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星屑の鍛冶師  作者: タクミンP
第四章 眠らぬ歯車
43/45

43・カーテンコール 中篇

 「遠征」先の村で起こった、謎の悪魔からの襲撃。

 月日が経つのは早いもので、二十、三十と日を重ねる内にシロエたちの生活は普段通りのものへと戻りつつあった。


「うーん……でも、この調整だと三層領域の分と齟齬が起こるから魔力の循環が悪くなっちゃうよ?」

「ですが、安全面を考えると二層域の調整はここで止めておくのが妥当でしょう。一般の方が使用する為の魔具なので、暴発や不発の可能性は低くしておかないと――」

「だったらこっちの領域にも余裕を作って、四層と五層を噛み合うように調整すれば――」

「成程、それは良い案ですね。調整も楽になりますし、買い付ける魔晶石のランクを一段落として一つ辺りのコストダウンも計れそうです――六層領域に関してですが――」


 昼下がりの午後。

 半休日として授業も終わり、「スミス」の校舎にある教室の一角で薄紅色の小さな魔晶石を前に、シロエとユアンが肩を並べて熱弁を交し合う。

 使用者を限定する非常に繊細かつ尖った調整を得意とするシロエには、生活用の魔具職人としてより万人が扱えるようゆとりのある調整を施すユアンのやり方は何かと勉強になるらしい。


「――ねぇ、二人がなんの話してるか解かる?」

「ぜんっぜん」


 その隣の机では、購買で買った長方形のバタークッキーやマシュマロ等を摘みつつメルセとファムが特に何をするでもなくだらけている。


「ん~。危なかった進級試験もシロエとラキちゃんのお陰でなんとか合格出来たし、夏季休暇まではのんびり出来そうね」

「貴女はあっちの二人みたいに、自主的に腕を磨かなくて良いの?」

「良いの良いの。戦士にとっては休息も大事なのだよ、メルセティア君」

「そんな事言って、またお尻に火が点いても知らないわよ」


 喉元過ぎれば熱さを忘れると親指を立てて得意顔をするポニーテールの少女に、エルフの少女は大きく露骨な溜息を吐く。


「そう言えば、ラキちゃんは?」

「研究塔よ。あのエロ教師が、色々調べる事があるからって連れてったわ」

「人工的に作られた精霊かー。昔のひとたちって、凄い事考えるわよねぇ」


 今の時代の精霊信仰を信じる者たちからすれば、神への冒涜にも等しい蛮行だ。そもそも、自然の結晶である精霊を自分たちの手で作り出そうという発想からして考え付きはしても簡単に成果が出るとはとても思えない。

