
僕はその世界に居るべきじゃないと気付いたから。
その一歩の間に立ち止まり、僕はきっと夢を見ている。
とっても暖かい夢だ。
蝶になったように、緑の少女に出会い、楽しい日々を一緒に旅した儚い夢だ。
夢はいつか醒める。胡蝶の夢は蝶の夢じゃない。僕の夢なのだ。
蝶になったつもりで居続けてはいけない。
だから、そろそろ。夢から覚めよう。この思い出だけあるならば、僕は……
「ぺん?」
不意に空中から地面に下ろされたペンネが不思議そうに僕を見上げた。
誰もいないけど、今まで自分を抱き上げていた存在が自分を降ろしたのだ。不思議がるのも仕方ないだろう。
そんなペンネの頭を撫でる。
「ごめんねペンネ。折角僕の我儘で付いて来て貰って悪いけど、ここからは、皆のマスコットとしてリエラ達を見守ってくれないかな。僕の、代わりに……」
きっと聞こえちゃいないだろうけれど。
ペンネにお願いを終えて、僕は彼女から離れる。
「たん……」
何をするつもりだ? そんないぶかしむ顔で見上げて来るペンネから離れ、僕は力を溜める。
放出の仕方は魔法と一緒らしい。
全身に流れるソレを感じ取り、掌に集めて相手に投げる。
要はイメージだ。
だから、僕はイメージする。
自身の全てを右手に集めるように、身体を構成するソレ全てを右手に。
形状は、弓? だと弓部分が残っちゃうよな。じゃあ全部投げられる投げ槍だ。
徐々に形作られる槍の形。
形成されるごとに自分は何をしようとしているのかと不安になる。
これは意味がないことなんじゃないか? これは悪化させることになるんじゃないか?
でも、僕の全身をずっと流れていた力なんだ。それが、アルセが泣くような結果になる訳がない。
アルセの幸運と僕の想いに全てを賭けて……
全身のバグが失われた感覚。
不思議だ、今までよりすっきりとした気がする。
ぐっと力を込める。
思い切り、真上に向かい、投げ上げる。
「う、ああああああああああああああああああっ」
思わず叫んでいた。
思いの丈全てを注ぎ込んで、全力で投げ上げた。
誰にも見えないその槍が、天高く昇って行く。
文字通り、僕の全身全霊。最初で最後の一撃だ。
全身に巣食うバグ、その全てを集め、槍にして投げ飛ばす。
そして、そして……
「弾けて、混ざれぇぇぇ―――――――――――っ!!」
宙空へと飛ばされたバグが一瞬留まる。
世界に楔を打ち込むように、留まって、世界の中心で弾け飛ぶ。
ソレは空気に溶け込むように、侵入し、侵食し、浸透する。
その速度はあまりに速く、流麗に、速やかに、世界を丸ごと変えていく。
突然のバグに世界は悲鳴を上げた。
必死に逃げようとして、浸食して来るバグの速さに絶望し、自身を犯す病魔に気付き、誰かに救いを求めるように震撼する。
世界中の人が気付いた。何かが決定的に、壊れたと。
世界中の人が知った。もう、今まで通りではいられないのだと。
世界中の人が……空を見上げた。今までと変わらぬ筈の空は、何故か歪に歪んで見えた。
世界中の全てが悟った。自分たちはもう、戻れない。決定的で致命的な変質があったのだと。
この日、世界が……バグった。




