9・二人の貴公子
「ソード」と同じく、「フォース」にも実技の授業が存在する。
研究や実験を主とする魔道士には不要な部門だが、自衛の手段として受講する生徒はそれなりに多い。
また、複数の科と内容が重なる授業は合同で行われる場合も多い。
そういった授業は、普段他の分野との交流が少ない生徒たちへ向けた学科を超えた友好を広げる場としての側面も、同時に持ち合わせている。
今回の実技授業は「フォース」単独で行われており、授業の内容は生徒同士による一対一での対抗戦。
魔法を発動させるまでには、幾つかの工程を完了しなければならない。
頭の中で術式を思い描き、魔晶石と呼ばれる水晶やその他の媒体に必要な魔力を注いだ後、その術の呪文を唱える事で初めて魔法はこの世界へと姿を現す。
なお、魔法は基本の術式に手を加える事で様々な効果の変更が可能となっている。数や量、速度や軌道など、変更点に応じた術式を自在に組み替え自分に合った独自の魔法を持つ者も多い。
心力の練りが乱れても一定の効果を保つ心技とは違い、魔法は工程を一つでも失敗すると発動すらしない。その為、本来魔道士が戦闘を行う場合には壁の役目を果たす前衛や、周辺を警護する役目の者を用意するのが普通だ。
接近戦をこなしながら魔法を発動させる事も不可能ではないが、流石にそこまでの技能を修めた者はこの学園内で極少数しか居ない。
よって、この授業における模擬戦はある程度距離を離し魔法を撃ち合う遠距離戦が基本となる。
教師が決めた組み合わせにより、現在二人の生徒が訓練場の中央で対峙していた。
整地された広い空間の中に立つ一人目は、蒼。群青色の宝玉が付いた短い杖を片手に、気負い無く構える蒼髪の少年。ディーエン・サーピエルデ。
もう一人は銀。所々に銀色の刺繍が入った見るからに高価そうな真白の服の上から、紅色の表地に黒の羽毛を裏地に仕込んだマントを羽織る銀髪の少年。クリストファー・A・ディーエンアマント。
細身で端整な顔立ちに、ハープの絃を連想させるきめ細やかな前髪を左手でもてあそびながら、紅色の宝玉を付けた豪華な杖をディーエンへと突き付ける。
「『火球』!」
まずは小手調べのつもりか、拳大の火球がその先端から直線で放たれた。
「『端氷弾』」
着弾と同時に炸裂する性質を持つその魔法に対し、ディーエンは杖の先端から、氷で出来た爪の大きさ程度のつぶてをばら撒いて叩き落とす。
「『炎魔蛇』!」
「『氷凍鞭』」
紅蓮の華が咲く中、続いて繰り出されたのは蛇の頭部を模した火炎の突進。
蒼の魔導士は、迫る紅蓮を前に右手を伸ばし白銀の鞭にて迎え撃つ。
炎で作られた大蛇を氷の鞭が捕らえた瞬間、互いが大きな悲鳴を上げて喰らい合い蒸気と共に虚空へと消滅する。
「『炎速弾』!」
「『魔障壁・三連』」
三度目として撃ち出される、密度を高めた高速の炎弾。
ディーエンは即座に前方へと三枚の淡い障壁を出現させ、圧縮された炎塊を真正面から受け止める。
防壁二枚を貫通したクリストファーの火球は、三枚目に衝突すると諸共に弾け飛びやはり対象には届かない。
「くっ」
「……」
自分の手管をことごとく無力化され、鼻白むクリストファー。
対照的に、ディーエンはただ淡々と作業をこなしながら表情すら変わっていない。
「『火球・七連』!」
「『氷操球』」
先程よりも更に多くの魔力を乗せほぼ同時の詠唱で出現させた球の数は、ディーエンが氷球三つに対しクリストファーの火球は七つ。
「行けっ!」
目に見える戦力差に笑みを浮かべ、号令と同時に火球群を射出するクリストファー。
ディーエンは無言のまま氷球を操作し、その内一つだけを先行させると、タイミングを計ってぽつりと言い放った。
「爆ぜろ」
