4・突然の始まり
帰路に着いた三人を教会の前で出迎えたのは、シスターのルシエラだった。
「おかえりなさ~い、神父さん」
「あぁ」
ルシエラの笑顔にそっけなくそ答え、ファウストは中へと入っていく。
他の子供の場合だと偶然なのだが、ファウストの帰還するタイミングには彼女が必ずと言って良いほどの割合で教会の入り口に立っている。
この二人がとても強い絆で結ばれている事は、村で一緒に暮らしていれば誰もが理解するだろう。だが、こうした光景を見ればそれ以上に二人の間に目で見る事の出来ない何か特別な繋がりを感じる事が出来た。
一体それがなんなのかは、当人たち以外村の住人を含めて誰も知る者はいない。
「ルシエラ先生、ただいま!」
「ただいまーっす!」
「あら~、二人ともおかえり~」
続いてルシエラは、高々と片手を上げたシロエとレオンの頭を撫でて二人の帰宅を喜ぶ。優しげな表情が更に深まり、それを見た者も一緒に笑顔になるような慈母に溢れた笑顔が浮かんでいる。
「今日もがんばっちゃったわね~。身体を洗ったら~、ご飯にしましょ~」
「はーい」
「うーい。あー、腹減った」
言われた通り、二人は正面ではなく裏手に置かれた水桶へと向かい汚れた服を脱ぎ散らかして脇の籠に突っ込むと、据え置きされている大き目の布を桶の水に浸して身体を拭いていく。
「うひー、冷てー」
「適当に拭いちゃ駄目だよレオ。ちゃんとしないと、ルシエラ先生に怒られちゃうよ?」
「あの先生、何気に綺麗好きだよな。「汚れた格好で礼拝堂に入っちゃだめ~。ぷんぷん~」とか言うし」
「えーと……似てないね」
「んだと~」
「あうあう~」
じゃれ合いながらも何度か水に浸して身体を洗う作業を繰り返すと、服を入れた分とは反対側の籠に置かれた洗濯済みの服を着込む。
「さーて、飯だ飯だ」
「レオ、さっきからそればっかり」
「師匠の訓練受けた後だと、それ以外なんも思い浮かばねぇよ」
裏口から居住区のリビングに入ると、今度は小さな集団がわらわらと二人を囲み始めた。
「にいちゃ、おきゃぁり~」
「レオ兄ちゃんまた負けたの? だっせぇ!」
「だっせぇ、だっせぇ。きゃっきゃっ」
足のおぼつかない少女からレオンたちと年の近い少年まで、何人もの子供たちが口々に喋り掛けて来る。
「ただいまー、ミルルー」
「あーい」
「うっせ、次はぜってぇ一発入れてやる。ほーれもじゃこう~もじゃこう~」
「やめろよ~、髪の毛わしゃわしゃすんな~」
「ねぇねぇ、もじゃこうって何?」
「知らね。なんかもじゃもじゃしてんだろ」
或いは抱きかかえ、或いは戯れながら団欒の輪に入る二人。
現在、この教会で暮らしている子供の人数は十三人。内訳は、男子八人女子が五人だ。
本当の孤児だけでなく、両親が出稼ぎに出ている村の子供も受け入れて運営されている為、子供たちを除いて人口五十人程度という村の規模に比べ随分と大きな所帯となっている。
無口で無愛想な神父と、笑顔でのんびり屋のシスターが運営する、村で唯一の教会兼孤児院。
主な収入源は、村人からの託児費と鍛冶師であるガモフが打った武具や日用品の売り上げ。そして、ファウストが月に何度か町に出てこなす雑多な仕事の報酬を足したものになる。
「「次は頑張る」。そう言って、もう半年は経ってるよ? レオ」
「お前はいちいち細けぇんだよ! ディー!」
子供たちに遅れて奥の部屋から現れたディーエンの皮肉に、レオンは大声で抗議を返す。
「は~いみんな~、夕ご飯にしましょ~」
「「「はーい!」」」
そんな子供特有の騒がしさも、食事という誘惑を前にすれば鎮火は一瞬だ。ルシエラの声に答え、全員が粛々と食堂へ移動を開始していく。