 莫大な資源と膨大な時間を消費して実現させた技術である事が解かるだけに、その偉業を成し遂げ、そして文明諸共に滅んだ先人たちは一体どんな者たちだったのか。

 今はただ、残された数少ない資料から過去の光景に想いを馳せる事しか出来ない。


「何時の時代にも、異端児や麒麟児は生まれるものなのかもね」

「あー、成程。それは納得するしかないわー」

「ん? どうしたの?」


 一年生どころか常識からの異端児である小さな鍛冶師が二人の視線に気付き、きょとんとした顔を向けて小首を傾げた。


「なんでもないわよ。気にしないで」

「そうそう、なんでもないなんでもない」

「う、うん」


 適当に誤魔化され腑に落ちない表情をしながら、シロエはユアンとの会話に戻る。


「そういうメルセこそ、鍛練とかしなくて良いの? レオン君もシルヴィアも、また鍛練場でしょ?」

「今更焦ってどうなるものでもないわよ。あのバカ二人も、溜まってるイライラを解消したいだけなんでしょうし」


 最近のあの二人は、「遠征」で街と村を往復するか鍛練場にこもるかのどちらかという極端な生活を続けていた。

 有体に言って、勝ち目のない化け物と出会い命からがら逃げ延びたのだ。戦いに身を置く事を決めた者たちにしてみれば、あの出来事は屈辱以外の何ものでもなかったのだろう。


「あの状況で、私たちに命があっただけ儲けものでしょうに――わっかんないなぁ」

「解からなくて良いわよ、あんな脳筋共の考える事なんて」


 狩人であるメルセにとっても、その思考は理解し難い代物だ。気の済むまでやらせる以外、解決策を講じようとも思ってはいない。


「そうそう。私って実家がこの街だし、夏季休暇は皆の里帰りに付いて行くのも良いかもって思ってるの」

「あんな目に遭った後で、よく懲りないわね」

「ふふんっ。一度あったんなら、もう二度目なんて早々ないわよ」


 これが、ファム・アリューシャという少女の強さだ。或いは、愚かさと呼ぶべきか。

 この少女にとって、過去とは学んだとしても縛られるべきものではないのだ。


「でさ、ものは相談なんだけどぉ」

「お断りよ。というか、別に長い休暇を貰っても帰るつもりとかないし」

「えぇ!? 帰ろうよ、私の為に!」

「……いっそ清々しいわね」


 会話し、呆れ、首を振る――

 学園に入学しておよそ半年ほど。エルフの少女もまた、そのあり方を徐々に変えつつあった。

 誰かと共にある事を、誰かの傍にある事を。

 友から、仲間から与えられるその温もりと安らぎは、更に彼女をの心を優しく溶かしていく。


「――バカね」


 その口元が確かな笑みの形に変わっている事を、彼女は自覚していなかった。







 一方、鍛練場の方では無謀な鍛練を繰り返す二人に触発された者たちが自然と集うようになり、その練磨は苛烈を極めるまでになっていた。


「待ってくれ……っ。一端抜けるっ」


 息を切らし、杖を持った長髪の少年が逃げ出すようにその場を離れる。

 たまには良いだろうとレオやシルヴィアたちの鍛練に参加したラギウスだったが、魔力よりも先に体力が尽きてしまい他の者たちが待機している場所まで下がっていく。


「倒れる前に飲んでおけ」

「すまん。ん、ん――」


 鱗蜥蜴人(リザードマン)のドゥーガから無造作に差し出された木製の水筒を受け取り、長椅子に身を投げ出した魔道士がそれをあおる。


「それじゃあ、次はルーの番だね! いっくよぉっ!」

「はぁっ、はぁっ――おぉっ!」


 汗だくで荒い呼吸を繰り返すレオへと、厚手の布で手をおおったルーが突進を仕掛けた。身を低くし、地面を滑るように地面を連続で蹴り飛ばして直進する。


「っらぁっ!」

「うわっと――だぁっ!」

「がっ!」


 レオからの木剣の振り下ろしを右手を地面に付いて強引に停止する事で素通りさせ、更に両足を使って一気に跳躍し剣士の顔面へと頭突きを叩き込む。


「えいっ!」

「ぐぅっ! ――があぁっ!」

「うわっ!?」


 追撃として空中から右足の膝蹴りを繰り出す兎の少女だったが、レオは剣から片手を離しその一撃をあえてまともに食らった後停止したルーの足を掴み取る。


「うおぉぉっ!」

「なんのぉっ!」


 足を一本封じられたまま全力で地面へと振り下ろされたルーは、逆立ちの要領で伸ばした両腕を地面に付け折り曲げる事でその衝撃を見事に受け流す。


「離して――よっ!」

「ちっ」


 身を捻ると同時に左の足が鞭のように斜め下から唸り、右足を掴んでいるレオの腕をしたたかに弾いた。


「んふふー」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 低い姿勢のまま元気に笑うルーとは違い、赤毛の少年は肩で息をしながら無言で剣を構えるだけだ。体力的にも、心理的にも、そんな余裕はない。

