8・山猫と子猫
学園のあるギラソールは、人間の国家であるアリスレイ王国に所属している都市だ。
当然そこの生徒は過半数以上が人間なのだが、人間以外の種族も内訳の三割程度とかなりの大勢が通っている。
流石に、エルフの王族であるハイエルフやほとんど文化を持たず野性の中で生活する妖精族等は居ないが、普段街の往来で見掛けるような種族ならば大抵は在籍している。
「ソード」の生徒であるエルフのメルセティア・ムーンライトも、この学園ではさほど珍しくない入学生の一人だった。
短めの金髪に、翠玉の瞳。色素の薄い日焼けとは無縁の肌を持ち、緑を基調とした動き易い半袖の下にある肢体は、全身が無駄無く引き絞られている。
彼女は弓術を専攻しており、矢筒を背負い、半身を超える全長をしたをした大きな弓をたすき掛けにして、授業の終わりである教師の話に耳を傾けていた。
「それでは、今回はここまで。礼!」
「「「ありがとうございました!」」」
「ソード」の実技を担当している、眉の太い筋肉質な中年の男性教師が授業の終了を宣言すると、生徒たちは揃って彼に向かって頭を下げる。
次の瞬間、エルフの少女は心力までフルに使って全速力でその場を駆け去っていた。
「ちっ」
それに遅れる形で、レオンが舌打ちしながら彼女の去った方向に向かって、ほぼ同速の速さで追跡を開始する。
「今日もかよ。二人とも良く飽きないよなぁ」
すでに影も見えなくなった二人に対し、生徒の一人が呆れ気味に感想を漏らした。
数日前から行われ始めた、レオンとメルセティアの追いかけっこ。武芸大会へのしつこい勧誘に嫌気が差したエルフの少女が、勧誘者である人間の少年から逃げたのが発端らしい。
親から入学費を出して貰っている手前二人とも授業の間は大人しく周囲に合わせているのだが、休憩や昼食時などで空き時間が出来ると今のような急追劇を繰り広げるのが最近の恒例となっていた。
「でも、あれだけ熱烈だとちょっとぐらいはぐらっと来てるんじゃないかしら」
「いやぁ、ないだろ。オレも一回近くで見てたけど、正直勧誘って言うよりただ口喧嘩してただけにしか見えなかったぜ」
「意外と楽しんでたりしてな。気になるんなら、お前がアイツに立候補すれば良いじゃん」
「無理無理、私が五人居たってレオン君に勝てる気しないのに、一緒に大会なんかに出たら確実に足手まといよ」
「だよなぁ」
「しかしだ。大義名分があるとはいえ、女の子の尻を毎日追い掛け回せているんだ。うらやまけしからんと思わんか?」
生徒たちの会話に混じって、教師の男性が本気とも冗談とも付かない口調で二人の消えた方角を見る。それを聞いた男子生徒の全員が、揃って首を縦に振って同意していた。
そんな熱い情熱を秘めた男たちを、女子生徒たちはまるで道端の汚物でも見るような冷ややかな眼差しで軽蔑の視線を送っている。
晴天にして風弱し。
学園は今日も平和だった。
◇
校庭を抜け去り、学園の裏手にある演習場の森を舞台に二人の追跡劇が続く。
お互いに心力で身体能力を強化しているので、その挙動は一般人を遥かに超えている。
一足飛びで枝から枝へと飛び移り移動するメルセティアに対し、レオンは時折両手を使って枝を掴み反動を付けた跳躍でそれに追い縋っていた。
「しつっこいのよ、この馬鹿!」
「待てよメルセ! 仲間んなれっつってんだろうが!」
「うるさい! 気安く略すな! こっちは嫌だって何度も言ってるでしょう、が!」
レオンに怒鳴り返し、メルセティアは身体から外した弓に素早く矢をつがえ後方のレオンへと向けて躊躇なく解き放った。
加減されているとはいえ、矢尻は返し付きの鉄製だ。刺さればただでは済まない。
「危ねっ! お前今、目ぇ狙ったろ!?」
微妙に狙いが付けられていた矢を回避しつつ、抗議の声を上げるレオン。