両者の中央で、氷塊が爆裂する。飛び散った破片が他の炎球を誘爆させ、更にその爆発が連鎖的に他の火球へと伝播する。
その結果、全ての火球が周囲に爆風を撒き散らし相手に届く事なく轟音を立てて次々と爆ぜ上がった。
連続した爆発により土煙が生まれる中、残しておいた二つの氷球をクリストファーへ向けて高速で疾駆させる。
「くっ、『魔障壁』!」
目の前の出来事に驚かされながら、慌てて障壁を張る事で襲い掛かる氷球を防ぐクリストファー。
魔力の壁に激突した二つの氷球は、障壁の表面を凍結させ彼の手前で薄い氷の壁を形成する。
攻撃を無事に凌ぎ切り、銀の少年が小さく安堵の溜息を吐くのもつかの間、ディーエンの魔法は終わらない。
「なっ!?」
そのまま崩れ落ちるはずだった氷壁が、突如として地面を伝って周囲への侵食を開始すする。
氷の進行は瞬く間にクリストファーの足を捉えると、徐々に氷の牢と化してその身体をおおい尽くさんと這い上がり始めた。
「『凍獄魔封』」
方陣魔法の一種に、本来は杖の先端か自身の周囲にしか出現しない詠唱魔法を魔力文字に置き換え、壁や地面など任意の場所から発動させる事の出来る技術がある。
クリストファーの手前で防がれた二つの氷球には、術式によって魔力文字が刻まれ、着弾した箇所に張り付くよう改良が施されていた。そして、その場所を基点にディーエンが別の魔法を発動させたのだ。
「メ、『業幻魔炎』!」
突然の現象にクリストファーが焦りながら唱えたのは、術者に害を及ぼさない魔力で形成された幻影の猛火。
それは両足を氷に閉ざされた彼を中心として炎上し、大元である氷壁に張り付いた魔力文字ごと自身に取り付いた拘束を一気に蒸発させる。
「そこまで!」
溶けた氷により大量の水蒸気が舞い上がり、視界の塞がった先へとディーエンが追撃の魔力を込めた杖を向けた正にその時、二人の試合を観戦していた「フォース」の実技担当である四十前後の女教師が両手を大きく叩いて終了を宣言した。
「はい、実に素晴らしい攻防でしたね。クリストファー君もディーエンエン君も流石ですね。皆さんも、彼らを見習うように」
顔に掛けられた三角眼鏡に触れながら、二人を褒め称える女教師。続いて、彼らの試合を傍で見ていた生徒たちへとその視線を向ける。
そんな教師の言葉を受け、生徒たちは小声で周囲と話し合う。
「いや、無理だろあんなん」
「すっごいよねー。遠くから見てても、二人が何考えてその魔法選んでるのか全然解んないんだもん。なんかもう、わはーって感じ」
「二人とも、新入生の戦い方じゃねぇって」
「むしろ、魔道血統の高い貴族を相手に互角に戦えてるディーエン君が異常なんじゃないかな」
「言えてる言えてる」
「流石、「氷雷」と「銀炎」の貴公子組み。戦うさまもお美しい事で」
魔法の才能は血統の濃さが一因となる為、その資質を高く持つ者には貴族の縁者が多い。
学園に入学する前から家庭教師を付けて魔道を学ぶ者も居るが、それでも今の魔法戦はそう簡単に真似出来るものではない。
「はい、私語は控えて下さい。次、アルコ・マリーシオ君とレーヌ・ホローヴェさん、前へ」
女教師は再び手を叩いて会話を中断させ、次の試合を行うべく生徒の名を告げる。
「はい」
「はーい」
呼ばれた生徒が立ち上がり、彼らの列へと下がるディーエンたちと入れ違う形で、鍛錬場の中央へと足を進めていく。先ほどの一戦を見せ付けられた為か、その表情は若干暗い。
「やれやれ。今日もまた、決着を付ける事が出来なかったね」
開始直前と同じく左手で自分の前髪を触りつつ、クリストファーが隣を歩くディーエンへと話し掛けた。
この学園には、昔から優秀な生徒にあだ名を付ける風習がある。
ディーエンに付いたあだ名は、「氷雷の貴公子」。
広まり始めた当初にレオンから大笑いされた、ディーエン本人も失笑ものの二つ名だ。