 それは、近くで戦う霹靂の騎士にも言える事だった。


「おぉあぁっ!」

「ふんっ! ぬぇいっ!」


 突き出される木剣の一撃を木と皮を張り合わせて作られた大盾で受け止め、甲冑をまとわぬ身軽なダイオンの長剣が下段から振り上げられる。


「しっ!」

「はあぁっ!」


 逆手に持ち替えた剣の腹で相手の剣の軌道をずらし、距離を開けようと一歩後退したシルヴィアへとダイオンの大盾が正面から迫る。


「ぐ、うぅっ!」


 眼前を埋め尽くす壁を腕を交差させて防いだシルヴィアは、更に地を蹴って大きく飛びずさり可能な限り衝突の勢いを殺しつつ砂塵を巻き上げながら距離を離す。


「ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ……」


 体力を削り、集中を乱し、それでも両の瞳だけは飢えた獣のようにギラギラと輝かせる騎士の少女が再び剣を構える。

 レオとシルヴィア。二人の中にあるのは、何にも勝る悔しさと惨めさだ。

 あの時、自分たちに動き始めた巨人と現れたカラスを退けるだけの実力があれば、それで話は終わっていた。

 誰の命も危険に晒す事なく、村人たちにも悲しみを背負わせたりせずに解決出来たのだ。

 二人とも、それが幼稚なないものねだりだという事は十分に理解している。だが、そんな理屈を納得出来るのならばこんな馬鹿げた修練を繰り返してはいない。


「授業が終わってからぶっ通しだぞ……まったく、よくやるな」


 呼吸を落ち着けたラギウスが、溜息を吐きながら肉体の限界まで己の身体を苛め抜くレオとシルヴィアを見ている。


「自分で自分が許せない、か。民を守るべき貴族として、僕がその場に居合わせたとしてもきっと同じ事を思うんだろうね」


 ダイオンの前にシルヴィアの相手をしていたシャルルは、無地のタオルで顔の汗を拭きつつなんとも言えない表情をしていた。

 大まかな事情を聞いて心情的には理解していても、やはり二人の無謀は止めたいというのが本音らしい。


「まぁ、しばらくすりゃあ落ち着くだろうさ。二人が納得するまで、とりあえずは付き合ってやろうじゃないかい」

「迷いが晴れぬ時は、酒を飲むか身体を動かし続けるのが一番だ。ここまで鬼気迫った者たちを相手に鍛練出来るのだから、ワシらも役得というものだな」


 背中の羽を折り畳んで腕を組むドーラが肩をすくめて苦笑いすれば、その隣でうずうずと組み手の順番を待つバンコが深い笑みを浮かべながらそんな事を言う。


「……心配」

「お二人は、強い心の持ち主でござる。きっと大丈夫でござるよ」


 純粋に二人の身を案じるシズクに、ヤカタはそのまま崩れてしまいそうなほど疲労を無視して暴れ続けるレオたちから視線を逸らさず、彼女の頭に手を置いて優しく撫でた。


「だが、今日のところはそろそろ止めた方が良さそうだな」


 傍に置いた木剣と丸い木盾を拾い上げ、ドゥーガが未だ戦闘中であるレオとルーの下へと向かう。


「ワシも行こう」

「拙者も――今のあの二人を挫くには、なんとも骨が折れるでござろうからなぁ」


 自身では止まれなくなっている二人を叩き伏せるべく、練習用の木製武具を片手にバンコとヤカタも歩き出す。


「おぉぉぉあぁぁぁぁぁぁっ!」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 湧き上がる無念を振り払うように、剣士と騎士が腹の底から咆哮を上げて剣を振るう。