「アンタの目なんて、潰れちゃえば良いのよ!」
振り返りながらそう言い放ち、大きく舌を出すメルセティア。
彼女にしてみれば、今の状況は自分の望むものでは決してなかった。
話した事もない相手からいきなり勧誘され、断っても断ってもやって来るのだ。この男を撒く為に、自慢の脚力を使ったのがそもそもの間違いだったのかもしれない。
何度か撒く事で負けず嫌いであるレオンの勝負心に火を付けてしまったメルセティアは、仕事のある午後と昼食以外の時間をこの無駄な追いかけっこと罵り合いに費やす羽目に陥っていた。
「んだとてめぇ! まぁちぃやぁがぁれぇ~~~!!」
「あぁもう~、どうやったら諦めんのよコイツ!」
心力を増大させ更に速度を増したレオンに対し、メルセティアもまた大声で嘆きながら加速する。
二人の心力と身体能力は、速度と瞬発力でメルセティアが勝り、出力と持久力でレオンが勝っている。
彼女が全力を出せば撒けない事もないが、体力と心力が尽きた後に発見される危険性を考えればこうして付かず離れずの攻防で時間を潰した方が安全なのだ。
余り学園から離れる訳にもいかないので、二人は演習場の森を延々と周回する形で跳び回っていた。
レオンが彼女の動きを先取りし行き道を塞げばあっさりと決着は付くのだが、それをしないのはやはり負けず嫌いなのと勧誘に対して彼なりの拘りがあるからなのだろう。
「じゃぁ友達、友達なら良いだろ!?」
「何処の世界に、毎日追い掛けられて芽生える友情があるってのよ!?」
「どっかその辺にあんだろ! いいから話聞けって!」
「はぁー」
理不尽極まりないレオンの言葉にいい加減うんざりして来たメルセティアは、大きく溜息を一つ吐いて再び矢をつがえる。
もう、これ以上彼の我侭に付き合うには彼女の忍耐力が持ちそうになかった。
「いい加減に――シッ!」
一度目よりも速いが、それでもかわすのに支障はない速度の矢。
しかし、本命は別にあった。
「同じ手は――とぉっ!?」
直線で迫る矢を回避したレオンが、慌ててその身を引く。すると、彼の死角である真横から二つ目の矢が突如として飛来しその頬を僅かに掠めて過ぎ去った。
もし、レオンが二本目の矢に気付かなければ、鉄の矢じりが彼の頬に突き刺さっていたかもしれない。
理屈は解らないが、彼女は一度に二本の矢をつがえ片方の軌道を曲線に変えて放つ事で、一人でありながら時間差の挟撃を行ったのだ。
校舎裏の見える学園に近い森の中で立ち止まった二人は、お互いに軽い臨戦態勢へと移行していた。
「ふぅ、ふぅ……次は、当てるわよ」
軽く息を弾ませながら、警告をして三度目につがえた矢の数は、四つ。
先ほどと同じく矢の軌道を自在に変化させられるのであれば、それは四方からの連鎖攻撃が可能だという事を意味していた。
そんな彼女に対し、怯むよりも寧ろ嬉々として口角を上げるレオン。
「へっ。んじゃあ、そいつを避けれたら仲間になるって事で良いよな」
「アンタは……」
この期に及んでまだ諦めない少年の態度に、萎えそうになる心を何とか奮い立たせたメルセティアが弓弦を引き絞る。
「だったら、当たったら諦めてくれるの?」
「んなの、明日またやるに決まってんだろ」
「はぁっ……」
期待はしていなかったが、当然の様に再戦宣言する彼に少女の口から深い溜息が漏れた。
何故、ここまで自分が執着されているのか。その理由が、エルフの少女には皆目見当も付かない。
「アンタの目的は何? 武芸大会の仲間集めにしても、しつこ過ぎるわ」
申し出を断る事を大前提として、それでも話だけは聞く気になったメルセティアの質問にレオンは特に思案した様子もなく答えを返す。
「大会も目的の一つだな。まぁでも、嫌なら別に一緒に出てくれなくても良いぜ。最悪オレとディーだけで出る予定だし」