もっとも、レオンは自分に「ガキ大将」のあだ名が付けられて定着すると、途端に不公平だと不満を漏らすようになったのだが。
そんな蒼の貴公子に対抗してか、自らを「銀炎の貴公子」と自称する高位貴族の嫡子がこのクリストファーだ。
確かに見た目は貴公子を名乗れるほどに端麗なのだが、貴族としてのプライドに凝り固まった面倒な性格と、今のように過剰に恰好を付けようとする仕草が逆に滑稽に見られてしまい、影で一部の者から「傲慢伯爵」などと揶揄されていたりする。
この気障な態度を平気でこなす優男とディーエンの関係は、最初の実技授業での邂逅にまでさかのぼる。
ひとまず受講生全員の実力を把握する為にと、くじの順番で得意な魔法を披露する事になったその授業で、ディーエンは運悪く一番手を引き当ててしまったのだ。
名前もないような小さな村の出身ではある為、彼の世間は今までとても狭かった。
それでも、神父の出稼ぎに付いていく形で隣町や近郊へ足繁く通っていた彼は、自分を含む同郷の三人が同年代の中ですでに抜きん出た実力を持っている事をある程度把握していた。
学園の平均的な実力が未知数である以上、下手に全力で魔法を使うと生徒たちから恐れられ異端視される危険性がある。さりとて、下位の魔法でお茶を濁し落ちこぼれを演じ続けるのも気疲れしてしまう。
そうしてあれこれと考えた末にディーエンが選択した魔法は、当時彼の中で三番目の威力を誇る複合属性魔法、『氷雷魔槍』だった。
氷で作った鋭い菱形の槍に雷をまとわせ、対象を貫くと同時に内部から電流で焼き焦がす高い殺傷力を持った、対大型魔物用の魔法だ。
鎧を着けた案山子の胸に大穴を開け、迸った雷撃でボロ雑巾へと変える蒼の魔導士の一撃。
そんな彼の魔法に唖然となる生徒たちの反応を見て、ディーエンはこれでもやり過ぎだった事を理解したのだが、時すでに遅し。
その中でもこの自称貴公子には特に強い対抗心を植え付けてしまったらしく、選択した授業がディーエンと重った際は何かにつけて競い合おうと息巻いていた。
「まぁ、あのまま続けていれば僕の勝利は確実だっただろうけれどね」
「そうかもしれないね」
優雅に髪を掻き上げ、自信満々に言い放つクリストファー。
対するディーエンはまるで興味がない様子で、適当な返答を返す。
何故かは解らないが、どうやらクリストファーはディーエンとの敵対を望んでいるらしい。
度々こうして罵倒したり、侮辱したりして、敵愾心を煽ろうと躍起になっているのだが、孤児院で散々口の悪い子供たちの相手をしてきたディーエンにしてみれば、その程度の罵詈雑言など聞き慣れてしまってまるで効果がない。
「君には誇りがないのかい」
自分の台詞が上滑りしている事に腹を立て、眉根を寄せて不快感をあらわにするクリストファー。
そんな敵意を向けられても、ディーエンの対応はなんら変わる事はない。
「暴力で誇りを語れるのなら、僕たち魔道士に知恵と知識は必要なくなってしまうよ」
「く……っ!」
子供に言い聞かせるように語るディーエンの口調に、馬鹿にされたと勘違いしたのかクリストファーは更に強い視線を送って無言で相手を睨み付ける。
その視線は列に戻った後も続き、結局授業の終わりまで外される事はなかった。
見られているディーエンの方はまるで気にした様子もなく、懐に忍ばせておいた小さな書籍へと視線を落として読みふける。
報われないクリストファーに、勝手に因縁を付けられた苦労人のディーエン。
周囲の生徒たちは、そんな二人に揃って同情の念を送っていた。
◇
学園の誇る施設の一つに、大図書館が存在する。
全校生徒や外来者へ開放された、一般区画。
段階ごとの試験に合格する事で、閲覧出来る範囲の広がる魔道書区画。