 がむしゃらに、ただがむしゃらに――二人が平静を取り戻すには、まだまだ時間が掛かりそうだった。







「また、随分と古い書物を読んでいるね」


 研究塔の二階、大図書館内の第五級指定書籍を扱う区域で静かに読書を勤しむディーへと、やや高圧的ともとれる声が掛けられる。


「やぁ、クリス。今日はなんの用事かな?」

「たまたま見掛けたから、たまたま声を掛けただけだよ」


 大会後、「銀炎の貴公子」の名を他称でも扱われるようになったクリストファー――クリスが、嫌味を言われて憮然としながら対面へと腰を下ろす。


「内容を聞いても?」

「悪魔に関して――今の僕にはこの区画が限界だけど、ここでも詳しい資料はないみたいだね」


 自分たちの出会った存在について調べようとしたディーだったが、その詳細の記された資料はことごとく存在しなかった。

 あるのは精々、悪魔という存在について判明している大雑把な情報と下級の悪魔が起こした悪戯程度の被害報告書ばかりだ。


「あぁ、君たちが出会ったと言っていたね。かの存在は生物の負の感情――とりわけ恐怖や絶望を糧にするそうだから、余り一般に情報を流布したくはないのだろうね」


 存在を知り、恐れを抱くだけで彼らは力に転化する。ならば逆に、大した存在ではないと人民が感じていればそれだけで一定の抑止となるのだ。


「情報規制が解かれるのは更に上級の指定書区域か、もしくは禁書区の閲覧許可を手に入れるしかない、か……」


 上げていた顔を書へと戻し、ディーは文字の羅列に視線を走らせながらポツリと呟く。

 彼が欲した情報は、悪魔の詳細な生態についてだ。

 悪魔とは、精霊と同じく別世界からの襲来者だ。通常の生物とは異なり、実体を持たずその肉体を己の精神や魔力に依存する超常的存在。

 精霊の世界が、「向こう側」という曖昧な呼称で呼ばれる由縁はここだ。精霊、悪魔、神、星獣、鬼――世界の外から「こちら側」へと干渉する存在は多く居るものの、それらの住む場所が同一なのかはたまた別個の世界なのかは未だに判明していないのだ。

 謎が謎のまま月日は流れ、それら全てを含める形で定着した呼称が――つまりは「向こう側」というわけである。

 悪魔たちは「こちら側」で肉体を形作る為の衣り代と、作り上げた擬似体を維持する為に消費し続ける魔力を常に補給出来る環境が必須となる。

 魔力に富んだ霊地、月光を反射する湖面、魔晶石を豊富に含む鉱山――移動を繰り返したいのなら、休息により魔力を回復してくれる現地の生物と共に行動する事が望ましい。

 そう、この蒼の魔道士を含む子供たちの育て親である神父と修道女の知り合い――あの白猫と黒狼のように。

 無関係だと断じるには、あのカラスと白装束は余りに彼らと酷似し過ぎていた。

 もしも仮に、ダリアが本当に悪魔だったとしてもディーにとってはそれがどうしたという話でしかない。ただ、知り合いの事情を知る手掛かりを見つけ好奇心が生まれただけだ。

 仮親たちが何も語らないのであれば、自分の手足を使って探るしかない。

 研究者を目指す魔道士にとって知的探究心はなくてはならない必須事項であり、彼は内から起こるその欲望に忠実なだけだった。


「確か、僕の実家にも幾つか高位の悪魔に関する資料や文献があったはずだから持って来させよう。少なくとも、この辺りの等級よりは詳しい情報が載っていると思うよ」

「――対価は?」

「うぐっ」


 内心を読まれ、クリスは露骨に顔を赤らめて呻く。


「その、なんだ……えと……」


 途端に歯切れが悪くなり、きょろきょろとあちこちに視線を飛ばして意味のない言葉をポツポツと数回漏らした後、観念したのかようやく搾り出すようにしてこの場へと訪れた用件を話す。


「フ……フレサ君に、謝罪がしたいんだ」

「まだ謝ってなかったの?」

「し、仕方ないだろうっ。両親や僕の教育係りからは、むしろ平民には頭を下げるなと教わって来たんだ」

「プライドが邪魔をしてる?」

「いいや、違う。そんなちっぽけなものは、君たちとの勝負でどこかへ吹き飛んでしまったよ」


 赤い顔のままそっぽを向き、クリスは当たり前のようにその言葉を口にする。劇的な出来事が起因しているとはいえ、貴族の嫡子も変われば変わるものだ。


「ただ、単純に恐くて――そして、恥ずかしいんだと思う……」


 とはいえ、長年培って来た経験と心情から一歩を踏み出せないらしく、銀髪の魔道士は見る影もないほどの弱々しい視線でディーへと助けを求めていた。


「……はぁっ。それで、僕は何を手伝えば良いのかな?」

「た、助かるよ」


 溜息を一つ吐いた後で了承すれば、クリスは天から救いを受けた信徒のように安堵の表情へと変わる。


「欲しいのは切っ掛けなんだ。謝罪の証として何か贈り物を用意すれば、それを話題に切り出せると思うんだ――彼女が何を好むか、君は知っているかい?」

「本人に聞きなよ」

「君……解かっていて言っているだろう」


 適当過ぎるディーの助言に、負い目のあるクリスも流石に半眼だ。


「店売りの花束は香り高いものが多いから、総じて鼻の良い獣人であるあの娘に贈るとかえって不快にさせかねない。甘味では情緒がないし、ドレスや宝石類ではきっと気後れさせてしまう――と、どうにも行き詰っていてね」