「はぁっ!? アンタ馬鹿じゃないの!? たった二人で勝ち進められると思ってる訳!?」
「別に勝ち負けは拘ってねぇよ。そりゃあまぁ、出る以上は勝ちに行くがよ。ぶっちゃけ大会は、オレらの実力が学園でどんだけ通用するかっつう、その目安が欲しいだけなんだよ」
「それじゃあ、なんで――」
「――? あー、わり」
会話の途中で別の何かに気が付いたレオンが、メルセティアから完全に視線を外し片手を上げて謝罪する。
「え?」
「今日はオレの負けで良いや。またな」
「ちょ――」
一方的に打ち切りそのまま足早に跳び去って行くレオンを引き止めようとして、別に止める理由がない事を思い出して言い留まるメルセティア。
「なんなのよ、一体」
最後に彼が向けていた視線の先を追えば、人気のないはずの校舎裏に三人の人影が見えた。
どうやらその内の一人の生徒を、残りの二人が虐めているらしい。
全員が、恐らく「フォース」の生徒だろう。三人とも線が細く、色は違うが皆一様に袖の広いゆったりとした服装をしている。
頭から生えた獣の耳が垂れさがり怯えを見せる獣人の女子生徒を、人間の男子生徒二人が校舎の壁に挟む形で追い込んでいた。
「……お節介焼き」
両者の間に割って入るレオンの姿を見ながら、メルセティアが呆れた様に声を漏らす。
その声に何故か不満がこもっていた事を、彼女は自覚しなかった。
◇
獣人は、獣の血統が濃い者ほど動物寄りの容姿となる。
その理屈から見れば、彼女の血統はかなり薄い部類に入るのだろう。
髪の間から覗く一対の猫の耳と、申し訳程度に伸びた六本の口髭。それと全体的に僅かに混じり気が確認出来る以外、さして人間と変わらない容姿をしている。
鳶色の髪と、深い藍色をしたつぶらな瞳。
耳は目の前の恐怖に怯えて伏せられ、両手で頭を抱えるように縮こまった状態で校舎の壁と「フォース」の生徒に挟まれていた。
そこへ、レオンが頭上から彼女を護る形となって着地する。
「な、なんだお前! 獣臭い獣人を庇うのか!?」
「あぁ? 女の子には優しくしろって、家で習わなかったのかよ」
「ひっ」
突然の乱入者に、苛立たしげな声を上げる少年を真っ向から睨み返すレオン。
元より吊り気味な目が眉を寄せる事によって更に剣呑になり、相手の生徒はあっさりと視線を逸らした。
「関係ない奴は引っ込んでろ!」
残ったもう一人の生徒が、レオンに向かって抗議する。
しかし、当然ながらそんな虚勢も赤髪の少年には通用しない。
「うるせぇよ、お坊ちゃん」
「ぐぅっ」
軽口を返してその生徒の胸倉を掴み、レオンは片手で軽々と持ち上げてみせる。
彼は決して、虐めという非道に対する義憤だけで女生徒を庇っている訳ではない。
レオンは幼少の頃、隣町に住んでいた女の子に同じような事をしてファウストから比喩抜きで半殺しの罰を受けた経験があった。
完全な自業自得ではあるのだが、以降、彼は虐めやそれに類する現場を見掛ける度に「自分だけがあんな悲惨な目に合うのは納得が出来ない」という理不尽な怒りが再熱し、介入せずにはいられないのだ。いっそ、清々しいほどの自分勝手である。
事情を知らない者たちから見ればその行動は正義以外の何ものでもないので、咎められる心配も少ないという割と打算的な憂さ晴らしという訳だ。
「んじゃあ、コイツに売られたケンカを代わりに買ってやりゃぁオレも晴れて当事者って訳だよなぁ?」
「は、放せ!」
人間一人を余裕で持ち上げたまま獰猛に笑うレオンへ向け、最初に睨まれて腰が引けていた少年が慌てて杖を取り出した。
しかし、その杖から魔法が放たれる事はない。
「――あっ!?」
次の瞬間、突然横手から衝撃を受け杖が遠くへと弾き飛ばされる。
「ばっかみたい。いっつも「ソード」を脳筋扱いしといて、結局自分たちも暴力に頼るんじゃない」
