その父の叫びを女神の勇者は知りたくなかった
身体が動かない。
私、唯野忠志は倒れていた。
何が起こったのか未だに理解できない。
ただ、重い衝撃が来て身体が動かなくなった。
痛い、きつい、辛い……
全身が軋みを上げている。
顔が痛い。目が霞む。頭が揺れる。
鋼鉄の勇者相手に立ち向かった、結果がこれだった。
やはり勝てるわけがなかった。
自分は所詮サラリーマンのしがないおっさん。
身体を鍛えた細マッチョで、チート能力を手に入れた鋼鉄の勇者相手に敵う訳がないのだ。
生き残っているだけまだましだ。
このまま寝ていれば、国は滅ぶが家族は……
家族は……死ぬだろう。
男の言葉は聞こえていた。
まずは隆弘。彼を殺すと告げられた。
次に沙織。彼女を犯し、母を犯すと告げられた。
ああ、このままでは、娘が、妻が、息子が……
悔しい、けれど、身体は動かない。
重い、痛い、動かない。
すまない、隆弘、沙織、静代……父は、父さんは……
「父さん、寝てる場合じゃないだろッ! 待ってるから、僕がこいつの相手をして待ってるから、悪い奴をやっつけてッ」
隆弘の声が聞こえた。
ああ、そんな期待を寄せられてしまったら……負けられないじゃないか。
「私も、私も待ってるッ。負けないで父さんっ、こいつを倒してッ」
沙織の声が聞こえた。
ああ、息子が、娘が助けを求めているのに、このままで終わる訳に、いかないじゃないか。
「一緒に、一緒に帰るんでしょ……家族をやり直すんでしょ……アナタぁッ」
ああ、ちくしょう。父親は、辛いなぁ……
幸せを……求めた。
妻がいて、娘がいて、息子がいる。理想的な家族のはずだった。
だが、現実は妻にウザがられ、娘に嫌われ、息子に空気扱いされる冴えない中年になっていた。
何処で間違えた? ずっとこのまま? 許容しようとしていた。
けれど、私は知ったはずだ。
リエラさんのように、誰かを守る凛々しき背中があることに。
気付いたはずだ。
あの眼に見えない誰かのように、何も持っていなくても愛しき者を守る術があることに。
手にしたはずだ。
アルセちゃんがくれた力があることを。
立ち上がれ。私はまだ、出来る事があるのだからっ!
震える手で懐の魔銃を取り出す。
向けるのは自分。
恐怖で身体が硬直する前に、何も考えずに引き金を引く。
乾いた音と共に自身に銃弾が撃ち込まれた。
思わず呻く。しかし、次の瞬間身体が軽くなる。
たった一発だけアルセちゃんに貰った回復魔弾。私の使える奥の手その一だ。
さぁ、立ち上がれ。
破壊されたメガネはいらない。もう、見えないこれでは意味が無い。
さぁ、その手に取れ。
手にするのは勇者の剣ことアルブレラ。向けるのは我が愛すべき家族たちに危害を加える憎き男。
さぁ、走り出せ。
守るのだ。今までずっと、そうして来たように。
家族を――愛しているから。
蔑まれようと、虐げられようと、私が愛した家族たちを守りたいから。
今一度、私に勇気を。
唯野忠志53歳。今こそ、くたびれた人生の全てを掛けて、愛しき者たちを守る刃とならん。
「死に腐れクソ共がぁ!」
「私の家族にぃ、触れるなあぁぁぁぁぁ――――っ!!」
息子の首を掴み力を込めようとする男に、雄たけび上げて走り込む。
気付いた男が振り向いた時には、その腹に突き刺さる勇者の剣。
「あ?」と間抜けな声が男から漏れる。
遅れ、男の顔が下に向けられる。そこには彼の腹に突き刺さった薄緑の傘と、それを持って身体ごと突撃していた私の薄くなった頭皮。
男が何かを行うより早く、踏み込んだ足に力を入れ、私は思い切り切り上げる。
敵を倒す時は躊躇っちゃダメです。リエラさんの言葉が脳内に響く。
躊躇えばそれだけ仲間への危機が増すんです。あなたが手加減することで仲間が死ぬのを見るよりは、全力で相手を倒して、全てが終わってから吐いちゃいましょう。みっともなくていいんです。どれだけ泥に塗れても、勝てば……
勝てば、家族を守れるのだからっ。
「うおぉぉぉぉぉぉ―――――っ!!」
「があぁぁぁぁぁっ!?」
叫びながらも私の顔に拳を突き入れて来る男。
とても痛い。物凄い痛い。意識が直ぐに飛びそうだ。
それでも、踏み込んだ足に力を込める。
切り上げた両手に力を込める。
後はどうなってもいいのだ。ただ今だけ、愛すべき家族を守る力を、私にっ。
「て、てめぇがぁぁぁっ!!」
「妻も、娘も、息子も、私が愛してきた家族は、例え死んでも守り切る。お前は、邪魔だあぁぁぁぁ――――ッ!!」
叫びと共に急に腕が軽くなった。
抵抗が消え去り振り上がった剣に振り回され後ろに倒れる。力を込め過ぎてすっぽ抜けた傘が宙を舞った。離れた地面に突き刺さる。
背中をしたたか打ち付け痛みに呻く。
マズい、反撃が……
とっさに両手で顔面を庇う。
だが、少し待っても反撃が来ない。
恐る恐る眼を開く。
男はいなかった。違う、既に絶命し、倒れた後だった。
「か、勝った……?」
このあと家族との再会と幸福の始まり。もはや私達に対する脅威は消えた。
空を見上げ、私は思う。
アルセちゃん、リエラさん。そして名も知らない君よ。この地は守り切りました。後は、頼みますよ。と。




