AE(アナザー・エピソード)その家族の危機を父は知りたくなかった
走れ。
男が一人、通路を走る。唯野忠志である。
汗だくの顔、振動で揺れるメガネ。メタボリックに膨れた腹が今は恨めしい。
こんなことならフィットネスクラブでシェイプアップしておくべきだった。
もしも無事に帰れたのなら、朝からジョギングを始めよう。
全身が痛みを発する。
普段から運動していない身体は既に限界だ。
それでも駆け抜ける。
誰もいない街の中を、人々でごった返す王城内を、そして静寂に包まれた不気味な隠し通路を。
ドドスコイ王国後方に出る隠し通路を通り抜け、地面に顔を出す。
……居た。
顔を出したすぐ側に、そいつは立っていた。
少し離れた場所には、抵抗したのだろう。満身創痍の隆弘。
怯える沙織に、一歩離れた場所で心配そうな静代。
彼らに対峙するように、半裸の男が仁王立ちしている。
丁度忠志に後ろ姿を見せる位置。王城に背を向けているのだ。
普通逆ではないだろうか? 思った忠志だが、男の言葉で理由を察する。
「そぉら自称勇者君、お前が守りたいお城は俺の後ろだぜぇ? いいのかぁ? あぁン? さっさと来ねぇと、ぶっ壊しちまうぞ」
「く、そおぉぉぉぉぉっ!!」
ショートソードを手に突撃する隆弘。
必死に攻撃を行おうとするが、男は軽々避けていく。
「はは、児戯児戯。雑魚が無様に動く姿は楽しいなぁオイ」
そらっ。
男が息を吐きながら拳を振るう。
丁度剣を振り切った隆弘の臓腑に襲いかかった。
「ぐぶっ」
衝撃で浮き上がった隆弘は物凄い速度で放物線を描き静代の手前に激突する。
口から血を吐き、でも立ち上がる。
辛いだろう、苦しいだろう。それでも少年は、守りたいモノの為に立ち上がったのだ。
よろめきながら、血を吐きながら、剣を構える。
震える足で大地を踏みしめ、振動する両手で剣を握る。もはや立っているのもやっとの致命傷。剣を振るなど出来はしないし、放っておけば死ぬかもしれない。
静代が慌てて回復魔法を唱える。
幾分緩和された隆弘が走りだす。
「はは、神風特攻か?」
「う、わああああああああああああああああ!!」
口から血を零しながらの不格好な特攻。途中躓きそうになりながらも必死に踏ん張り、男向けてせめて一撃と駆け抜ける。
だから、だから忠志も動いた。
不意打ち? 上等だ。家族を守るためならば、彼にとっての不名誉など取るに足らないものなのだから。
隠し通路から飛びだした忠志が男の真後ろから羽交い締めする。
突然のことに「なんだ!?」と驚く男。
無防備な背中からの接近に、彼は気付くことすらなかったようだ。
「くら、ええええええええッ!!」
身動きが取れなくなった男に隆弘が突っ込む。
避けることなど出来なかった。防御など出来るはずも無かった。
人体に垂直に滑り込む刃。男の腹に深々と……刺さらない。
「……え?」
「……な?」
「もう一人居たのかよ。一瞬焦ったぜ」
くくっと嗤い、男は隆弘の顔面を殴りつける。
再び吹っ飛んだ隆弘が地面を転がった。
「おいおい、サラリーマンかよ。ってことはやっぱこいつら異世界人か」
「あなたが、女神の勇者か」
「おうよ。鋼鉄の勇者だ」
「私はこの国ドドスコイの勇者です」
「は。この国もテメーみてぇなおっさん召喚たぁツイてねぇ、なっと」
忠志の頭を掴み、自分から拘束を振りほどくと、思い切り投げ飛ばす。
驚く忠志、気が付いた時には顔面から地面に激突し、くるくると回転しながら二回、三回と跳ね飛ぶ。
メガネがまた割れてしまった。
折角この世界の名匠に作って貰ったフレームも曲がり、レンズもヒビが入る。
「ふん。雑魚が」
「ラ・グラ!」
「温いッ」
沙織の魔法を腕で弾き、鋼鉄の勇者は忠志の元へとやってくる。
薄くなった頭皮を無造作に掴み上げ、下卑た笑みで嗤ってみせた。
「大方家族の危機に気付いて前門から走って来たんだろぉおっさん? 折角だから見せてやるよ。浅はかなお前が勇者なんかやってたせいで俺に引き裂かれる家族ってのをなぁ。ババァは趣味じゃぁねぇが、お前の目の前で娘と母親凌辱してやるぜ、うれしいだろぉお父ぉさん。げひゃひゃひゃひゃひゃっ」
悔しい。
打ち捨てられた忠志は地面に顔面をぶつける。両手で砂を掴むが疲れた身体が動かない。
ああ、駄目だ。走ってきたせいで疲れた身体が男の攻撃に耐えられず立つことを拒んでいる。
闘わねば。
立ち上がらねば。
愛する家族が死んでしまうっ。
「う、おおおおおおおおおおおおおっ」
「あん?」
踵を返した男が怪訝な顔で振り向く。
そこには立ち上がった忠志が居て、アルブレラを振り上げ走りだしていた。
「傘で攻撃かよ。バッカじゃねぇの?」
軽く嗤いながら左腕でガードする。
気合いの一撃。
忠志の放った一撃が鋼鉄の勇者の腕を両断した。
「……は? あ、痛っでえぇぇぇぇぇっ!?」
「はぁ、はぁ。やっ……ぐべっ」
荒い息を吐きながら二の腕までになった腕から血を噴出させる鋼鉄の勇者を睨む。
が、次の瞬間顔面に拳が突き刺さった。
鋼鉄の勇者の右腕が振り被られ、痛みを与えた忠志を思い切り撃ち抜いたのだ。
強烈な衝撃を受けた忠志が面白いほどに転がる。
メガネが弾け飛び空へと舞い上がった。
ドサリ。地面にうつ伏せに倒れた忠志、遅れて空から落ちて来たメガネがガシャンと割れた。