特別な資格を持つ者にのみに開放される、禁書、有害指定書に認定された書籍を納めた禁書区画。
研究塔の二階全域、三区画全てを使い切った巨大な面積に相応しい膨大な蔵書量を持つ文字と知識の聖域。
納められた書物は全てナンバリングされてジャンルごとに分けられており、入り口の受付で検索すれば即座に図書館専用の使い魔が持って来てくれる仕組みになっている。
放課後に時間の空いたディーエンは、魔道書区画の第七級指定書籍を扱う場所に訪れ机に座って持ち出した一冊の分厚い本を広げていた。
本の内容は、方陣魔法に関する基礎術式。及び、使用される魔力文字への考察。
学園の授業料を稼ぐ為にとある教師の助手まがいをしているディーエンは、勤め先の専門である方陣魔法について多くの知識を学んでいた。
今日の授業で見せたあの氷の牢獄も、そんな新しい知識から編み出された魔法の一つだ。
魔法についての学問には、その深奥に際限がない。戦闘という分野一つだけでも、先のように応用の幅は無限に広がる可能性を秘めている。
この学園に来てその事を再確認した彼は、寝る間も惜しむ勢いで魔法への勉学にのめり込んでいた。
真剣な表情でページをめくる少年へと、何人かの女生徒が本を読んだり選んだりしながら時折ちらちらと視線を向けている。
一般的に言って、ディーエンの容姿はとても整っていた。
仕草や態度も礼儀正しく、仕立ての良い服を着ればきっと何処ぞの貴族の子息だと言われても納得出来てしまうだけの品格が備わっている。
魔道士の家系を持つ貴族の中でも、伝統的な血筋を持たない新興貴族たちはその血統をより強靭なものとする為に、実力のある平民を招き入れその才覚を自家の血に取り入れようと積極的だ。
その理屈で言えば、才能、容姿、性格さえも非の打ち所のない彼は、優良どころか最高に近い物件だった。
入学当初は、数多くの女子たちが獲物を狙う獣の如く手を変え品を変え彼に取り入ろうと数々のアプローチを繰り返した。
しかし、ディーエンがこの二ヶ月で来た全てのお誘いや告白に対し丁重にお断りを入れて辞退した結果、今ではその鉄壁な要塞を如何に切り崩すかを課題として遠巻きに虎視眈々と眺められる日々が続いていた。
「こんな所に居たのかい」
周囲の視線を物ともせず読書に没頭するディーエンの元へ、再び銀髪の少年が現れ机を挟んだ前へと座る。
これだけしつこく付きまとわれれば多少はうんざりしそうなものだが、蒼髪の少年には昔から騒ぎばかりを起こす友人たちと子供たちが傍に居たので、その心の寛容さは並大抵のものではない領域に達していた。
「寂れた本だね。君が読んでいる魔道書は、何時も基礎と基本ばかりの無駄な羅列だ。理解に苦しむよ」
「温故知新。何事も、過去がなければ今も先もないよ。基礎を蔑ろにすると、応用の幅が狭まるからね」
「ふん。そんなもの、新しい術式の書いた本を読めば済む話じゃないか。僕たち魔導士は、時代を切り開く者として何時でも最先端を行く義務がある。まぁ、君のような田舎者には流行など無縁なものだろうけれどね」
「先を目指すのは同感だけど、その手段は相容れないかな」
「平民は知恵を絞って金に替え、僕ら貴族がその知識を生かす。他者から技術を手に入れる事の、何がいけないと言うんだい」
「他人に頼るばかりだと、何時か自分の視野を持つ事を忘れてしまうかもしれない。そして、君が得るというそれらの知識を産み出した人たちから先んじる事も出来ない以上、「最先端」とは言い難いんじゃないかな」
完全に価値観の違う二人が、お互いの自論を展開する。
何時もの如く、火花を出しているのは一方の銀髪の少年だけ。もう片方の蒼髪の少年は、相手へ見向きもしていない。
ディーエンは基礎を反復し、復習し、一から構築を練り直す事で更なる簡略化や、術に必要な魔力の削減を行い、より実践的、効率的な魔法の術式を組む事を信条としている。