近くの木の上から弓を放ったメルセティアが、杖を出した生徒を小馬鹿にしながら地面へと着地した。
結局、エルフの少女はそのまま教室へ帰る気にはなれず、レオンたちの様子をずっと眺めていたのだ。
「あんがとな。魔法撃たれてたら、お返しに殴り飛ばすとこだったぜ」
「手を貸して正解みたいね。アンタのバ怪力なんかで殴ったら、こんなもやしみたいなひ弱な子の頭一発でもげちゃうわよ」
レオンからの礼に、皮肉を滲ませながら呆れるメルセティア。
室内授業の多い「フォース」というだけあって、女の子を虐めていた生徒たちのローブから覗く腕は明らかに運動不足だと解る貧弱さだ。そんなひ弱な少年たちにしてみれば、レオンの拳は例え心力で一切強化をせずとも即死級の威力だろう。
「ほれ、失せろ」
「けほっ」
「お、おい。もう行こうぜ」
「ちっ。魔道の才能のない劣等どもめ……」
掴んでいた手を離す事で開放された生徒は、もう一人と一緒にレオンとメルセティアに不満げな目をありありと向けつつ、それでも言葉少なにその場を去っていった。
「あ、あの……ありがとうございました」
虐めていた生徒たちが居なくなった後、無言を貫いていた後ろの女生徒が遠慮がちにお礼を言って深々と頭を下げた。
その瞳には未だ怯えの色が含まれており、乱入者であるレオンとメルセティアを見定めようとしているようにも見える。
「おう、しっかり感謝しろよ」
そんな少女の態度を気にする様子もなく、両手を腰に当て偉そうにふんぞり返るレオン。
「バカが騒ぎに首突っ込んだだけよ。じゃあね」
「待てよ。あいつらの事とか、気になんねぇのか?」
用は済んだと立ち去ろうとするメルセティアを、レオンが引き止める。
自分の言った発言を反故にするつもりはないらしく、少年はもうエルフの少女への勧誘について口にも態度にも一切出してはいない。
「はぁ? どうせ人間様お得意の虐めでしょ。珍しくもないわ」
解りきった事だと顔を歪めて振り返り、異種族の少女は侮蔑交じりで言い放った。
人間以外の種族の生徒も多数在籍しているが、ここが人間主体の学園である事に変わりはない。
人間同士でもやっている事を、全体数で劣る他種族にしない方がありえない話だった。
「おいおい、オレだって人間だぜ?」
「だからどうしたって言うのよ? アンタ以外の人間は沢山居るし、ソイツらがこういう事を陰でやってるのは紛れもない事実よ」
「他の種族だって、身内相手にゃやってんだろって言いてぇんだよ。お前みたいによ」
「……っ」
正鵠を射られ、言葉を失うメルセティア。
彼の言う通り、学園内での人間以外の種族は基本的に同じ種族同士で固まってグループを結成するのが通例だ。
文化や伝統が近しい者同士が集まった方が、軋轢や誤解も少なくて済む。
それ故に、同種族間での虐めや衝突は起こり易くなる。
現在のメルセティアは、彼女自身の事情もあり学園に通うエルフたちのコミュニティから弾かれ、孤立した状態になっていた。
もしかすると、それはレオンが彼女を勧誘する理由の一つだったのかもしれない。
この少年は単純で猪突猛進に見えて、そういう細かい目端にちゃんと目を行き届かせている節がある。
メルセティアが本気で嫌がった時や相手にしたくない時は驚くほどあっさりと引き下がるし、逆に彼女が気落ちしている時はしつこい位に近づいて元気付けようとするのだ。
「ぬるま湯浸かって仲良し小良しやってるんじゃねぇんだ。そりゃあ、虐めぐらい普通にあんだろ」
「……アンタって、時々酷くドライよね」
「そうか?」
誰彼構わず情に厚いかと思えば、こんな事も平気で言ってのける。
そんなレオンの内心を、エルフの少女は測りかねている様子だ。
「お前、名前は? 何で虐められてんだ?」
「あ、その、私、フレサって言います。虐められてたのは……私が、落ちこぼれだから……」
