飴玉
私は昔から、大好きなアメを舐めていた。
親に誉めてもらったとき、怒られたとき、授業参観日に来てもらったその帰り道、大好きなおじいちゃんが死んでしまったとき、友達と手を繋いで将来の夢を語り合っているとき。
舌の上の、甘くて硬いあれが無くなるときは少しだけ切ない気持ちになったものだ。
少し体が大きくなり、中学生になった時に初めて生理が起きた。私は痛みに耐えるために必ず酸味の強い、レモン味のアメを舐めていた。
その際にうっかり噛み砕いてしまわないかそちらのほうが気がかりだった私に、母は苦笑いを浮かべていた。
高校受験で皆も私もあくせくしていたときに、生まれて初めての彼氏が出来た。
桃の甘ったるい味のアメを舐めながら彼の告白を聞いていたのだが、いまいちピンとこないのにオーケーを出してしまったのを覚えている。
それから付き合いだしたのはいいものの、受験勉強が忙しくほとんど恋人らしいこともせずに過ごしていった。
結局合格発表がされ友達とはしゃぎあった数日後、彼のほうから別れのメールがきた。
やけにすうすうするミント味のアメを舐めていた時だった。
高校生活は部活一色だった。
吹奏楽がこんなに汗をかくものだとは知らなかった。
アメの味は塩分濃いめのグレープフルーツ味一択の日々。
仲間と築き上げた結果に嬉し泣きをした際に、口に入った涙が塩アメよりもしょっぱかったのは今でも記憶に残っている。
推薦入学で入った大学で、二人目の彼氏が出来た。
「いつも甘い匂いのする女の子だよね」と言われたことがきっかけで、同じサークルの彼との距離は縮んでいった。
お互いにお金は無かったけど、一緒にいるだけでとても楽しいと思える時間を過ごしていった。
彼とのデートの時は決まって、花のフレグランスが香る少し高めなアメを舐めていた。
大学卒業後も彼との日々は続くと思っていた。
しかしお互いの就職先が離れた場所に位置していた事がきっかけで、すれ違いが起き始めた。
ほんの些細な事だったはずだった。
しかし歪みは予想を超えて大きくなり、私たちの付き合いは四年と八ヶ月で終わりを迎えた。
泣きじゃくりながら舐めていたアメは、またミント味だった。
私にこの時初めて、大好きなアメの中で唯一嫌いな味が出来たのだった。
二十五歳になり周りで結婚の二文字が出始めた頃、私に三人目の彼氏が出来た。
四つ年上のその人は既婚者だった。
私が舐めていたリンゴ味のアメを、キスで奪い取ってくる様な強引な人だった。
仕事は順調だった。
重要なプロジェクトにも参加をし始めた。
彼は、いつも私の目の前にいた。
彼がベッドで奥さんの悪口を言う度に、私は優越感に浸っていた。
君は優れていると言われている気がした。
結婚なんて言葉を口に出された時は、幸福感いっぱいで有頂天になりそうだった。
私と彼を別れさせようとした友人はいつの間にか全員いなくなっていた。
しかし彼さえいてくれれば、気持ちは穏やかに過ごせていた。
所詮、友情は愛よりも脆いものだとこの時私は気づかされた。
母が死んだ日、彼は一晩中心配をしてくれた。
おかげで私はこの悲しみに耐え、埋葬に至るまで母の面倒をしっかりと見ることが出来た。
しかし、三年後の父が死んだ時には彼からの連絡はほとんど無かった。
いや、その前から頻繁にあった連絡は少なくなり、ベッドの上の言葉の数も少なくなっていた。
父の葬式の際には、どちらが悲しいのか分からなくなっていた。
我ながら親不孝者だと思った。
コンビニに寄り、大量のアメを買った。
私は起きてる時間は必ずアメを舐める様になった。
いちご味、ぶどう味、ソーダ味、レモン味、メロン味、みかん味、コーラ味、ミルク味、抹茶味、コーヒー味、ヨーグルト味、ライム味。
脂肪が体の至るところにつき始めて、肌は荒れてニキビが何個も出来てしまった。
五ヶ月後、私は会社をクビになった。
どうやら彼の為にと行った裏での情報収集と買い付けが、誰かのリークによって問題になったらしい。
しかも私のしていない事まで尾びれがついた状態で。
アメ以外、飲まず食わずで彼に連絡をする毎日が続いた。
肌は更に荒れ、お腹の脂肪は弛みをみせた。
しかし彼とは一向に連絡が取れなかった。
私はがりがりと、アメを噛み砕いた。
数日後、彼に直接会おうと元いた会社まで足を運んだ。
一瞬私に気づかなかった同僚に、私が彼のストーカーになったという話が噂になっている事を聞かされた。
今では正直、いい笑い者になっていると。
私は、気が、狂いそうになった。
会社から出たあと出入り口が見える道路脇で、私は彼が出るのを待った。
彼に会えば、安心出来ると思った。
少なくとも、抱いて癒してくれると思っていた。
彼は一時間後会社から出てきた。
すぐにでも声を掛けようとしたが、タクシーに乗ってどこかへ向かってしまったため、すぐに私もタクシーを捕まえてあとを追った。
会社からそこまで離れていない距離で、彼はタクシーを降りた。
小銭で運賃を精算してタクシーを降り、彼のほうを向くと、私の知らない若い女が彼と仲良く話しているのが見えた。
二人は手を組みだし、繁華街を進んだ。
その先は、私もよく知っているホテル街だった。
そのあと、私の二十メートル先で、彼は私とも利用した事があるホテルの中へと、若い女を連れて、消えていった。
私は、アメを、がりがりと、噛み砕き続けた。
二日後、また彼らを見つけた。
二人は今度、より人目のつかないところへ足を運んでいた。
街灯がぽつり、ぽつりと虫達だけを引き寄せて、か弱い光を発している。
荷物で少し重たい体で、がちゃんがちゃんと私は走って彼らとの距離を詰めはじめた。
彼らは会話とお互いの感触を確かめるのに夢中で、すぐ後ろまで近づいているこちらに全く気づかなかった。
がちゃんがちゃん。
私はバックから重たい金づちを取り出すと、昔私が彼にせがまれて切った時とそっくりな黒髪のセミロングめがけて、思いきり降り下ろしてやった。
ぐちよ。
頭に金づちが突き刺さったままの昔の私は、ゆっくりと地面に倒れこんだ。
うつ伏せになりながらびくんびくんと痙攣を起こしているのが可笑しかった。
そしてよだれを大量に垂らしたまま、動かなくなった。
ゆっくりと彼のほうに振り向き、じっと見つめる。
彼も私を大きく見開いた目で見てくれていた。
思わずこちらもにやけてしまう。
彼はがくがくと膝を落とし、私に対して何かのお願いとごめんなさいを交互に繰り返していた。
幼児の様に泣きじゃくって可愛い彼に対して、私も、お願いをする。
ねえ、アメをくれないかしら?
アメが溶けてすっからかんになった口を強く噛み締めて、私は、もうひとつの金づちを彼の頭めがけて降り下ろしてあげた。
ぐしゃ。
何度も。
ぐしゃ。
何度も。
ぐしゃ。
何度も。
ぐしゃ。
何度も。
ぐしゃ。
何度も。
ぐしゃ。
何度も。
ぐしゃ。
何度も。
ぐしゃ。
帰り道、私は初めて食べたアメの味を恍惚の表情で味わっていた。
おいしい。おいしい。
ずっと溶けることのないアメを、私は、ずっと舐めつづけた。
白くてかたいこのアメを。