居住区で最も大きな空間を誇る食堂の中央を占領する長机に、子供たちは言われるまでもなく食器や飲み物を置いたり切り分けたパンを配ったりと、全員で一丸となって準備を行う。
「今日は~、行商さんから新鮮な兎のお肉が手に入ったので~、野菜たっぷりのシチューにしてみました~」
「おぉ、美味そう~!」
「レオ、見ていないで手伝え」
ルシエラの言葉通り、一度に大量の料理が作れるようガモフとシロエが改良を加えた大鍋の中で煮え立つシチューを見て涎を垂らすレオンに、ファウストが両手に加えて肘まで使って幾つもの皿を同時に運びながら注意する。
年齢順に並んで椅子に座り、晩餐の開始を待つ。最年少のミルルは、まだ一人での食事が難しい為ルシエラの膝の上だ。
全員に料理の皿が行き渡った事を確認したルシエラが両手を組むと、周りの子供たちも同ように手を組んで瞳を閉じた。
「天よ、地よ、全ての命の輩よ。我と我が隣人に、日々の糧を与えて頂いた事を心より感謝致します――」
「「「「「いただきます!!」」」」」
この時ばかりは口調を伸ばさず真面目に誓言を告げるルシエラの祝詞と、無言のファウスト以外の満場一致の唱和を持って今日の夕食が開始となった。
ジャガイモ、人参、ブロッコリー、アスパラガス。十分に柔らかく、かつ食感を残す為にそれなりの大きさに切られた色取りどりの素材をとろとろに溶けた玉葱の欠片と乳白色のスープに絡め、大口を開けて頬張る。
「はふはふっ」
「おいしー!」
「がつがつがつがつ!」
「あのね、あのね! 今日の人参ね、わたしとレノーが切ったんだよ! ファウスト先生美味しい!?」
「おいしーい!?」
「……あぁ」
「ふふっ。おかわりしたい子は~、ケンカしちゃ~駄目よ~」
「「「はーい!」」」
ゆっくりと味わう子、おかわりの為に大急ぎで掻き込む子、笑顔になる子、パンを浸して食べる子、嫌いな野菜をこっそり避ける子、物静かに食べる人。
世界で一番優しい時間が流れる中で、膝に座る可愛い愛し子に食べさせながらルシエラの笑顔が更に綻ぶ。
「そうだ、ねぇ聞いて聞いて! ボクね、今日お爺ちゃんから合格って言ってもらえたんだよ!」
食事の途中で、シロエが食べかすを飛ばしながら満面の笑みで皆と喜びを共有しようと報告する。
その時の事を頭の中で思い出しているのだろう、舞い上がるほどの感動が伝わって来るほど少年の表情は輝いていた。
「おぉ、凄ぇじゃねぇか! シロエ!」
「僕達も負けてられないね」
「やるじゃねぇかよ、くの、くの」
「むぎゅ~」
驚きで一瞬遅れた後、両隣に座る親友から祝福の言葉が送られた。レオンに至っては、片腕をシロエの首に回して抱き寄せる始末だ。
シロエたちの師たちは、決して甘やかすだけの教育者ではない。特に、己の業に誇りを持つ一流の職人であるガモフは自分が納得する領域に達しなければ、口が裂けても「合格」等と言うはずがない。
それを理解するが故に、小さな少年が鍛冶師として本当の一歩を踏み出した事を喜ぶと同時に、尽きぬ闘志を再熱させてレオンがシロエの頭を乱暴に撫で回す。
「あうあう~」
「待ってろよぉ、シロエッ。オレらも直ぐに師匠たちから合格って言わせてやるからよ!」
威勢の良いレオンの言葉に反応したのは、物静かに食事を取っていたファウストと膝のミルルを笑顔であやすルシエラだった。
「そうか。じゃあ、お前は合格だ。レオ」
「私も~、ディー君に合格あげちゃう~」
「ぶっふぅ!?」
「えぇ!?」
余りにも簡単な師たちの発言にレオンが噴出し、シロエがすっとんきょうな声を上げた。
ディーエンは眉をひそめ、意図を読もうとファウストたちへと視線を向ける。
「どういう事です?」