「落ちこぼれなんざ、お前じゃなくても大勢居んだろ。他に理由とかねぇのか?」
忙しなく耳と視線を動かす少女――フレサの言葉を切り捨て、レオンが更に質問を重ねてみる。
「それは、その……私、精霊術士なんです」
しどろもどろになりながら答える少女を見て、今度はメルセティアが目を瞬かせた。
フレサの申告が事実であるなら、彼女の回答には矛盾が生じた事になる。
「精霊術士? 才能があるだけ、十分優秀じゃない」
精霊とは、この世界から薄皮一枚隔てた先にある異空間である「向こう側」に住まう、自然の歪みや清めの結晶だ。
それぞれが強力な力の塊であり、この世界の様々な理を内包した意思を持つ自然災害。
そんな存在たちを知覚し、魔力を用いて「門」と呼ばれる通路を繋げてこの世界へと呼び込み、使役するのが精霊術士たちだ。
借りられる力の大きさは、精霊の強さと友好度合いによって決まる。魔力を使って「門」さえ維持出来るのであれば、ほぼ無尽蔵の力を振るう事さえ可能だ。
この魔法の最大の特徴は、消費する魔力の少なさだ。「門」の維持に必要な魔力は少なく、顕現する現象は術者の意思を汲み取って精霊が引き起こす為術者からの消費はない。
一説には、契約した精霊に深く愛された精霊術士は精霊の方から「門」を開き、無条件で力を貸してくれるようになるのだという。
多くの精霊たちから愛され共に数多の戦場を駆け抜けた授かりの王の名が、伝説として語られている。
そんな便利な魔法だが、実際にその才能が発現する者はかなり少ない。
つまり、精霊術士というだけで落ちこぼれとはほど遠い存在のはずなのだ。
「で、でも、私、本当に落ちこぼれなんです。契約出来た精霊も、この子だけで――おいで、ウンブラ」
そう言ってフレサが杖を振ると、突如彼女の足下にある地面に黒い影がポツリと現れた。影は次第に範囲を広げ両手で円を作る程度の大きさになると、今度はそこから漆黒の何かが押し出されるように三人の間へと出現する。
その存在を一言で言い表すのなら、「真っ黒なぬいぐるみ」が妥当だろうか。
影をそのまま引き伸ばしたような、黒一色の全身。身長はフレサの膝丈よりも低く、胴体よりも大きな頭部には術者の少女と同じ猫の耳が装着されていた。
手足に指はなく、その四肢は楕円形のつるりとした形状をしている。
両目と口の中は全身よりも更に色の暗い闇色をしており、目元まで裂けたギザギザの口は全体の小ささも相まって寧ろ恐さよりもコミカルな印象を醸していた。
召喚された後、パックリと大口を開けて両手を振りレオンとシルヴィアへと挨拶をするウンブラ。
知性を持つ高位の精霊ならば人との会話も普通にこなすらしいが、この精霊はそこまでの位はないらしい。
「……可愛い」
「あ? なんか言ったか?」
「っ!? な、なんでもないわよ!」
メルセティアが無意識で漏らした感想をレオンが聞き返すと、エルフの少女は顔を真っ赤にして誤魔化した後露骨に顔を逸らした。
「何急に怒ってんだよ?」
突然の謎な反応に、レオンは理解出来ずに首を傾げる事しか出来ない。
メルセティアが怒り出した原因を考えるのを諦め、その人形もどきをしばし観察したレオンは、少しだけ言い辛そうに口を開いた。
「しっかし、なんつうか……よわっちそうだな」
「……はい」
結局、何も誤魔化しを入れずに言い切る非情なレオンに、フレサは弱々しく首肯を返す。
「色々とお手伝いはしてくれるんですけど、喧嘩とかには全然向いてなくて……精霊術が使えるのに落ちこぼれだから、多分あの人たちはそれが気に入らないんだと、思います……」
「ふぅん」
ぽつぽつと語る彼女の言葉を、レオンはウンブラに視線を落としたまま考え込む仕草をしながら聴いていた。
