AE(アナザー・エピソード)その開戦の狼煙を僕等は知らない
「さて、そろそろ時間か」
自分用の書斎に一人、男はふかふかの椅子に腰かけ背もたれに背を預ける。
ぱらり、規則正しく紙がめくれる音だけが響く。
鼠色の絨毯の上にデスクが一つ。そのデスクの椅子に腰かけた男は、目の前にある来客用のテーブルとソファーの群れをなんとはなしに見た。
そこには若い女が一人、何かの書物を読んでいる。
知的なクールビューティーの女は、時折メガネを片手で直し、目頭を押さえつつも読むことを止めようとはしなかった。
かれこれ数時間。本とにらめっこしているが、顔をあげる気配は微塵もない。
ただの本であれば彼もとやかく言う必要は無い。
なぜ俺の目の前でBL本の激しい奴を読んでいるのか、しかもシリーズものらしく物凄い多い数の薄い本である。
その本も、既に残り数冊となっているが、憂いを帯びた顔でそんなものを見ている姿を見せないでほしいというのが彼の本心だった。
嫌でも本の一部が彼にも見えてしまうのがなんとも泣きたくなる。
『時間です』
ふいに、デスクの上に乗った機械から声が聞こえた。
各地に送り出した自分の分身たちからの報告だ。
各国に告げた正午まで待つという時間制限が今終わった。
「降伏する国は?」
『ありません。皆無です』
「おいおい、東よりも面白いことになってるじゃないか」
東の国は軍隊で囲んだ瞬間諦めた国が多かった。
彼らの上層部は皆首を刎ね、男は重労働、女は慰み者となっている。
西側の国もいくつかは抵抗無く降伏すると思っていたのだが、まさか全ての国が死を選ぶとは思わなかった。
「まぁ、それはそれでいいか。では蹂躙を開始しろ」
『了解』
「ああ、それと。一応東大陸には居なかったからこっちにも居ない可能性は高いが、俺と同じ七大罪には手を出すなよ。大損害を受けても知らんぞ」
『あ、それが……』
「ん? 何かあったか?」
『セルヴァティア王国を包囲する過程でオークの集団を撃ち殺した一団が、七大罪嫉妬と戦闘になったと報告が』
「何をしてるんだ。大体感覚で大罪持ちかは分かるだろ。確認しなかったのか?」
『面目ありません。オークどもに隠れて気付かなかったと』
「チッ。後で七大罪シリーズ集めて私設軍隊にしたかったのに、まぁいい殺せ」
『了解。伝えます』
ふぅっと息を吐く。
彼は増殖の勇者。
今話していたのも増殖の勇者。
軍の兵士全てが彼が別れた分身体である。
「はー。思うようにはいかんな。最悪七美徳だっけか。対のメンバーだけでも俺の軍に入れてやるか、女だったらさらに楽しめるしな……」
「おじゃまするよー」
背もたれに深く背中を押しつけた瞬間だった。ドアが開き料理の勇者がやってくる。
「どうした?」
「ん。食事出来たから呼びに来た。知識創造の勇者もそんなの読んでないで早く食べに来てよ。んじゃ、錬成の勇者呼んで来る。あ、それと増殖の勇者」
「ん?」
「操船の勇者見ないけど知らない?」
「あいつは艦隊率いて海に出てるぞ? イージス艦ひゃっふーとかいいながら小躍りして出て行ったが?」
「そっか。一つ作り過ぎちゃったな。どうしよう?」
もはや増殖の勇者に告げるのではなく独り言を呟きながら料理の勇者は去って行く。
「ったく、食事くらいここに運べよ」
「もう少しで終わるから待ってて」
反応遅く呟く知識創造の勇者。増殖の勇者は溜息を吐いて立ち上がる。
「じゃあ食事して来る。終わったら蹂躙の成果聞くぞ」
『了解、一時間後に再度連絡する』
トランシーバーを切る。
トランシーバーといえどもこれは知識創造の勇者により遠方でも通話可能という特殊スキルが付いた魔法具だ。
知識創造は構造や特性など詳細な知識が必要で、彼女の脳内で組み立てた道具を創造出来る能力なので、既存の構造に想像上の特性を付けて生み出して貰ったモノである。
科学と魔力の融合で、トランシーバーの効果範囲程度では収まらず、世界の裏側からでも繋がる高性能トランシーバーである。
各隊の隊長に持たせているので各々の声がリアルタイムで交換できるため各地の進行状況が分かるのだ。
「おい、行くぞ知識創造」
「……面倒ね。食事なんて取らなくてもいい身体になりたいわ」
「できねぇこと言ってねーでさっさと行くぞ。なぁに時間はたっぷりあるんだ。そんな本読む時間なんざ幾らでもあるだろ」
「時間は有限よ。読みたいモノは星の数ほどあるし、読み返したい本もある。時間なんてあってないようなものだわ」
「ああ。そうかよ……」
溜息を吐いて先に部屋を出る。
だから食事に向かった彼らは気付きもしなかった。
彼らの軍が敵対した者たちが、どれ程の抵抗を見せるかということに。
『ほ、報告ッ、セルヴァティア征圧部隊の一部が壊滅ッ、ツッパリ達の泉で、な、なんだあのピンクの奴は!? や、やめろぉぉぉぉ――――ブツッ、ザ――――……』
誰もいなくなった部屋に、トランシーバーからの音声が聞こえ、途切れた。