 苦笑いをしながら、力なく肩をすくめて見せる貴族の魔道士。

 あの試合の終了から今日に至るまで、彼はこのような事を延々と考え続けていたらしい。滑稽と笑う事も出来るが、その想いは真摯であり決して不純なものではない。


「プレゼントは諦めて、勢いに任せて謝罪した方が早い気がするね」

「それが出来たら苦労はしないさ。だからこうやって、毎日何が良いかと悩んでいるんじゃないか」


 迷走している感もあるが、フレサに喜んで貰おうと頭を捻るクリスは腕を組んで眉をしかめる。


「食器は? ティーセットとかなら、フレサも普段から使うだろうし」

「それも考えたけれど、僕が職人に依頼するとどうしても「それらしい品」になってしまうんだ。渡せそうにない食器が三十を超えた辺りで、もう諦めたよ」

「素材調達は君がして、シロエにデザインと創作を頼んでみれば良いよ。詳細を伝えて相談し合えば、君の意図も十分に汲めると思うし」

「ちょっと待ちたまえ、彼は陶磁家でもあるのかい? 鍛冶に、魔具に、装飾に――本当に、一体どういう破天荒な修行を積んで来たんだい……」


 クリスの呆れ声も当然だ。裁縫と料理も出来るらしく、彼一人だけまるで職人の見本市である。

 多芸といえど流石に限度があるだろうに、あの小さな鍛冶師はその短い生の内でどれだけの技術を体得して来ているというのか。


「一芸は万芸に通じ、万芸は一芸に集う――シロエが師事したひとは、一つの技術を突き詰めるより手広く物事を修めていた方が柔軟な発想が出来ると言っていたよ」

「その発想そのものが柔軟だね。素晴らしい言葉だ」


 そして、シロエの師はそれを弟子へと教え込めるだけの十分な知識と技術を持ち合わせるという事だ。


「つくづく、君たちの恩師が在野に甘んじている事が不思議だよ。王宮や大貴族に召し上げられたとしても、平凡な仕官よりは余程成果を出せるだろうに」

「もしかすると、昔はどこかの国で官職に就いていたのかもしれないね」

「あぁ、なるほど。その後で在野に流れたのか。育てられた君たち三人が貴族へと向ける自然体の態度を見るに、あながち間違いではないのかもしれないね」


 貴族という階級は理解していても、それに取り入ろうと躍起になったり逆に不満や反目を抱いて攻撃的になったりもしない。

 普通の平民であれば少なからず恐れや妬み、それと落としてくれる硬貨への期待などを感じるのが普通だが、三人はそんな貴族を好きも嫌いもしていない。

 それはつまり、彼らを教育した者もまた貴族社会の世でありながら権力者に対して欠片も関心がないという事だ。


「――謎は深まるばかりだね」

「育てられた君が言うのだから、相当だね……」


 学園で学び、自分たちが師と呼ぶ者たちがまともではない事をそれなりに理解した今でさえ、ディーの前には一つとして納得のいく回答は用意されなかった。

 知りたいのに、教えてくれない。聞いた所ではぐらかされる。

 あの教会に住む孤児たちの中で、三人だけが故郷を――拾われた場所を知らないのだ。

 過去に何があったのか――自分たちはどこで、何故拾われたのか。

 何も解からない。

 だから調べる。知りたいから。

 その先で、目をおおうほどの残酷な現実が待ち構えていようとディーは構う事なく答えを探し続けるだろう。真実を知る事で、自分の過去へ少しでも近づけるのなら。

 少しでも――愛する者たちの秘めた心に近づけるのなら。

 蒼の魔道士の探求は、ようやくその入り口へと到着したばかりだった。







「ラキ、お疲れさま」

「はい、お迎えありがとうであります」


 研究塔の六階。

 鉄と油、魔法薬に染色液――多種多様な研究により渾然一体となっているはずの臭いは、綺麗さっぱり別の匂いとなって変換されていた。