「別に、冗談や酔狂で言っている訳じゃない。基礎は十分に育った。後は、自力で伸ばして行けるはずだ」
「それとね~、そろそろディー君たちには学園に通って貰おうかなって~、前から神父さんとお話しをしてたの~」
「が、学園?」
「僕たちを、ですか?」
文字や簡単な計算を教える私塾は隣町にあるが、学園と名の付く程の大規模な施設は都市部にでも行かないと存在しない。
文字も計算もこの孤児院ではファウストたちから習える為、自分たちにがそんなものに通う等とは露とも思っていなかった二人は動揺を隠せない。
「がんばれがんばれ~」
「ルシエラ先生……」
無責任にすら思えるルシエラの朗らかな応援に、ディーエンは頭痛を感じて額を押さえた。
「入学書類は後で見せてやる。ディーはともかく、レオは直前に渡さんとなくす可能性が高いからな」
「いや、だからそうじゃなくて――」
「自立すれば生きる糧を得る為に、どうしてもそちらに重きを置く生活を強いられる。この場所での教育に限界がある以上、伸ばせる内にその才能を伸ばせる場所へと送り出すだけだ」
「この孤児院を作って~、初めての卒院生ですもの~。キチンとした勉強をして~、立派に成って欲しいって神父さんは思ってるのよ~? 勿論、私もね~」
レオンの言葉を遮って行われたファウストの説明を、ルシエラが引き継ぐ。
自分たちの未来を真剣に考えてくれる育ての親たちに、レオンとディーエンは感謝と気恥ずかしさがないまぜになった表情で視線をうつむかせる。
「お兄ちゃんたち、どっか行っちゃうの?」
「お、おぉ、なんかそうみたいだな。実感まだ全然だけど」
「今度は何時帰って来るの?」
「学園という事だから、多分何度か長期の休暇が入るとは思うよ。正確な時期は、流石に資料を見ないと解らないね」
「兄ちゃんたちすげー!」
出稼ぎや買出しでファウストやガモフに付いて行く以外でも、町に赴く事も増えた年長組みは普段から教会に居ない場合も多いので、その門出も割と簡単に受け入れられている様子だった。
子供たちからは、疑問や称賛が次々と浴びせられている。
「ふわ~、二人とも凄いね~」
「何を言っている。お前もだぞ、シロエ」
「ふぇ?」
完全に他人事としてそのにぎやかさを眺めていたシロエは、ファウストの言葉に間の抜けた声を返す。
「ガモフからも許可は出ている。と言うより、お前たちを学園に入学させる案はあいつから言い出した事だ」
「……………」
たっぷりと時間を掛けてファウストの言葉を飲み込んだ後、シロエは慌てて両手と首を全力で振って断固拒否の姿勢を取り始めた。
「む、むむむ、無理だよぉ! 二人ならともかく、ボクが学園に入学するなんて、お金が勿体ないよー!」
自信家のレオンや冷静に自己評価の出来るディーエンとは違い、シロエには自分の才能が全く理解出来ていなかった。
隣町の武具を扱う店は低価格の量産品を主に扱っている為、必然的に彼の鍛冶師としての基準は師であるガモフの技量で固定されている。
彼に比べれば、ヒヨコどころか卵から足すら出ていない自分が学園に通ったところで恥を掻くだけだと焦りをあらわにしているのだ。
「もう遅い。すでに、入学金やその他で必要な金は払い終えている。お前が断れば、それが本当に無駄になるぞ。それでも良いのか?」
「う、うぅ……」
ファウストから静かに諭され、何も反論出来なくなるシロエ。
確かに全てが終わっているなら、学園に行かない方が親不孝者だろう。
「がんばれがんばれ~」
「う~、おじいちゃ~ん」
ルシエラの声援を受け、何も知らされていなかったシロエの口から不安と恐怖と悲しみの混ざり合った師への苦情が、両目の涙と共に周囲へと漏れた。