黒の精霊は暇を持て余している様子で、その場で首だけ回転させたり不思議な動作で踊りらしいものを披露したりしながら退屈を誤魔化している。
学園の生徒と言えど、最低限度の自衛は必須だ。特に向上思考の強い者が集まるこの学園では、才能はあっても自分を守る術を持たない者は、その才能を嫉妬する者たちにとって格好の獲物にされ易い。
魔道という努力よりも生まれの血統に重きを置かれる分野において、このか弱い精霊術士の少女が狙われたのはある種の必然だと言えた。
「もう良いでしょ、「ソード」の生徒が「フォース」の生徒にしてあげられる事なんてないわ。それともアンタ、これからずっとこの娘に付き添ってお守りでもしてあげるつもり?」
メルセティアはそう言って、再びこの場を立ち去ろうと踵を返す。
この少女の境遇に多の少同情はするが、それだけだ。
仮に助けたとしても、貴族の類縁の多い陰険な「フォース」の連中が黙った引き下がるとも思えない。手を尽くすほどに更なる面倒が舞い込むような、鼬ごっこになる可能性は高いだろう。
何より、レオンにもメルセティアにもフレサを助けなければならない事情など一切存在しないのだ。
「――なぁ、お前。オレの仲間にならねぇか?」
そんなメルセティアの忠告などお構いなしに、レオンはフレサに向かってそんな提案をした。
「はぁっ?」
「え?」
その言葉にメルセティアは素っ頓狂な声を上げ、フレサは何か信じられないものを見るような表情で少年を見つめている。
「ひょっとしたらだけどよ、お前の虐められてる原因ってやつを少しはマシにしてやれるかもしれねぇんだ……どうする?」
「ちょっと、アンタはアタシを勧誘したがってたんじゃないの?」
言ってしまってから、自分の台詞がまるで獣人の少女に嫉妬しているかのような物言いになっていると自覚したのか、メルセティアは軽く顔を赤らめさせる。
「別に良いだろ。十人も二十人も適当に誘ってる訳じゃねぇんだし」
「誰でも良いなら、なんでアタシにしつこく付きまとうのよ」
「お前が特別だからだよ」
「~~~っ」
レオンの何気ない言葉に、色白なエルフの顔に更に赤みが増す。
メルセティアは、この少年が無自覚でこういう事を言う奴であると追い掛けられ続けた数日である程度理解しつつあった。
しかし、他人との接触の少ない環境で育った弊害からか、他者との距離感を掴むのが苦手なメルセティアは少年の思わせ振りな言動に過剰に反応してしまう。
「なんつうか、最初に失敗すると次からも失敗しそうじゃねぇ? いでっ! おい、本気で蹴るなよ」
「うるさいバカ!」
そんなエルフの少女を、様々な孤児たちと触れ合い続ける事によってコミュニケーション能力を磨いたレオンが翻弄するのは、当然の流れだと言えるだろう。
「今んとこ、弓を使う奴で気に入ってるのはお前だけだからな」
「良い迷惑よ!」
精一杯拒絶の意思を込めて怒鳴り付けるが、レオンにとっては柳に風。
まともに聞いているのかすら妖しい態度でしか、シルヴィアの抗議は受け取っては貰えない。
「あ、あの……どうして、そんな事言ってくれるんですか?」
僅かに身構えながら、フレサが懐疑的な視線でレオンに質問する。
全ての人が善意で動く訳ではない事は、虐げられて来た彼女自身が身をもって証明している。
突然現れ自分に都合の良い事ばかりを口にする少年を、獣人の少女は信用する事が出来ないのだろう。
「ん~。なんっつうか、どうにも他人事には見えなくてなぁ」
フレサの疑問に対し、レオンは自身の赤毛を掻きながらどこか気恥ずかしそうに言葉を漏らす。
「オレのダチで、「スミス」にシロエってのが居るんだけどよ。コイツがまたとんでもないヘタレでなぁ。おんなじヘタレ同士なら、話も合うんじゃねぇか?」
「それだけ、ですか?」
「こいつはメルセにも言っときたいんだけどな。ソイツの作るお前ら用の武具を、受け取って欲しいんだよ」