「悪いわね、わざわざ私の研究室まで来て貰って」

「いえ。授業もなかったですし、大丈夫です」


 それは、二人の前に居る黒帽子の魔女からも香る香水の匂いだ。

 研究塔で作業をしている生徒たちも、皆同じ香水の匂いが漂っている。どうやら、彼女たちの付けている香水も魔法薬の類らしい。


「こっちに来て、美味しいお茶とお菓子を出してあげる」

「はいっ」


 シルヴィアが居れば全力で辞退していただろう魔女の巣へのご招待に、シロエはまるで警戒心を抱きもせずに笑顔で頷く。


「あらあら、そんなに隙だらけだと――お姉さん、ちょっとイタズラしたくなっちゃうわぁ」

「?」


 前を歩きながらシロエに聞こえないよう呟きを漏らす魔女の唇が、口内から小さく出された赤い舌によって艶めかしく濡らされていく。

 シロエとラキが案内されたのは、研究室の室長用として作られた小さな個室だった。

 出入り口となる木製の扉の上部には窓枠があるものの、意匠として取り付けられているのだろう摺りガラスがはめこまれ中の様子を外から確認する事が出来ない仕様だ。

 室内はとても整理されており、設置された棚や使用しているだろう作業机の上も雑然とした場所は一切見当たらない。


「楽にしていて、王都から良い茶葉が届いたの。きっと貴方も気に入ってくれるわ」

「べ、別に良いですよぉ。そんな高そうなのなんて勿体無いです」

「良いのよ。お茶は飲むものだし、誰かと飲む方がずっと美味しいわ。私が美味しく飲む為だと思って、協力してちょうだい」

「うぅ……」

「ふふ、『発水(ラ・アクア)』――『発熱ラ・ヒート』」



 言いくるめられてしまったシロエがうつむく中、ヴァネッサは上機嫌で指を振り魔法を使って銀のポットに水を汲みティーカップと同時に熱を送る。

 単純な「火」ではなく、「熱」の伝播という何気に高い技術の魔法を杖も使わぬ片手間で披露する魔女。だが、対談用だろう部屋の中央に置かれた背の低い机を挟むソファーの一つへと座る少年は茶葉の値段を気にして肩を震わせるばかりだ。


「本当に良い茶葉だから、まずはストレートで」

「は、はい。いただきます」


 優雅とさえ言える動作で紅茶を入れたヴァネッサから、シロエの前にある机へと器の部分と受け皿に白薔薇の描かれたティーカップが差し出される。


「――っ。これ、凄く美味しいです!」

「そう、良かった。お茶請けに、こっちのクッキーも召し上がれ」

「ありがとうございます!」


 赤、黄色、橙と色の付いた丸いお菓子のグミが中央に乗った小さく丸いクッキーも出され、シロエの笑顔は最早見ている方が幸せになれそうなほどの勢いだ。


「あむっ――クッキーも美味しいっ」

「うふふ、沢山あるから、遠慮せずに食べてね」

「はいっ」


 そうしてしばらくの間、紅茶とクッキーを楽しむシロエを眺めていたヴァネッサは対面で飲み干したティーカップを置き本題へと入った。


「それでね、ラキちゃんの事なんだけれど」

「はい」

「この娘は今、貴方を主人(マスター)として認識しているの。そして、契約者である貴方の下す命令には絶対服従であるよう作られているわ――例えば、「殺せ」と命じればそれが例えどこかの王や神が相手であっても刃を振るうし、「死ね」と命じれば躊躇なく自分という存在を消滅させる」

「……っ。はい」


 少年が背負うには、余りに重い責任だ。しかし、もうその楔を解く事は出来ない。


「古代文明時はどうだったか知らないけれど、現代で出土する人工精霊は全て登録が解除された時点で自動消滅するように設定されているの。今の技術では、その設定を変更する事はまだ出来ないわ。貴方が死ねば、この娘も死ぬ――これも、胸に留めておいて」