それに対し、クリストファーは既存の術式を暗記した後で自分に相応しい威力や効果を発揮する術式へと独自に組み直す方法で魔法を習得していた。
どちらが魔道士にとって相応しいと言う訳でもないので、それは単純に性格と才能の違いから来る相手段の相違となる。
「それで、何か用?」
視線を変えないまま会話を打ち切り、ディーエンは端的に用件を問い掛けた。
「ふん――風の噂に聞いたのだけれど、どうやら君たちはあの武芸大会に参加するらしいね」
「まぁ、あれだけレオが騒いでいれば知らない人の方が少ないだろうね」
一々遠回しな物言いにも動じず、素直にその事実を認めるディーエン。
あの時の稽古時に参加を決めた翌日から、校舎全域を使って行われている赤毛の少年とエルフの追いかけっこ。
その終わりなき追跡劇は、すでに関わりの薄い上級生にまで旬の話題として浸透しているのだ 隠す気もなければ、否定する必要もない。
クリストファーは机に両肘を付き、その両手に顎を乗せて未だ視線を上げないディーエンへと向けて不敵な笑みを浮かべて提案する。
「僕も大会に参加しようと思っていてね。君がどうしてもと言うのであれば、同郷の剣士と一緒に僕のチームの末席として席を与えてあげなくもないよ?」
「いらないよ」
まさか本気で受けるとも思ってはいなかったのだろうが、余りに早い回答にクリストファーの作っていた笑みが即座に歪む。
「……聞こえなかったな。もう一度言ってくれるかい?」
「何度聞かれても、僕の答えは変わらないよ。君のチームには入らない」
一切の興味を示さない端的なディーエンの言葉に、怒りで打ち震え始めるクリストファー。
学園が貴族と平民の共同生活を是としているとはいえ、平民が貴族と同じ地位になった訳でもなければ、貴族が平民と同じ目線になる訳でもない。
高位の立場として、命令を断られる経験などなかっただろう彼の動揺は計り知れない。
とは言え、ディーエンも考えなしに不興を買う発言している訳ではない。
目の前の彼は中々に残念な性格だが、絵に描いたような傲慢な貴族とは違い筋は通すし非道もしない、単に態度が横柄なだけの少年なのだ。
だからこそ、こうして気軽に反抗的な態度を取れていると言って良い。
何より、流石に常時喧嘩腰で接して来る相手に優しくなれるほど、ディーエンはお人好しではなかった。
「この僕からの誘いを、断るって言うのかい? 少しばかり魔道の才能があるだけの平民が、この王国筆頭魔道士「A」の系譜に連なる二等貴族、「銀炎の貴公子」たるこのクリストファー・A・ディーアマントに逆らうと?」
クリストファーの名に入るAの文字は、王国筆頭騎士に贈られるCと同じ国王直々の拝命により授けられる大変名誉な称号だ。
どちらも、戦時下では爵位を超えた軽い越権行為すら特例として許されているほど、王国とそこに住む者たちにとって特別な意味を持つ贈り名である。
そんな家系に生まれたクリストファーは、貴族として、そして何より魔導士として誇りを最も重要視していた。
「受ける必要がないからね」
身を乗り出し、脅すような声音で剣呑な視線を向けて来る筆頭貴族の子息に対し、ディーエンはここでようやく広げていた本を畳み正面から相手の瞳を見つめ返す。
最後まで態度を崩さないディーエンの対応に、数瞬の沈黙の後両手で卓上を叩き椅子を跳ね上げるようにして立ち上がったクリストファーは、そのまま足早にその場を立ち去って行く。
「……せいぜい、後悔するが良いさっ」
捨て台詞を残してクリストファーが消え、ディーエンは周囲で始まったざわめきを無視してつらつらと思考を走らせる。
今までのらりくらりと小競り合いを続けていたが、ここまで完全な決裂は初めてだ。