レオンはそこで一区切りを付けて、二人に軽く目配せする。
「アイツはどうしようもないヘタレな泣き虫だけどよ、武具を作るって一点だけは正真正銘化け物級の天才だ」
レオンの口調には、一切の冗談や誇張は含まれていない。
彼自身が本気でそう思い、確信しているという実感のこもった声音だ。
「つっても、当の本人がその辺まったく解ってねぇから、とりあえず学園で知り合ったばかりの連中から評価を貰えばちっとは自覚してくれんだろうと思ってよ。ついでにシロエの才能が潰れちまわないよう、オレたちと一緒にアイツを護る手伝いをして欲しいんだ」
レオンの目的は、一貫して友と呼ぶその一人の少年に帰結していた。
それ以外は二の次であり、二人の少女を仲間に誘うのも自分の目でその人と成りを見てシロエに会わせても良いと判断した結果でしかない。
また、彼女たちが今までシロエが手掛けた経験の少ない分野にその才能を突出させている事も、勧誘を行う理由の一つだ。
「武芸大会への勧誘は、本当の目的のついでだった訳ね。なんで最初からそう言わなかったのよ」
「あぁ? てめぇはその最初から、オレの話なんて聞く気なかったじゃねぇか」
呆れるメルセティアに、レオンは軽く喧嘩腰で反論しながら舌を出して挑発する。
「なんですって」
「なんだよ」
二人は互いの視線を重ね合い、徐々に顔を近づけて睨み合う。
剣呑な雰囲気ではあるが、そこに険悪さはない。
毎日追いかけっこを繰り返した影響か、良くも悪くもレオンとメルセティアはそれなりに気心が知れていた。
「あ、あの。ケ、ケンカは良くないと、思います」
二人の様子を本気と勘違いしたフレサが、おずおずと制止の声を掛けた。
割と必死な獣人の少女の態度に苦笑し、二人はすぐに演技を止めて距離を離す。
「んで? 答えを聞かせてくれるか?」
気を取り直し、レオンはおどけた態度でそう言ってから少女たちの返答を待った。
最初の回答者はフレサだ。しばらく無言で考えた後、上目遣いで小さく頷く。
「あの、私で良ければ……お願いしたい、です」
「あんがと。お前はどうすんだよ、メルセ」
「気安く呼ぶな」
反射的に悪態を吐き、二人目の回答者であるメルセティアはそのまましばし口元に手を当て黙考する。
「そのシロエって奴から武具を貰えば、もうアタシに付きまとって来ないのね?」
「う~ん。出来ればお前には、一緒に大会に出て欲しいんだけどなぁ」
メルセティアの質問に、困った様子で頭を掻くレオン。
勧誘は勧誘として、レオンは彼女の実力を認めそれなりに本気で声を掛けていた。そんな彼女が大会のメンバーに入らないのは、確実に痛手となるだろう。
しかし、優先すべきは武芸大会の勝利ではない。
やや落胆した態度で肩をすくめ、レオンは小さく溜息を吐く。
「ま、無理強いはしねぇって言っちまったしな。シロエの才能を認めたなら、アイツを気に掛けててくれてりゃあそれで良いよ」
「じゃあ良いわ。そこまで言うんなら、受け取るだけ受け取ってあげる」
「決まりだな」
交渉を終え、一仕事終えたとばかりに伸びをするレオン。
環境が変わり、関わり合う者たちの数は急激に増加した。学園を卒業すれば、その数は更に増え続ける事だろう。
そうなれば、レオンともう一人の親友だけではシロエを護り切る事は出来ない。
学園に在籍する今でさえ、彼の異常な才能を知り出る杭を打とうとする者はこの先必ず現れるはずだ。
仲間が必要だった。打算を含め、あの小さな鍛冶師を護るという共通の目的意識で結ばれた多くの仲間が。
「ま、アイツの作るもんだ。後悔はさせねぇよ」
少女たちがシロエの鬼才を目の当たりにした時、一体どんな表情をするのか。
その瞬間を想像したのか、レオンは意地悪気な表情で二人に笑い掛けるのだった。