 登録者が自主的に解除しても、当然ラキに待っているのは消滅という「死」の未来だけだ。

 登録が完了した時点で、それがどんな主人であろうと生涯の隷属を受け入れる。それが、古代から甦った人工精霊という存在なのだ。


「そ、そんなっ。そんなのって――あんまりですっ」

「マスター、どうしたでありますか」


 ソファーではなくシロエの傍で机の上に座るラキが首を曲げ、動揺の視線を向けて来る少年を見やる。


「ラキ、ごめん。ごめんね――っ」

「謝罪の意図が不明であります。もしや私は、マスターをご不快にさせてしまったのでありますか?」

「違う、違うよ――ごめんねぇ」


 少年は泣く、背負ってしまった命の重さに。背負わせてしまった己の非力さに。


「……」


 こうなる事は解かっていた。それでも、ヴァネッサに出来るのは人造生命体についての知識をこの優しい少年に与える事だけだ。


「シロエちゃん――聞いて」

「ぐしゅっ……あ゛い」

「これから先、貴方が望むなら人工精霊に関して判明している情報を教えてあげる。何時でも、何度でも」


 この少年が知るべき事は多い。

 シロエにその気がなくとも、人工精霊の命令決定権は彼に預けられているのだ。シロエを騙し、もしくは脅し、望まぬ悲劇を生み出そうとする輩も現れるかもしれない。


「私は基本、学園に居る時は上級生の教室かこの研究室にいるわ。聞きたい事や知りたい事があれば、ここを尋ねて来てちょうだい」


 王都の研究施設からは、すでにこの少年の身元を保護したいという名目の書状も届いている。もっとも、彼らにとっての「保護」とは「拘束」や「監禁」となんら変わらない意味で使われている言葉だ。

 この研究塔で暮らすもう一体の人工精霊とその主人もそんな場所から掬い上げられた十三対居た中の一対であり、その姿がすでにかの施設の実情を物語っている。

 世界とは、どこに目を向けても暗く醜い闇ばかりが見えてしまう。

 ソファーから立ち上がったヴァネッサは、シロエの横へと移動して小さな少年を優しく抱き寄せる。


「大丈夫よ。貴方なら、きっと大丈夫だから」

「はい……あ゛い……っ」


 だからこそ、守らねばならないのだ。

 この光りを。この温もりを。

 失わせはしない。この子たちが子供であり、そして大人の傍にある内は――絶対に。

 それはヴァネッサという魔女にとっての意思であり、「大人」を名乗る者としての矜持でもあった。

 ――とはいえ、それはもしもの時の話。

 平和な日常であれば、生徒たちと共に最大限青春を謳歌するのが彼女のモットーだ。


「――ラキちゃん、録画モード」

了解(ラージャ)、録画モードへ移行するであります」

「ふぇ?」


 豊満な胸の間から泣き止んだ顔を上げるシロエへと、ヴァネッサは実に素晴らしい笑顔で見下ろしている。


「うふふっ。調査の為にってお願いしたら、私に軽い代理権限をくれたでしょう? だからこれは、私からの最初の授業と警告ね」

「? はい」

「ラキちゃん。録画した映像は、貴方の主人(マスター)とシルヴィアちゃんが一緒に居る時に見せてあげてね」

了解(ラージャ)


 その後、勿論ラキは指示された命令を忠実に実行するわけだが――その結果は推して知るべしだ。


「――あの女には、絶対に気を許すなとあれほど教えただろうがっ。シ~ロ~エ~ッ!」

「うぎゅぎゅ~……っ。いたいいたいっ、いたいってばぁっ、シルヴィア~ッ」


 体力を使い果たしたへとへとの身体にも関わらず、幽鬼の形相でシロエを締め上げる怨霊――もとい、シルヴィア。

 「黒衣の魔女」ヴァネッサ。

 彼女に目を付けられた者は、等しくこの魔女と共に過ごす面白可笑しい一時が約束される。

 とはいえ、標的となった当事者たちが楽しめるかどうかはそれぞれの気の持ちよう次第であり、彼女はその辺りに関して一切関知しない事を忘れてはならない。


待ちたまへ。

私の更新速度に、期待をしてはいけない(戒め)

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