ガーネット/奥華子
続・イタリア紀行(ガーネット/奥華子)
労働の対価としての給料という考えはさもしい。少なくとも自らの行いにおいて、自らのメンタルの消費、また肉体ATPの消費によって誰かしらの需要を満たしたことは疑い得ぬ事実であろう。それゆえに役に立った、と世人は端的に表す。誰かの役に立たない仕事は金を生まない。誰かの役に立ったもののみが初めて労働に県吏に銭を促す。我慢料とも辛抱料とも狼と香辛料とも呼んでも、本質に対するピンクのハイコンセプトをアップデートしなければ疎外から制度的にも心的にも逃れることはできない。ルソーやソロー、陶淵明といった古の聖賢に付き従って野に入っても労働は待っている。自給自足と聞こえはいいが、その実は自らの食べ物を水からで獲得せねばならない。魔法の食卓はエントロピーを無視しない。畢竟自然に逃れたところで労働は影のごとくまとわりつく。三年寝太郎もそのまま寝ていたらいかに難癖を付けられていたことか、寝たままでは美談にはならない。もしそうした行為が許されるのだとしたらしれは御落胤か、どですかでんに出て来るような聖なる愚者のみだ。近代理性は働け、働け、と耳元で囁く。Wo,,,Wor,,,k,,,Work!これがSeize the day!ならいかに天地は仁なりしや?世間は個人にかけたリソースの回収に自然と同等に厳しい。無償の愛は母の愛、ミルキーはママの味、つまりは母乳である。ただ無心に母の乳房を貪る時にのみぼくたちは三年寝太郎を生きる。寝ていても、おれ、このまま寝ていて本当にいいのか、と方法的懐疑し出したらもう喜びの無意識には浸れない。ノーストレスで世間の眼を気にせず寝続けるのもまた才能。凡人は堂々と眠り続けることもできず、また堂々と起きて意識高い学生並みに物を動かして巻き込んでガンガンオラオラ働く自信も心の余裕も無い。ない!ない!もったいないよ(ルー大柴風)!ぼくたちは降りきれないし、昇りきれない。物臭太郎にもホームレスにも、はあちゅうにも家入一真にもなれないから苦しくてしんどい。バリバリ最高ナンバーワンに働けないし、ビッグイシューも売りたくない。ちょっとリッチで優雅な久隅盛景『納涼図屏風』のような生活がしたいのだ。あばら屋にビッグマックとブルーレイが欲しい。欲望は欲望を生産して気付けばバラック小屋がパナホームになっている。生活レベルを水野遥まで下げることはできない。回り出した生活の質の維持は赤の女王効果を生み出し、苦しみのブラック軍拡ランナウェイ競争となり、タイガージェットシンのプロレスのように後追いでゴングが鳴らされる。食い逃げ、やり逃げ、タダ乗りは地獄の三丁目まで追手が付く。ラモン・メルカデルに後ろをとられたトロツキーのようにピッケルで頭をキーンと美味ぁい!かち割り氷のようにパッカーン!と割られるまでウシジマ君並に取り立ててくる。なにもせで楽して寝ていられるのは、近世以前の身分制度に則った殿様学問に戻るか、ベーシックインカムになるかだから、時間の都合上、どちらにもなることはできるが、行くことは後者にしかできそうにない。未来で待ってる、と言われたら、走っていく、と答えるしかない。