この一連の騒動は、「フォース」全体の話題となって今居る観客の口から喧伝されるに違いない。
二等貴族と敵対した平民。貴族とその親類縁者の多い「フォース」で、そんな厄種を相手に好きこのんで手を貸そうとする者は確実に居なくなるだろう。
「(大会メンバーの魔道士は、僕一人になりそうだね……)」
心の中で冷静に判断しつつ嘆息し、彼は再び何事もなかったかのように広げた本を読み始める。
「実力だけなら僕も君を認めているよ、クリストファー。だからこそ、君には敵であって欲しいんだ」
だって、競う相手が居た方がお互い楽しいだろうからね――
小さく漏らしたその呟きは、誰の耳にも届く事はなかった。
◇
クリストファー・A・ディーアマントは、王国筆頭魔道士の家系として名高いディーアマント家の子息として生まれて来た。
一族の兄弟たちの中で最も優れた血統と才能を持って誕生したクリストファーは、幼少の頃より次期当主となるべく様々な英才教育が施された。
優秀故に努力を必要とせず、出来て当然の魔法を使いこなし、覚えられて当然の知識を学ぶ。出来ない事など何もなく、生活に一つの不自由すらありはしない。
しかし、そんな順風満帆の人生を送って来た彼がこの学園に入学した時、生まれて初めての障害が目の前へと立ちはだかった。
その障害の名は、ディーエンエン・サーピエルデ。
なんの血統も持たない平民の魔法を間近で見た時、少年の心は打ち震えた。
自分のように優れた血統と膨大な魔力を軸にしていない、鍛練と努力の末に至る純粋なる技術による最良の魔法。
無駄を省き、効率を高めた見事なまでの術式。
些細な過不足も必要としない、流麗なる魔力の集中。
予定調和として魔法を撃ち出すその姿は、自然体のまま一片の揺らぎすら見受けられない。
しばらく見惚れ、見惚れている自分に気付いた時、クリストファーはそんな自分を強く恥じた。
ディーアマント家ともあろう者が、たかが平民の魔法に目を奪われるなどあってはならない事だからだ。
意趣返しとして、己の最高の魔法を披露する事を決めた彼は、自分の持てる威力を最大まで込めて魔法を放った。
地面は焼け、案山子は溶け去り、生徒たちから歓声と驚愕の声が上がる。
周囲の反応にしてやったりとほくそ笑み、振り返った視線の先にクリストファーの望む結果はなかった。
そこにあったのは、彼の思惑など歯牙にも掛けず携帯用の小さな書籍を広げた少年の姿だった。
彼の態度に受けた更なる衝撃は、筆舌に尽くし難い。
自分はこれほどまでにあの蒼髪の少年を認めたというのに、彼は自分などまるで意に介してはいない。その事実を認められず、それから事ある毎に話し掛け、挑発し、時に侮辱してみても、彼の態度は一貫して変わらなかった。
まるで、筆頭貴族であるはずのクリストファーの事など眼中にないかのように。
気に入らなかった。敬服し、敬われるべき自分の存在を無視し、蔑ろにされた事が。
許せなかった。自分より劣等な血と才能しか持たない者が、自分を認めない事が。
誰よりも優秀であるはずの自分が。魔道の最高峰、Aの名を受け継ぐはずの自分が、平民に見下されるなどあり得ない。
図書館に来た当初は、彼をそれなりに優遇した条件で自分のチームに招き入れた後で部下としてこき使い溜飲を下げようと画策していたのだが、断られた今となっては是非もない。
「良いだろう……決着を付けようじゃないか。ディーエン・サーピエルデ」
表情を硬く結び、クリストファーは懐の杖を握り締めて虚空に向かって小さく呟く。
今この瞬間にでも、彼を振り向かせなければならない。
憤りに似た沸々とした黒い感情が、少年の胸の奥で渦巻き、猛る。
その執着が如何なる思いから来るものか、挫折も努力も知らない少年には知る由もなかった。